2-6.まずは一つ、互いを知った
それからの彼女の動きは鮮やかだった。
揉める二人へと向かうためか、彼女は見物する人々の間をすり抜ける。その間、彼女の存在は誰にも気付かれなかった。
その時点で薄々感じていた彼女の正体を、ミルキィは確信に変えた。バロンとも知り合いのようだったし、やはり彼女は精霊だ。
二人の元へとたどり着いた彼女は、周囲に立ち上るもやに手で触れると、その手でもやを薙ぐ。
動作としてはそれだけだった。
なのに、次の瞬間だ。その周囲がきらきらと、一瞬だけだが微かにきらめく。
ミルキィは驚きで金の瞳を見開いた。
二人から立ち上っていたもやと、石畳からも立ち上っていたもやが、きらめいたのち静かに散っていく。その様をミルキィは確かに見た。
彼女が何食わぬ顔で戻って来た頃には、揉めていた二人は互いに謝り、その場の騒ぎは鎮まっていた。
見物していた人々も次第に散らばり始め、ミルキィ達もその流れに乗じてその場をあとにした。
用事があるという彼女とは途中で別れ、ミルキィはバロンと共に帰路につく。
その帰り道。すごいものを見たなあと、ミルキィの心は幾ばくか興奮したままだった。
◇ ◆ ◇
夜。ミルキィの部屋では、窓辺で夜空を見上げる小鳥の姿があった。
ミルキィは机に向かい、ノートに何かを書き出しては消してを繰り返している。
広げられたノートの隣には葉の包みも置かれていた。
バロンはその真剣な彼女の背をちらりと見、また夜空へ視線を戻して見上げる。
人の暮らす街は夜も明るいというが、この街の明るさは控えめで、夜の邪魔にはならない程度の灯りだ。
だから、街中でも星が見える。
星が瞬く夜空を見上げ、そのバックミュージックに筆記音。
うん、悪くないな。と、バロンは思う。
そして、夜空を見上げつつ考えるのは日中の出来事。
「……オレ、マジで未熟な精霊だよな」
自虐にも似た響き。
自分で呟いて、自分に刺さって、自分で落ち込む。気付けば視線も落ちていた。
そしてまた、夜で思い出す事柄――あの夜のこと。
バロンはミルキィを振り返る。何かを懸命に書き綴るミルキィの背。
声もかけにくいその雰囲気に、何をそんなに一生懸命になっているのか。
「……ミル姉が苦労してんのだって、オレのせい、なんだよな。オレがあの夜に煽んなきゃ……」
小さく落とされた言葉。
やはり自然に落ちてしまう視線に、それまで響いていた筆記音がぴたりと止んだ。
「――そーゆーことだったわけね。あの押し売りみたいのは」
バロンが顔を上げると、ミルキィが椅子ごと振り向いていた。
「押し売り……?」
「真名を受け取れっていうあれ。返事は、はいかイエスかでって、押し売りみたいなもんじゃん」
軽く肩をすくめて見せたミルキィが苦笑する。
「でも、何となくそうなった理由もわかった。……責任、感じてたんだね」
バロンの身体がびくりと強張った。
ミルキィを見ていられなくて、視線を逸らしてしまったのはどうしてか。
気まずさ、の言葉が近いのかもしれない。罪悪感があったのも否定出来ない。
「気にしなくていいのに」
ずいぶんとあっさりした響きだった。弾かれたようにして彼女を見やり、感情に任せて言葉が滑り出た。
「でもっ! オレがあの時煽るようなこと言わなきゃ、悩まずに、苦労もせずにすんでたかもしんないじゃんっ! 苦しい想いをすることもなかったかもじゃんっ!」
バロンの声が、びりっと痺れるように空気を震わせた。けれども、すぐに静寂に包まれる。
耳に届くのは、少しばかり荒んだバロンの息だけ。
ミルキィの金の瞳が真っ直ぐにバロンを見据える。
「勝手に『私』を背負わないでくれる?」
バロンを据える金の瞳には、不快や怒りなどの色はなく、凪いでいた。
「確かにきっかけはバロン君だったかもしんないけど、決めたのは私。決めるのも私。――バロン君のそれは、ある意味では傲慢だよ」
少しだけ厳しい響きをはらんだミルキィの声に、バロンは息を詰まらせた。
ふっ、と。ミルキィが雰囲気を和らげる。
「でも、その気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
バロンは、今度は別の意味で言葉を詰まらせる。
おいで、とミルキィが手を伸ばした。
バロンは一瞬だけ躊躇したが「ほら」とミルキィに促されて膝上へと飛び立った。
膝に乗れば、少し冷えたミルキィの手が優しく彼を撫で始める。
「……子供扱いすんなよ。オレの方が歳上なのに」
「あ、やっぱそうなんだ。でもほら、私はミル
ふふっと小さく笑う声がバロンに落ちる。
居心地の悪さにバロンは少しだけ身じろいだが、どうしてか、そこから離れる気にはなれなかった。
