2-2.結び、それは


「――だからさ。オレの真名、受け取ってよ」


 バロンの真摯な眼差しが、ミルキィに向けられた。

 が。


「――は……? なんて……?」


 きょとん、とミルキィの顔が呆ける。

 何か自分が聞き間違いをした気がして、ミルキィはまじまじとバロンを見返してしまう。


「私なんか聞き間違いした気がするけど、受け取ってって……、誰が誰に……?」


「聞き間違ってないよ。オレがミル姉に受け取ってって言った」


「な、何を……?」


「真名を」


 バロンの返しに、ミルキィが硬まる。

 硬直したまま金の瞳が戸惑いで揺れた。


「……なんで」


「オレがそう思ったから」


「でも、真名を渡すってことは、意のままにされちゃう可能性だって――」


 あるということだ。

 ミルキィの戸惑いが怖れに変わる。

 精霊の真名は、存在そのものを示すものであり、精霊の魂に刻まれた名だ。


「ミル姉は、オレに良くないこととかさせないだろ?」


「それは当たり前だよっ!!」


 その問いには、反射的に声を張り上げてしまった。

 琥珀色の瞳を軽く見張ったバロンは、数度瞳を瞬かせると、緩やかに口の端を持ち上げた。


「だろ? だから、ミル姉ならいいと思った。それに何より、オレがミル姉に呼んで欲しいって思ってる」


 精霊の起源は人の祈りからと伝えられている。

 そして、それは事実だ。

 精霊は人の想いによって、その存在を保っている。

 精霊が名を呼んで欲しいと思うのは、精霊としては自然な心の動きだ。

 それがお気に入りの相手ならば、尚更そう強く思ってしまう。

 それは精霊としての性さがなのかもしれない。

 バロンが静かに笑う。


「だから、返事聞かせて。はいかイエスで」


「それ、どっちも一緒じゃん」


 ミルキィが苦笑を浮かべた。

 バロンに急かす色はないのに、提示された選択肢は実質一つだ。

 苦笑が苦い顔に変わり、俯く。


「バロン君の気持ちはわかった。でも――」


 ミルキィは顔を上げ、金の瞳を真っ直ぐバロンへ向けた。


「でも、なんで急に?」


「それは、オレの心があの夜に決まったから。ミル姉がいいなって」


 あの夜。ミルキィの口が静かに動く。

 バロンの返しには迷いがない。

 迷いがあるのは自分の方だ。唇を小さく噛んだ。


「……じゃあ、風になるっていうのは?」


「それはオレもミル姉に力貸すよってこと。精霊と結ぶって、そういうもんじゃん? ミル姉がこの先をどう選ぼうが、オレが傍に在るってのは結構大きいと思うし、そこから繋がるものもあんじゃない?」


