1-22.感じたぬくもり(2)
ルカと共に三人のもとへ向かうと、ダンストンが深刻な面持ちでルカを見やった。
「……ルカ、あとでちょいと話がある」
「ええ、わかりました」
ルカも深刻な顔つきで頷き返す。
ミルキィには何の事なのかはわからなかったが、ルカにはそれだけで伝わったらしい。
彼らの硬い雰囲気に、ミルキィは思わず身を固くする。
当たり前ながらに、声をかける機も逸した。
だが、ルカはすぐにミルキィを振り向き、手招きしてくれた。
「んじゃ、ミルちゃんの番な」
振り返ったルカの表情はいつものそれで、先程の硬い雰囲気はもうなかった。
それにほっとし、身体から力が抜ける。
そして、今度は別の意味で身体に力を入れ、ミルキィはダンストンへ向けて慎重に一歩を踏み出した。
実は言うと、言葉の用意はしていない。
けれども、言葉にしたい気持ちは決まっている。
「あ、あの――」
口を開くと、ダンストンの瞳がミルキィを見た。
一瞬だけ緊張に身体を支配されてしまい、堪らず口を閉じてしまう。
けれども、ミルキィはその瞳を、今度は逸らすことなくしっかりと見返した。
一度口を引き結んでから、もう一度、意を決して口を開く。
「――ごめんなさい」
口から溢れたのは一言。たった一言。
でも、言えた。それにほっとする。
だが、次の瞬間には何に対して、ごめんなさい、なのかを言葉にしていないことに気づき、慌てて言葉を続けようとした。
けれども、ミルキィが続きの言葉を口にする前に。
「嬢ちゃんの元気そうな顔見れて、ダンさん安心したね」
先にダンストンが口を開く。
いつもミルキィの前で笑ってみせる、あの豪快な顔でがははと笑った。
「この頃は嬢ちゃん食堂に来なかったろ? ダンさん、しょんぼりしちまって寂しかった」
それはオリヴィアにも言われた。
会うのも話すのも面倒に感じてしまってからは、ミルキィは食堂には近寄らなくなった。
その間の食事の面倒はヒョオに任せていたから、ダンストンとまともに会うのは、本当に久しぶりなのだと改めて気付く。
ダンストンが手を伸ばした。
反射的に身をすくめ、身構える。尾は足に巻き付いた。
警戒心が先立つのは、欠けた月とはいえ今宵も空に登るから。
人ならざる面がまだ強く出る時期だ。
しかし、ほぼ本能的に警戒するミルキィに反して、ダンストンの手は彼女の頭に乗る。
そして、そのままがしがしと手荒に撫で始める。
ルカとは違う、ごつごつとした大きな手。
でも、その温かさとぬくもりは同じだった。
途端。警戒の気持ちの現れで足に巻き付いていた尾は緩み、現金にも小さく触れ始める。
もう、いつかの時みたいに、その手を払うことはしなかった。
それが嬉しかったのか、ダンストンの口角が上がる。
「おう、なんだよ嬢ちゃん。前は撫でる前に払ったってのに、今度は払わねぇのか? デレ期ってやつか? ん?」
ぐわしぐわし。頭が揺れる勢いで豪快に撫でられる。
耳を隠すバンダナの端をミルキィは抑えた。
なんだか恥ずかしくなってきた。
「べつに、そんなんじゃないし。バンダナ取れちゃうから、もうやめて」
「いやぁ、頭を撫でさしてくれる嬢ちゃんなんて貴重だし、このままダンさんのお髭でじょりじょりしてもいいか?」
頭を撫でる手とは反対の方の手で、それを示すようにダンストンは無精髭をさする。
その口元がにやにやとしている。
ミルキィは本気で冷めた目をダンストンへ向けた。
え、やだ。キモい。そう語るミルキィの目に、ダンストンが途端に目を潤ませ、頭を撫でていた手が離れた。
ショックを受けたという様子で、ダンストンは開いた口元に手を添える。
その時点でミルキィの目は蔑みに変わった。
ダンストンのそれはあからさまな挙動であり、ご丁寧に息まで呑む。
「ええっ! ダンさん傷付いちゃ――」
「ああ、もうっ! ダンストンさん、それ以上はやめましょう」
「そうっすよっ!