「――……でも、真名を受け取って欲しいって気持ちは変わんないから」
少しだけふてくされた声。
撫でる手が一層優しくなった気がして、バロンはくすぐったい心地にまた身じろいだ。
「うん、わかってる。待っててくれて、ありがとうね」
「返事は、はいかイエスだからな」
「はいはい」
「あしらい方が子供じゃんかよっ!」
「バロン君の羽毛ってふわふわだよね」
「無視かよ」
賑やかさに夜の気配が少しだけ遠くなる。
けれども、離れがたく感じるのは夜だからなのか。
どうでもいいような言葉の応酬は、ミルキィがバロンの羽毛に顔を埋め、鳥吸い、なるものを始めるまで続いた。
しかし、バロンは鳥吸いまで許すつもりはなく、抵抗のためにとりあえず暴れておいた。
「――で、さっきから何を書いてんだ?」
ベッド横に置かれたバスケットの中で、ブランケットに埋まっていたバロンがミルキィを見やる。
部屋に響き続けていた筆記音が止まる。
「んー……なんていうか、いっぺん図式を崩して、ジャンルに分けて、いるいらないとかして、残ったので並べ替えてからの簡略化……? みたいなことして、あとは意味が通るかの解読中、かな」
椅子に座して机に向かったまま、腕を組んでノートを睨むミルキィに、バロンは琥珀色の瞳を瞬かせた。
言っている意味がさっぱりわからない。
バロンはバスケットから抜け出て床に下りた。
とてちてとミルキィのもとまで歩き、翼を軽く羽ばたかせて机上に飛び乗った。
ノートを覗き込む。並ぶ文字の羅列と、走り書きの補足のような文字の応酬に、くらりとめまいを覚えそうだ。
「……頭とか痛くなんないの?」
「んー? とくにないかな。楽しいし、これ」
「オレにはさっぱりだけど、ミル姉が楽しいんならいい」
バロンはほっと緩い息を吐く。
すると、ミルキィがバロンの首を指先で優しく搔く――というよりも、それは撫でるに近かった。
バロンが首をめぐらせば、ミルキィは柔らかな色を帯びた瞳で見下ろしていた。
「まだまだ悩んだままで、居たい場所への行き方もわかんないままだけど、私なりに楽しんでるつもりだよ?」
だから、そう背負い込むな。
それがバロンに触れる指先から伝わる。
それがまたむず痒く、バロンは誤魔化すように別の話題を振った。
「そ、そういえばミル姉ってさ、学者の家系だったりすんの?」
「え、なに急に」
「だってさ、これって専門の知識いったりすんじゃないの? そこの本だって、そーいう専門書みたいのに見えるし」
バロンが足先で、書き綴られたノートとその横に広げられた本を指す。
「その本はお父さんの書庫から持ってきたものだけど。そっかぁ……あんま考えたことなかったけど、学者の家系みたいなものなのかもねぇー、うちって」
ミルキィは本に触れ、ぱらぱらと頁をめくっていく。
めくられていくページには、図式の成り立ちだったり、図解だったりが書かれている。
「さすがに初版じゃないけど、この本は結構昔に書かれたものでね。んで、この本の著者のミルウェイって人は、私の血筋の祖にあたる人なんだって」
ぱたん、と本を閉じると、背表紙に書かれた著者名、ミルウェイ、の文字を指でなぞった。
「ミルウェイって人はさ、いろんな魔法陣開発してて、界隈では有名な論文も発表してたりして、それを地盤にして開発されたものもたくさんあるみたい」
「簡単に言えば、優秀な開発者だったってことか」
「研究者でもあったらしいけどね。――で、だからなんだと思うけど、女の子が産まれれば、その人にあやかって、名前の頭にミルって付ける風習がいつの間にか出来たみたい。それで、私はミルキィというわけだ」
ミルキィはバロンに苦笑を向けた。
「お母さんがその血筋になるからミルベルって名前だし――って、何? バロン君」
そこでミルキィは、バロンがじぃとこちらを見ていることに気付く。
バロンは緩く首を振って、しみじみとした様子で答えた。
「なんて言うかさ。ミル姉のお互いを知るっていうやつ、こーいうことかなって思って」
うんうんと、一人納得顔で頷くバロンに、ミルキィはきょとんと瞳を瞬かせたあとで。
「うん。こーいうことだ」
ほわりと顔を綻ばせた。
ミルキィはバロンが想っていたことを知り、バロンはミルキィの名に関するルーツを知る。
そうだ。お互いに知るとはこういうことだ。
突然に己がロイヤルファミリーなんだと爆弾を投下されるのではなく、ゆっくりと歩み寄るように穏やかに。
まずは一つ、互いを知った。そんな夜が静かに更けていく――。
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