1-13.ミルキィとバロン(1)


 鬱蒼と茂る緑に、湿っぽさを肌で感じた。

 茂る枝葉に遮られ、見上げても夜の空は垣間見えない。


「……ここ、マナが濃い」


 ぽつりと呟きながら、ミルキィは太枝から太枝へと飛び移る。

 気付けば周りの緑は茂りに茂り、森深くまで来たのだな思わされる。

 そして、先程から感ずる肌がぴりつくような感覚。

 ざわりと胸中が不穏にざわつき、本能的にここに長居は危険だと察する。


「もしかして、ここって奥地だったりするのかも」


 通称、奥地。そう皆が称するのは、魔力マナが滞って常に魔力濃度が濃い地。

 そんな地へ知らぬ間に足を踏み入れてしまったらしい。

 虫の声ひとつしない。

 嫌な汗がたらりと頬を滑る。

 丁度飛び移った太枝で足を止め、服の袖で汗を拭った。

 そういえば、心なしか息が上がっている気がする。

 今宵が満月でなければとうに力尽きていたかもしれない。

 満月の夜が、ミルキィに流れる人ならざる血が最も活性化する時間帯だ。

 ふうと大きく息をつき、ミルキィは気配を探る。

 が、魔力の濃い地において気配など探ろうにも、濃い魔力の気配が邪魔で判然とはしない。

 途中でバロンを見失った。

 彼が飛び立った方角は合っているはずなので、何処かで追いつくと思ったのだが少しばかり甘かったか。

 と。そばだてていた耳が何かの音を拾った。

 立ち上がった獣の耳が音の方を向き、ミルキィはすんっと鼻を鳴らす。

 森の湿った匂いに混じり、僅かながらに違う匂いを感じた。だが、薄すぎて判然としない。


「……バロン君と信じて行くしかないか」


 頬を滑る汗をもう一度拭い、ミルキィは太枝を蹴った。




   *




 小鳥の姿から少年の姿へと転じたバロンは茂る下草の上に降り立つと、辺りをきょろきょろと見回した。

 夜目は効く方なので問題ないのだが、目指すべき方角を見失った。


「……やべぇ、迷子とか笑えない」


 そもそもが魔力が濃すぎる。

 気配は探れないし、風に訊ねてみても判然としない応えが返るだけ。

 これは別段、風に侮られて意地悪をされているわけではない。

 魔力が濃すぎて風も仔細まで探れないのだ。

 つまりは、バロンは完全に詰んでいる。

 辺りを見回しても、なんの解決にならないのはわかっているのに、現状はそれしか術がない。

 時間が経つにつれ、焦燥感だけが募ってバロンの身をもどかしく焦がす。

 と。そんな頃だった。

 突として、がさりと枝葉が揺れた。

 びくっと肩を跳ねさせ、バロンは慌てて声の方を振り向いて身構える。

 気配が察せない。だから、魔力が濃く漂うところは苦手なのだ。

 息をなるだけ潜めて目を凝らす。


「やった、ビンゴじゃん」


 すると、声と共に枝葉の影から何かが跳び下りた。

 バロンは身を硬くし、息を潜める。

 着したその影はどうやら人影のようで、ひょんっと栗毛の尾伸びているのが見えた。

 人影が立ち上がり、枝葉の影から歩み出て来れば、人影は輪郭を帯び始めて――。


「……っんだよ、ミル姉かよ」


 見知ったその姿に、ほるりと身体から力が抜けた。

 不機嫌なバロンの面に、ミルキィも面白くなさそうに口を尖らせる。


「そういうバロン君こそ、こんなとこで突っ立って何してんのさ。まさか、迷子?」


「は? そんなんじゃないしっ」


「じゃ、何してたわけ?」


「……行き先わかんなくて、ちょっと辺りを見回してただけだし」


「……」


 それを迷子と言うのではないのか。

 それっきりそっぽを向いてしまったバロンに、ミルキィは暫し無言で彼を見やった。

 そっぽを向くバロンの横顔が、なんとなくばつが悪そうに見えるのは気のせいか。

 そう思うと、少しだけ笑いが込み上げてくる。

 ふふっと、堪らずミルキィが小さく声をもらすと、それを聞き留めたバロンが顔をむくれさせた。


「……笑うなよ」


「別に笑ってないし」


 が、ミルキィはすんっと澄ました顔で誤魔化しながら、話題を切り替える。


「そんなことより、行き先わかんなくなったって、風に訊いてみればいいじゃん」


 すると、バロンは不貞腐れた顔で呟いた。


「……ここは魔力が濃すぎてだめなんだ。邪魔される」


「あ、なるほど」


 ミルキィが思わず納得顔で頷けば、バロンはますます不貞腐れたのか、渋面になってしまう。

 それがまた面白く、ミルキィは笑いそうになる顔を頑張って堪えた。

