閑話 ふたりの変わらないもの


 通称、魔法師団と呼ばれる彼らは現在、森における自然魔力マナの濃度確認と、それを起因して発生している魔物の数を調べるため現地調査へと赴いていた。

 今夜の野営地を決め、就寝のためのテントを幾つも張る。同行している精霊らには認識阻害の効果を周囲に展開してもらう。食事を済ませた今は、各々の自由に過ごす時間帯だ。

 認識阻害の効果は、内から何かを仕掛けない限りは、基本的に外からは気付かれない。

 夜は森も眠る時間帯ではあるも、獣への対策としては施しておいた方がいい。

 極力危険要素は減らしたいため、灯す照明も最低限にまで落としている。

 夜の森の囁やきに紛れるよう、団員らも声を潜ませて談話に興じる中、その片隅に彼らの姿はあった。


「ぷりゅも、みるのとこいきたかったのにっ! あにうえだけずるいっ!」


 ぷんすこと膨れっ面の青磁色をした子狼が、抱かれている腕から逃れようと、思いっきり身体を仰け反らせて反抗する。

 まさに『仰け反りーっ!』な様に、子狼ことプリュイを抱いていたシシィが慌てて抱き直した。


「プリュイ、我が儘言わない。癒やしの湖から覚めたばかりなんだから、今はまだ身体を休める時だよ」


 碧の瞳に険を滲ませて視線を落とせば、同じ色をした碧の瞳が見上げる。

 その瞳は随分と反抗的な光を宿していて、シシィは軽く顔をしかめた。


「湖に沈むことになったのは、誰の行動のせいかな?」


「ぷりゅをつかまえて、ぷりゅのまなをみつけようとしたひとっ!」


 その返答は正しい。まさにそうだ。正解だ。

 だが、シシィが欲していた返答ではなかった。

 シシィの眉間に寄せられたしわが少しだけ深くなる。


「じゃあ、そんな目に遭うことになったのは誰の行動のせい?」


スイレンじいじがぷりゅからはなれたからっ!」


 プリュイの返しに、シシィはむぐっと言葉を詰まらせた。

 確かにその通りだ。スイレンがプリュイの側から離れたから、事は起きてしまった。

 それも正しい。間違ってはいない。

 だが、またしても、シシィがプリュイから引き出したかった返しではなかった。

 シシィは一度瞑目し、細く長い息を吐き出してから、もう一度目を開いた。


「――で、そのじいじが側を離れられるように仕出かしたのは、一体誰なのかな?」


 シシィの碧の瞳がプリュイの碧の瞳を見つめる。

 その瞳を先に逸らしたのはプリュイの方だった。

 耳をぺたりと倒し、不満そうに言葉をもらす。


「…………プリュイちゃんです」


「そう、プリュイだね」


 よく言えましたと、シシィはプリュイの頭を撫でてやる。

 けれども、プリュイの顔は増々膨れっ面になるだけだ。

 シシィはプリュイを腕に抱いたまま、近場の木の下に座って幹へもたれる。

 かいたあぐらにプリュイを乗せ、膨れっ面の頬を指先で突いてやった。


「だから、プリュイは暫く僕とティアの側に居てもらうよ。目の届くとこに居てもらわないと、次は何を仕出かすかわかんないから」


「やだっ! ぷりゅだけなんでっ! あにうえだけずるいっ!!」


「バロンは言ったことを破ったことないからだよ」


 途端、ぎゃんぎゃんと吠えていたプリュイが黙った。


「プリュイは破っちゃったよね? 僕とティアが言ってた、“外”へはまだ一人で行っちゃダメだよって」


 プリュイが碧の瞳を潤ませる。

 シシィが緩く首を振った。


「そんなで見てもだめ。僕は父上――スイレンじいじほど甘くならないから」


 シシィは瞳を細めてプリュイを見下ろす。

 そこに宿る厳しい光に、プリュイの尾がだらりと下がった。


「いい? プリュイは信用を失ったんだ。それを取り戻すには、たくさんの時を要する。じゃあ、まずは何からすべきかな?」


「おとなしく、ちちうえとははうえのそばにいること」


 しょんぼり項垂れつつも、細く返したプリュイに、シシィは柔く笑った。

 プリュイを撫でるシシィの手付きがどこまでも優しくて、彼女は碧の瞳をつむるのだった。

 そういえば、と。プリュイは胸の内で思い出す。

 いけないこととは自覚していた。

 だから、叱られる覚悟もしていたな、と。




   *




「あら、プリュイは寝ちゃったの?」


 座るシシィの隣に腰を下ろしたティアは、彼のあぐらの上で丸まって眠るプリュイの背を撫でた。