 道を案内する風。ガイドみたいなやつってこと。

 迷いない返しは変わらずだが、そこでむふっと胸を張る姿は年相応に見えて微笑ましかった。

 けれども。

 ミルキィは緩くかぶりを振る。


「――……少しだけ、考えさせて」


 胸を張るバロンに、ミルキィは苦く笑い返すことしか出来なかった。

 彼から大切な“真名”を受け取るには、ミルキィにはまだ何かが足りない気がした――。




   ◇   ◆   ◇




 自室に戻ると、中学生くらいの男の子が、キャスター付きの椅子に座ってくるくると回っていた。


「お、ミル姉」


 部屋に入って来たミルキィに気付いたバロンが、椅子の回転を止めて振り向く。


「遊ぶなって、お母さんとかに言われなかった……? 精霊に人のルールを訊いていいのかわかんないけど」


 けれども、言わずにはいられなかった。


「あるよ、母さんにも父さんにも」


「人の知識はあるのか」


 精霊の彼も、親に言い聞かせられたことがあるらしい。

 そこに思わず感心した。


「だから、回って楽しむなら今かと思ってさ」


 にししとバロンは笑う。

 これまた、なるほど。そこにも思わず感心してしまう。

 親の目のないうちに、とはミルキィにも覚えのある気持ちだ。

 そこも精霊と人とで、あまり大きくは変わらないのかもしれない。

 だが。


「それでもやめてよ。怒られるの私なんだから」


 人の家でこの行動もまた、褒められるものではない。

 それでとばっちりは御免被りたい。


「へぇーい」


 バロンは不服そうに返事をした。




   *




「――で、ミル姉はミル姉の母さんと話できたの?」


 椅子の背もたれを前に向けて座ったバロンは、背もたれに顎を乗せて足をぶらぶらとさせている。

 ミルキィはベッドの端に座り、ゆっくりと首を横に振った。


「ううん。なんか短期の仕事みたいで忙しそうだったから、声だけかけてきた」


 閉め切られた部屋の向こうから返事だけはあったので、ミルキィが帰宅したことは伝わったはずだ。

 今日帰るということはメッセージアプリにも送っているから、それは母も把握しているだろう。


「そっか。ミル姉の母さんって、何の仕事してるの?」


「陣の改構士」


「陣って、人が魔法を扱うときのあの?」


「そう。要するに魔法を扱う時の媒介が陣で、お母さんはそれを改構築するのが仕事」


「ふーん……?」


 足をぶらぶらさせながら、バロンが首を傾げる。

 精霊はそもそも、存在そのものが陣みたいなものだ。

 馴染みないものだろう。


「改構築っていうのはね――」


 ミルキィは簡単に説明を始める。

 文明の発展に伴い、魔法は人々の生活園内からは遠ざかっていった。

 もともとが形態からして、誰もが扱える代物でもなかった魔法だ。

 誰もが扱うことのできる文明の機器へと人々の関心が移っていったのは、ある意味の自然な流れだったろう。

 だが、それでも魔法が廃れることはなかった。

 魔――人々はそれを魔力と呼ぶ――はいつの時代もそこらに漂っているもの。

 流れがあれば凝りもうまれ、それはやがて澱みとなる。

 澱みに囚われてしまえば、その者はやがて魔物へと堕ちていく。それがマナ溜まりと呼ばれる所以。

 それに澱みが呼ぶものはそれ以外にも――。

 それは人々の生活の片隅で蠢く存在。

 それらを退けるのもやはり魔であり、すべは魔法となる。

 だから魔法は廃らない。

 魔法師団なるものが今の世にも存在するのも、それが理由の一つ。

 だが、人が魔法を扱うには陣という媒体を必要とする。

 より効率的に扱えるよう、今でも国の各地でひっそりと陣の開発、改良の研究は行われている。

 そうして開発または改良された陣を、魔法師らは各々の形で行使する。

 中には己が振るう剣に組み込む者もり、剣に意匠として陣を彫り込む者を魔法編込士という。

 物体に体内魔力オドを練り込んだ特殊な技法で陣を編み込む者のことを言い、そしてまた、それは別の職と連なっていく。

 それが改構士。研究者らにて開発、改良された陣を、物体へと彫り込みやすくするために陣の簡略化を目的に、構築された陣へさらに手を加え、改構築する者たちを呼ぶ。


「――それってつまり、ミル姉があの夜使ってた、足音消す魔法の陣みたいな感じか」


「あのコンパクト化させた陣のこと? あれはお母さんの真似事だけど、そんな感じかな」


 全然足元にも及ぼないよ。

 そう言ってミルキィは苦笑する。

 ふーん、と気のない返事をしながら、バロンはぼんやりと思った。

 あれは真似事とは思えない、きちんとした効果を持った魔法に感じた。

 でなければ、そもそも自然魔力マナが応えるはずもない。

 人の扱う陣に関しては、精霊であるバロンにはわからないことだらけだが、形成された図式、連なる文字列、それらは到底真似事の範囲で為せるわけではないだろう。

 そのことはバロンでもわかる。


「そういうミル姉が持ってるものが、その先に繋がってくんだと思うけどな」


 ぶらつかせる足へと、バロンは視線を落とした。


「オレもその一つになれるんじゃねぇかなって、思うわけよ」


 顔を上げ、にかりとミルキィへ笑って見せる。けれども、ミルキィは怯えの色を滲ませる。


「……それは、結びのこと?」


「そ」


 ミルキィは顔を俯かせた。

 バロンの申し出は、実のところ嬉しいと感じている。

 それだけ彼は、ミルキィに信を置いてくれているということだから。

 それでも、踏ん切りがつかない。二の足を踏んでいる。

 だって、“真名”を渡すというのは精霊にとって、文字通りに全てを相手に差し出すのと同義だから。

 バロンはなんともないように言うが、はいそうですかと気軽に受け取れるものではないのだ。

 結び――端的に言ってしまえば、契約。相手を縛る術を持つということ。

 主従を感じさせる言葉を嫌ったその時代の人が、結び、と言い換えたことが、そう呼ばれるようになった始まりだと言われている。

 そこでふと、金の瞳が瞬いた。

 ミルキィが顔を上げる。


「……私が二の足踏んでる理由、わかったかも」


 目の合ったバロンが不思議そうに首を傾げた。

 ミルキィは彼と主従関係を築きたいわけではない。


「私、バロン君は友達だと思ってる」


「どーしたの、急に」


「だから私達、もっとお互いのこと知ろうよ」


 バロンとの結びを、友情の証としてなら受け取れる気がした。

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