 森の奥地に足を踏み入れる前は、あれだけミルキィを煽っていたバロン。

 口にする言葉は所謂正論で、こちらが子供みたく癇癪を起こしたようなものだ。

 そんな彼が、今は見た目通りの年相応に見えて、精霊とはなんとも不思議な存在だ。

 別の意味でまた笑いそうになる顔を堪え、代わりに得意げな笑みを浮かべた。


「ならっ、ここはまあ、ミル姉に任せなさいなっ!」


 バロンが胡乱げな目でミルキィを見上げる。


「……どーすんだよ」


「私には私にしかないものがあるんだから」


 そう言ったミルキィは、栗毛の尾をひょんっと揺らして見せ、次いで獣の耳を指し示すと、ぴこんっと可愛らしく動かした。


「このお耳ちゃんは、よく音も拾うお役立ちお耳ちゃんなのだ」


 そしてまた。


「それに、私の鼻もよく効くんだぞ」


 と。茶目っ気たっぷりに笑った。




   *




 小鳥の姿に転じたバロンを肩に乗せ、ミルキィは駆けていた。

 太枝を跳び移っていくより、こうして地面を蹴ったくって駆けた方が、動作が少ない分消耗が抑えられる。

 時折立ち止まっては、上がりそうな息を努めて落ち着けつつ、ミルキィは鼻を鳴らして匂いを追う。

 森の中に微かに感ずる違和の匂いがあるとはミルキィの談。

 それがたぶん、魔力の気配においではないかと彼女は当たりをつけている。

 すんっと鼻を鳴らす。

 立ち止まるのはこれで幾度目か。

 先程よりも呼吸が上がっていることを、ミルキィの肩に留まるバロンは気付いている。


「……気配においが濃くなってきた」


 額に珠となった汗を手の甲で拭い、ミルキィはまた駆け出す――前に、足元に小さな陣を展開した。

 おや、とバロンは小さく目を見張る。

 そっとミルキィの足元に視線を落とすと、展開された陣の下では、湿気を帯びて柔らかくなっていた土が固まっていた。

 何度か足でその固さを確認したミルキィは、よし、と息を落としてまた駆け出す。

 今度は丁寧な足運び。

 足を踏み出す度、下ろされる手前で足元に小さな陣を展開していく。

 しっかりとした足場は、それだけで随分と走りやすくなっているらしい。

 バロンが汗滲むミルキィの横顔を見る。

 紅の色をした彼女の瞳。行き先を真っ直ぐに据えて、そこに揺らぎはない。

 そんなバロンの視線に気付いたのか、ミルキィがちらりと彼を見やる。

 少しだけ得意げに笑って、すぐにまた前を据える。


「魔法師とまではいかないけど、ちょっと親の影響で齧ってたときもあってさ」


「……のわりには、それなりに高度な魔法に思えるけど? 足音もしないし」


 ちょっと齧った、程度の陣には見えない。

 魔法の知識はそんなにないバロンでも、組み込まれた文字列が複雑なことはわかる。

 作用しているのは土。ということは。


「ミル姉のオドは土か」


 バロンの呟きに、視線は前を向いたままでミルキィが答えた。


「ん、そう。だから、森は私の得意場」


 駆けていた足が次第に速度を落とし始め、ミルキィが息を潜める。

 バロンも同じように息を潜めた。

 ささやくような声量でミルキィが言葉を紡ぐ。


「土は音を吸収してくれるし、陣に一緒に組み込んでみたんだ。で、たぶん近くまで来てる」


 近くまで。何とは問わずとも、それが何かはバロンにもわかった。

 二人の間に緊張が走り、バロンはそっと気を引き締める。

 そんな中でも彼女の言葉は続く。


「陣が小さい分、文字列にいろんなことが組み込みやすいの。コンパクトにした方がオドも練りやすいし、なにより燃費がいい」


 なるほど。魔法を扱う上で、燃費向上は大切だ。

 バロンはふむとひとつ頷いた。

 陣を編み上げる分のオド。そして、発動した魔法を維持するためのオド――つまりは燃料だ。

 この二つが保てなければ魔法は扱えない。


「いやけど……それもだけど、その陣を組み上げたのもまたすごくね……?」


 ぽつり、バロンは呟く。

 魔法の才があったのか、と。驚き滲む目で彼女を盗み見る。

 だが、当の彼女はバロンの様子には気付いていない様子。

 自身の感覚に集中しているようだ。

 もしかして。少々自分は、ミルキィという少女のことを侮っていたのかもしれない。


「――決めた」


 バロンはひとつ、心を決めた。

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