「うん、不貞腐れてね。ティアは見回りお疲れ様。それで、どうだった?」


「そうね、風にも頼んで周辺を探索してきたけど、やっぱり自然魔力マナが常よりは濃い感じだわ」


「浄化作業が必要なほど?」


「そこまではなんとも」


 ティアは軽く肩をすくめる。


「魔を鎮める浄化が必要かどうか、その判断をするのは私ではないもの。精霊目線では問題なさそうに感じたけど、魔物の討伐は必要かもしれないわね」


「僕が奥地で見た魔物も、それなりに力は有してそうだったし、それらが街にまで出るようになったら大惨事か」


「そーゆうこと。まあ、奥地については特有の生態系もあるし、そのさじ加減を判断するのは魔法師団の役目。スイレン様やヒョオ殿には情報を渡してきたし、今は話し合いでもしてるんじゃないのかしら?」


 ティアがシシィを見やれば、彼は「そっか」とだけ呟いて視線を落とした。

 落ちた視線の先は、不貞寝を決めたプリュイ。

 シシィがその背を優しく撫でる。

 ティアは自然とシシィの頭へ手を伸ばしていた。


「……なんで僕の頭を撫でるの」


 不満そうな声に、ティアは苦笑する。


「だって、なんだか耳がしょぼくれて垂れてる気がしたんだもの」


「今は獣の耳なんて出してないよ」


「でも、昔は出してたじゃない」


「それは子供の頃の話だ」


 シシィが不機嫌な声をもらせど、ティアの手を払い除けようとしないのは、そういうことなのだろう。

 ティアの苦笑に愛おしげな色がはらむ。


「素直じゃないんだから。どうしたの? プリュイに言い過ぎたとか?」


 シシィの碧の瞳がティアを見た。

 そこに複雑な色を宿して。


「……なんで、そこまでわかっちゃうのかなぁ」


「うーん、わかっちゃうんだなあ」


 くすくすと笑うティアに、シシィは口をへの字にする。

 が、すぐにその子供っぽい表情は掻き消える。

 再びプリュイへと視線を落としたシシィが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「言葉が過ぎたかなとは思ってる。バロンだって、僕達の言いつけを全く破らなかったわけでもないのにさ」


 ひゅうと小さく風が鳴いた。

 シシィに寄り添うように優しく彼を撫で、ティアの耳元に届ける。

 風から何があったのかを知った彼女は、シシィの頭を撫でる手を止めなかった。


「でも、それは必要なことだと思うわよ? このには解らせないといけないもの。転移が下手な影響か、妙なところに度胸がついちゃってるし」


 自分が意図する場所に転移が出来ない。

 それはつまり、見知らぬ場所に転移してしまうということで。

 そんなことが常なプリュイは、困ることはあるけれども、怖さが薄れてしまっている。

 今回のこともそこに繋がる気がした。

 だが、プリュイの中にどんな理由があろうと、してはいけないことはあるはずだ。


「でもね、僕――」


 シシィの声にティアは彼の横顔を見やり、そっと頭を撫でる手を下ろした。

 彼から感じる雰囲気が、今は子供みたいに扱うのとは違う気がした。

 今は同じ目線で彼を見るべきだ。


「この娘の話も聞いてあげてなかったなって、あとから思って」


 ティアもシシィと同じようにプリュイへ視線を向ける。


「この娘の中にだって、その理由はあったはずなのに」


「じゃあ、プリュイが起きたら話をしましょ」


 シシィが顔を上げた。

 その顔を見つめ、ティアは表情を和らげる。


「プリュイの話を聞いて、私とあなたもこの娘に話をするの。悪いなと思ったのなら尚更よ。そのままにしておく方が拗れることだってあるんだし」


 言葉にしなければ伝わらないこともある。

 それを、シシィとティアは知っている。

 全てとは言わない。言わないけれども。

 どれだけ想っていても、想っているだけでは伝わらないことがある。


「私とあなたがそうしてきたように、この娘にだってそうして伝えていくの。それが私達ふたりのやり方」


 でしょ、とティアが問いかけてみれば、シシィも、そうだね、と口元を和らげた。


「それが僕達だったね。これは――」


「これからも変わらないもの」


 シシィの言葉を汲む形でティアが口にすれば、ふたりは互いに見つめ合って、笑い合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る