1-20.ミルキィとルカ


 カーテンから差し込む光に刺激され、ミルキィはゆっくりとまぶたを持ち上げた。


「あさ……?」


 微睡みの中で、眩しさに目を細めた。

 暫しぼんやりとするも、見えているのが泊まり慣れたルカの部屋の天井だと気付き、一気に意識が覚醒した。

 金の瞳が瞬く。今度はしっかりとまぶたを開いた。

 身を起こすと、ルカのベッドで寝ているではないか。

 はてさて、寝転んだ覚えがないぞとミルキィは首を傾げる。

 ミルキィの栗色の髪はぴょんぴょんと跳ね、心なしか同じ毛色の獣の耳もくしゃりとしている。


「あれぇー?」


 顎に手を添え、首をひねった。

 と。


「……何をしておる」


 扉の開閉音と共に、呆れた顔をしたヒョオが顔を覗かせた。

 椀を乗せた盆を手に部屋へ入って来る。

 そこから立ち上る空腹を刺激する匂いに、ミルキィの尾が思わず振れる。

 正直すぎる己の尾を手で抑えつけながら、ミルキィはまじまじとヒョオを眺めた。


「人の姿だ……」


「それはそうであろう。人の姿に転じておるのだからな」


「ううん。そういうことじゃなくってさ、人の姿だなあ……って」


 何をわけのわからんことを、それもしみじみと。と、ヒョオの顔はますます呆れたそれになる。


「だって、ヒョオさん。昨夜は少なくとも剣だったじゃん。しかも燃えてたし」


「あれは燃えておらん。マナを発火させただけゆえ」


「じゃあ、結局は燃やしてんじゃん」


「……」


 ヒョオがミルキィに物言いたげな目を向ける。

 当の彼女は、やんのか、と堂々と構えてやると、やがて彼から、はあ、と嘆息がもれた。


「そんなことより、夕餉を持ってきたゆえ、適当に腹に詰めるといい」


 ヒョオは椀をサイドテーブルに置く。

 その様子を、ミルキィは呆けた顔で見ていた。

 ぱちくりと金の瞳が瞬く。


「……夕餉? え、今って朝じゃないの……?」


「なにを阿呆なことを」


 本日一の呆れ顔をしたヒョオが、つかつかと窓辺へと歩み寄ると、勢いよくカーテンを開け放った。

 そして、ミルキィへと振り返り、見よ、と窓の外を示す。


「既に外は暮れ始めておる」


 彼の言う通り、窓から覗く空は橙に染まっていた。

 それどころか、暮れを押しやる藍の色が見えなくもない。

 ミルキィからは乾いた笑いしかもれなかった。


「あ、あはは。寝すぎたみたい」


「まあ、それも無理はなかろうな」


 ヒョオの視線が意味ありげにミルキィへ向けられる。

 だが、ミルキィはその視線の意味がわからずに首を傾げた。


「ルカが戻って来たゆえに、安心したのであろう?」


 ミルキィの耳がぴくりと跳ねる。


「その安心感から、気が緩んでおるのではなかろうか。満月も過ぎておるしの」


「……確かに、昨夜よりは大人しくなってきてる感じはするけど――」


 不服そうにミルキィは己の耳を触った。


「まだ全然だよ。満月の次の日じゃ、まだだよ」


「――しかし、ルカは帰って来ておる。お主の傍にるゆえ」


 ヒョオはくっと笑い声をもらしたかと思えば、盆を手に踵を返して、ミルキィが呼び止めようとも部屋を出て行ってしまった。

 何が言いたいのか。ミルキィは不満げにむくれる。


「……なんか言ってること違くない? 年頃の自覚を、とかなんとか言ってなかったっけ?」


 要するに距離感を弁えろという意図だったのが、いろいろと落ち着いている今ならわかる。

 なのに、それがついさっきのあれはなんだ。

 あれではまるで、今はそれで構わないと言っているようにも聞こえる。

 はあ、と。大きくため息を落とした。


「お年寄りの言うことはころころ変わるものだもんね」


「ん、何が?」


 突として返ってきた声に、ミルキィは肩を跳ねさせる。

 人の気配に気付かなかったのは、ヒョオの言う通り、気が緩んでいるせいなのか。

 顔を上げれば、ドアから顔を覗かせるルカの顔があった。


「あ、ルカ」


「おう、ルカだ。廊下でヒョオとすれ違ってさ、ミルちゃんが起きたって聞いたからな」


 行儀悪く足でドアを開けたルカの手には、またもや盆があった。

 盆には湯気を立ち上らせる椀が乗せられている。


「一緒に飯、食おうぜ」


「え、あ……うん」


 にっと笑って見せるルカを見て、ミルキィはヒョオの先程の言葉を思い出す。


 ――ルカが戻って来たゆえに、安心したのであろう?


