2-3.互いを知ること


 きょとん、と。琥珀色の瞳が瞬く。


「つまり……?」


 こてんと首を傾げるバロンに、ミルキィはむむむと口をへの字にして唸った。


「……つまり、と訊かれると困るけど、つまり、お互いを知ろうってことで」


「答えになってねぇけど?」


 バロンのその最もな返しに、ミルキィはぐうの音も出ない。

 口をへの字に結んで黙ってしまったミルキィを、バロンは暫しの間見つめていたが、やがてふっと短く息をついた。


「ま、いいけどな。ミル姉からは考えさせてって言われてんし。なら、オレは待つだけだし、精霊は待つの得意だし」


「なんかそれって、私がおばあちゃんになって渋ってても、ずっと待ってそうな口ぶり」


「かもな」


 何ともないように笑うバロンに、ミルキィは精霊と人の違いを意識する。

 先程はあまり違いはないのかもしれないと思ったが、やはり彼らは精霊なのだと思い直す。


「……それは、気が長いね」


「それにオレ、しばらくはこっちに身を置くって決めてんし、大したことないよ」


「私の返事待ちで?」


「いんや」


 バロンが大きく首を横に振った。


「“外”のこと、もっと知ろうと思ってさ。オレ、精霊としてはまだまだ未熟だから」


 苦く笑うバロンに、ミルキィはあの夜の彼の姿を重ねる。

 あの出来事は、ミルキィの意識を大きく変えさせることになったが、それは、彼にとっても同じだったのかもしれない。


「そっか。お互いに模索中なわけだ」


「そーだな。てことで、暫くはミル姉のとこに居ることにした」


 その言に、今度はミルキィの金の瞳が瞬く。


「……また、随分と急な」


「今決めたし」


 さらっと軽く言ってのけたバロンに、ミルキィは顔をしかめた。

 そういうものは前もって伝えておくものだ。それに何より。


「それ、お母さん達には伝えたの?」


 精霊のバロンは、もしかしたら、ミルキィやルカよりも歳上なのかもしれないが、精霊としてはまだ子供の時分のようだし、彼は親の庇護下にあるのではないのか。


「ちゃんと居場所は伝えとかないと」


「べつにオレ、そこまで幼くは――」


「そういうのがトラブルの元になることもあるし、伝えてきなさい。面倒事に巻き込まれるのは、私嫌だから」


 きっぱりと告げてやれば、バロンは渋々といった様子だが頷いてくれた。


「でも、母さん達しばらく居ないから、戻って来てからでいい?」


「居ないって……?」


「実地調査だがなんだかで、魔法師団にくっついて野営なんだと」


 バロンの言葉に、ミルキィも思い出すことがあった。

 支部を出る際にルカから、暫く留守にするから用があれば言付けて、と言われていた。

 聞けば、顔なじみであるダンストン達も留守にするというから、遠征か何かだろうかと思った記憶がある。

 精霊祭も近い。それゆえの何かを調査する必要もあるのだろう。

 そこに精霊が、しかも大精霊が同行していても不思議ではない。

 ミルキィは腕を組んだ。

 まあ、そういった事情があるのならば仕方がないか。

 そうは思うものの、精霊とはいえ他所様の子供を預かるというのは――と、釈然としない気持ちで唸る。

 そんな唸るミルキィを怠そうに眺めていたバロンは、一つ息を落とすと口を開いた。


「わかった。なら、精霊界に居るばあちゃんには伝えてくる。それでいい? ミル姉」


「……うーん。まあ、それならギリおーけー、かな」


「じゃ、そーいうことなら一度精霊界に戻るわ。プリュのことも気になるし」


 プリュ。その名にミルキィの瞳がはっと見開かれた。

 気持ちのままに身体が前のめりになる。


「そうだっ! プリュちゃん、あれから会ってないけど元気なの? ってか、バロン君のことも心配してたんだから」


 腕を解いて詰め寄ってくるミルキィを、バロンは上体をのけぞらせながら押し止める。


「オレは元気だけど、プリュはまだ眠ってる」


 琥珀色の瞳を揺らすバロンに、ミルキィは口をつぐんで身を引いた。

 彼の瞳の中に、心配と自責の色を見た気がして、ミルキィはもう何も言えなかった。


「……そっか。でも、苦しんでるとか、そういうことではないんだよね?」


「ああ。消耗した分の回復に努めてるだけ」


 頷くバロンに、ミルキィはようやっと表情を緩めた。


「なら、わかった」


 ミルキィの表情が聞き分けのいい子供の顔に見えたバロンは、彼女が安心するならばと、もう一つのことも教えることにする。


「安心しなよ。プリュはばあちゃんが見てくれてんだ」


 バロンにとっての祖母は、とても頼りになる大きな存在だ。立場も鑑みれば、シルフの名を冠する母よりも、ずっと。

 バロンの言を受け、ミルキィがほわりと笑う。


「うん。バロン君がそこまで言うんだもんね。心配しながら、待ってることにするよ」


 おばあちゃんが何者かは知らないけどさ。

 とミルキィが言うと、バロンはまたもやさらりと告げる。


「ばあちゃん、精霊王やってんし大丈夫だよ」


 ミルキィを安心させようと、バロンはいつも以上に明るく笑って見せた。

 そしてまた、彼は安心材料のつもりで口にした――精霊王、と。

 だが、人に対し、その言葉の重みと破壊力には、本人もとい本精霊は気付いていない。

 ばあちゃんは精霊王。その言葉が、ミルキィの中で木霊のように繰り返す。


「んじゃ、オレ一度精霊界に戻るわ」


 唖然としたままのミルキィには気付くことなく、すっくと立ち上がったバロンの姿は、瞬く間にその場から掻き消えた。

 きっと転移したのだろう。

 意識の片隅でそう思うも、ミルキィの思考はショートしたまま。


「は、ぃ――?」


 告げられた事実が衝撃過ぎて、間の抜けた声しか出せなかった。

 バロンは精霊王の孫――。

 お互いのことを知ろうと言ったのはミルキィだが、ここまで大きな事柄を知ることになろうとは。


「……まさかのロイヤルファミリー……」


 ミルキィは腰掛けていたベッドに背中から倒れ込んだ。


「……てかね。精霊王っていうのは、人と精霊の長い付き合いの中で、滅多に人前に姿を現さない、お伽噺みたいな存在なんだよ――?」


 ミルキィから長く漏れ出る息は、単なる嘆息か、脱力した吐息か――はたまた、畏れの吐息か。

 それは彼女自身にもわからなかった。

 精霊王は人々の前には姿を現さない、高潔で畏れるべく存在。

 分厚い精霊史に綴られるべく大事件の際、初めて人の前に姿を表したという記載があるらしいが、それだって数百年前の出来事だ。

 精霊樹が現れた事件としても有名だけれども、お伽噺感覚で語られるくらいには大昔だ――人々にとっては。

 きっと精霊にとってはそう昔の話でもないだろうことは、人々も解っている。

 当時の王が今でも王として在るとされており、当時の怒りは未だ燻っているのかもしれない。

 だって、それまで姿を現すことのなかった精霊王が、自ら姿を現す程の事件を人が起こしてしまったのだから。

 だから、渡しの精霊と呼ばれる精霊が今でも在るのだろう。

 渡しの精霊が王に代わって人と精霊を繋ぐ――それは互いの距離を保つため。

 それが分厚い精霊史に綴られる一節なのは、人々にとってはあまりに有名で当たり前の常識だ。

 それをバロンは軽く言ってのけるのだから。


「……脳内バグりそう……」


 ほとほと弱った声がもれた。




   ◇   ◆   ◇




 精霊界――。

 人の世と重なるようにして存在する、精霊が住まう界。

 その湖は四方を森に囲われ、浮島が一つ浮かぶ。

 浮島に根を下ろすのは、大樹と呼ばれる巨木。

 大樹は精霊の揺り籠であり、浮島を覆うほどの樹冠を織り成す枝葉が、時折きらめいて見えるのは眠る精霊の魂だ。

 旅を終えた精霊の魂は、この大樹へと還ってくる。

 そして、次の旅がはじまるまで、その疲れを癒やすのだ。

 それが精霊の揺り籠の謂われであり、それが精霊の廻り。

 大樹は精霊界の要――大樹が在るから、精霊界は存在できるのだ。

 そしてまた、その大樹を支えているのが、精霊を統べる者――皆から王と呼ばれる彼女だ。

 彼女なくして大樹は存在出来ず、また大樹なくして精霊界は存在出来ない。

 だから、精霊王は人々の前には姿を現さない――現せない。だけれども。


「――プリュイの目覚めが近いですね。シシィ達が今は不在ですから、私が“外”へ送り届けましょうか。も届けなければなりませんし」


 歴代精霊王随一の器と謂われる彼女――ヴィヴィならば、精霊界の謂わば常識も覆せてしまったりする。

 大樹のうろを棲家とするヴィヴィは、湖畔に立つとそっと湖の奥底を覗き込んだ。

 湖面に瑠璃色の瞳を持った白狼が映り、湖底から上る気泡に揺れる。

 湖は癒やしの湖であり、消耗の激しい精霊が、その身を安らげるために時折沈むことがある。

 少し前にはプリュイが沈んだ。

 湖底から上る気泡は、彼女から漏れ出た呼気――目覚めは近い。

 と。大樹がヴィヴィへ何かを報せるためにさわめいた。


「来訪者……?」


 ヴィヴィは樹冠を振り仰ぎ、次いで空へ視線を投げる。

 そこに小さな点を見つけ、瑠璃の瞳を凝らした。

 小さな点は次第に色を伴い、それが淡い黄の色だと気付くと、瑠璃の瞳は軽く見開く。


「バロン……?」


 “外”へ行っていると思っていた己の孫の姿に、ヴィヴィは小さく首を傾げた。

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