「――っ」


 ただ思い出して、ルカの顔を見ただけなのに。

 それだけ、なのに――どうして、頬に熱が集まるのだろうか。

 それがちょっとだけ恥ずかしく、ミルキィは咄嗟に顔を俯けた。




   *




 椀の中身は、程よく塩味の効いた鶏もも肉とキャベツのスープだった。

 キャベツはほろりととけ、鶏肉の柔さと共に優しい味が舌に広がる。

 ほおと息をついているうちに、椀の中はあっという間になくなった。

 名残惜しく感じながら空っぽになつた椀を置くと、横から伸びた手がさらっていく。

 ことっ、と椀が盆に乗せられた音が響く。

 そして、降り積もる沈黙。

 それが耐えられなく、ミルキィは咄嗟に声を上げた。


「そ、そういえばっ……!」


 声が裏返る。

 うわあ、恥ずっ。と思いながら、ルカの方を振り向いた。

 人一人分の感覚を空け、互いにソファに座っているこの距離感は、遠いようでいて近いような気がして、ミルキィは咄嗟に目をそらす。


「わ、私、いつの間に寝ちゃってた? ルカの部屋まで歩いてきた記憶ないんだけどさ」


「ああ、それね」


 きしっとソファが僅かに軋んだ。

 ルカが背もたれに寄りかかったらしい。


「宿舎見える辺りまで、ティアさんに風で運んでもらったのは覚えてる?」


「うん、そこまでは」


「そっか。その風から降りた頃には、気絶するように寝てたよ」


 で、部屋まで俺がおんぶしてベッドに投げた。

 と、ルカはベッドの方へ何かを放おる動作をする。

 ミルキィは顔を上げて思わずルカを見やり、覚えてないと嘆く。


「消耗してただろうし、疲れてたんだと思うよ?」


「でも、だからってそんな、おんぶって子供みたいじゃんっ」


「別にいいんじゃね? 俺とミルちゃんの仲だし、他のやつに運ばせるのは俺が嫌だっただけだし」


 肩をすくめるルカに、ミルキィは頭を抱えて呻いた。


「そうやって、ルカはすぐに私を子供扱いするんだからっ」


「……運ばせるのは嫌だった、てとこはスルーすんのね」


「ん、何か言った?」


「べーつにー」


 呻いていたミルキィが顔を上げると、面白くなさそうな顔をしたルカが天井を見上げていた。

 口を少しだけ尖らせた横顔が、自分よりも歳上だというのに子供っぽく思えて、ミルキィは頬を緩ませる。

 そこで、思い出すことがあった。


 ――なら、俺はミルちゃんの、ミルキィの寄辺にはなれねぇか?


 ――ミルキィの芯の部分に、俺を置いてはくれねぇか……?


 それは目の前の彼が昨夜告げた言葉。

 あの時は状況が状況だったしで受け止めきれなかったが、今ならば受け止められる。

 その言葉は、夜に灯る明かりよりも温かい、それこそ暖房器具並みにミルキィの心を温かくする。

 そしてなにより、ルカがその言葉をくれたことが、ミルキィにはすごく嬉しかった。

 ミルキィはルカを特別だと思っている。

 それがなんだか、ルカと互いの気持ちを通じ合わせたような心地になる。

 己の気持ちに正直過ぎる自身の尾が大きく振れた。

 今度はそれを抑えつけることなく、ミルキィは気持ちのままにルカへと飛び付いた。


「うおっ!?」


 横から抱き着く形になり、ルカから驚きの声が上がる。

 にんまりと笑ってルカを見上げると、彼は困惑が多分に含まれた複雑な顔で見下してきた。


「……いきなりなんだってんだよ」


「飛び付きたくなったから飛びついた」


「はあ? なんそれ?」


 ミルキィの獣の耳がぺたりと後ろへ倒れた。

 ルカの蒼の瞳に呆れの色がはらむ。

 これは所謂、撫でられ待ちというやつだ。

 そして彼は、これまた当たり前のようにミルキィの頭を撫で始める。

 んふふ、と満足げな息をもらした。


「……子供扱いすんなってわりに、お前がガキじゃねぇか」


「私、もう成人年齢はいってるもんっ」


「いーや、まだガキだね。気持ちのままに行動すんなよ」


 文句を言いながらも、頭を撫でる手付きは優しい。

 ミルキィは尾を振ったまま、ルカへと顔を埋めた。

 戸惑ったように一瞬ルカの身体が強張ったが、それでも、結局は彼の方が折れてくれるのだ。

 すんっと鼻を鳴らす。


「……おい待て。何やってる」


「ルカ吸い」


「やめれ」


 ルカが逃げようともぞもぞと動くが、ミルキィががっちりと腕でホールドしてるため、逃れられない。


「力強すぎっ」


「満月過ぎたけど、まだ月は満ちに近いし」


「そうでした……」


 男女差は確かにあるが、この状況下においては、人と人ならざる者の違いが大きく出る。

 それがわかったのだろう。ようやく諦めたようで、ルカの身体から力が抜けた。

 これで存分に吸えるというものだ。

 ミルキィは心置きなく、ふんすんと鼻を鳴らして吸い込んだ。


「…………やっぱ、ルカの匂いは落ち着く」


「やめろよぉ……なんだよ、この状況ぉぉ……」


「――……ねぇ、私の中にルカを置いてもいい?」


 呻くルカを気にせず、顔は埋めたままにミルキィはささやく。

 と、げほごほとルカが咳き込んだ。

 突然咳き込み始めたルカに驚き、ミルキィは彼から身を離す。

 ややして落ち着いたあと、ルカが眉間にしわを寄せてミルキィを見やった。


「は……? なんて??」


「だから、私の中にルカを置いてもいいのかって訊いたの。芯の部分に俺を置けって言ったの、ルカじゃんっ」


 少しばかりミルキィの声が拗ねる。


「確かにそう言ったな。言ったけどさぁ……、そう訊いてくんのは、なんか直球過ぎね?」


「そんなことないよ。私の中にルカの場所を作るってだけじゃん」


「言い方っ! それが直球過ぎんのっ!」


「ルカ、何言ってんのかわかんない」


 ミルキィがきょとんとした顔でルカを見上げると、ルカは複雑な顔で口を引き結んで唸った。


「……だから、まだ子供ガキっつーんだよっ」


 口をへの字にして顔をしかめたルカは、きょとんとしたままのミルキィの額を指で弾いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る