それまで黙っていたサシェとグランが、思わずといった様子で声を上げた。
「……それはさすがに、俺でも引きます」
ルカに至っては実際に身を引く程に。
そして、さり気なくダンストンからミルキィを遠ざけるのも忘れていなかった。
ミルキィを遠ざけたルカの手は、彼女の肩に置かれたまま。
「お?」
ダンストンの眉が面白そうに跳ねる。
その口元がにまりと笑った。
「なるほどねぇ。ダンさん、ちょっとわかっちゃった」
ダンストンの瞳が意味深な色を宿してルカを見やる。
ルカはそっとミルキィの肩から手を放すと、にこりと笑みを貼り付けてダンストンを見返した。
「ああ、ダンストンさんが危ないおじさんだってことにですか?」
ダンストンの片眉がぴくりと小さく跳ねる。
それっきり笑顔で黙る二人に、ミルキィは困惑気味に彼らを交互に見やった。
あれから仕切り直した彼らに、ミルキィは改めて向かい合った。
まだ肝心なことを伝えていない。
心許ない心地で、思わず自分の服裾を掴む。
「ほら、大丈夫」
ぽんっ、と肩にルカの手が乗った。
たったそれだけなのに、その声とその手の温度だけで、ミルキィの緊張がほるりと緩む。
ちらりとルカを見上げると、蒼の瞳がしっかりと頷いてくれた。
それでもう、充分だった。
ふう、と息を一つ落とす。
ミルキィは三人へ――ダンストンへ金の瞳を向ける。
その視線をダンストンはしっかりと受け留めてくれた。
ミルキィの手がゆっくりと持ち上がり、バンダナの端へと伸ばされる。
するりと結び目が解け、バンダナが落ちた。
そこから現れたのはぴんと立ち上がった獣の耳――人とは違う、それ。
息を呑む気配が幾つもした。直視は、出来なかった。
目を伏せるミルキィに、けれども、彼らの声が上向かせる。
「え。女の子にケモミミとか、ちょっとあざと――ていうか、需要あるな……」
「グラン、空気を読みなよ」
ばしんっ、と聞こえたいい音は、サシェがグランの背を叩いた音だった。
ミルキィの目が丸くなる。きょとりとしたまま、金の瞳は瞬いた。
そんな中で、ダンストンはからりと笑う。
「でも、その姿はなんか……――そう、しっくりくるな」
「しっくり……?」
ミルキィは小首を傾げた。
「おうよ。嬢ちゃんって感じがするってことだぁな」
彼らしくがははと大きく笑い、ダンストンの手が伸びる。
ダンストンの意図にルカが先に気付く。
が、阻止するために伸びたルカの手を容易く避けたダンストンの手が、ミルキィの頭にぼんっと強く乗った。
その手がまたもや雑に撫で回し始める――前に、なにやってんだい、と咎める声が響く。
「女の子の頭をおっさんがみだりに撫でるもんじゃないよ」
ダンストンの手が横から伸びた手に弾かれ、横やりの声にダンストンの顔が渋面に染まった。
「誰がおっさんだぁ?」
「あんたはもう十分におっさんだよ」
「そういうお前はおばさんだろーが」
「ああ、そうさ。あたしは食堂をまとめるおばちゃんだよ」
ダンストンと言葉の応酬をしながら、押してきたワゴンから料理の盛られた皿を卓へと並べていく。
サシェとグランがそれを手伝い始め、ミルキィはまたもや目を丸くして、オリヴィアとダンストンを交互に見やる。
ルカはそんなミルキィを椅子に座らせると、自分もその隣に腰掛けた。
「俺達の分も頼んであっから、ここで一緒に食べてこうぜ。スープだけじゃ物足んねぇだろ」
「あ、うん。そーだね……?」
そう言って、ミルキィはサシェが並べてくれた皿に視線を落とす。
そこにグランがレンゲを手渡してくれた。
慌てて礼を言うと、冷めないうちに食べなと言ってくれた。
「うまそっ」
その声にミルキィはルカを見やる。
盛られたご飯をレンゲですくって口に運ぶルカの姿を見、ミルキィはもう一度目の前の皿に視線を落とした。
湯気が立ち上る炒飯。
「美味しそう……」
「野菜の余り物でつくったものだけどねぇ」
オリヴィアの声に顔を上げる。
お食べ、と目で促してくれるオリヴィアに、ミルキィはレンゲで炒飯をすくう。
口に運べば、ご飯に卵を絡めたらしい素朴だけれども優しい味わいと、塩味の効いた野菜の味が広がる。
ミルキィは美味しいと顔を綻ばせた。
そんなミルキィの表情に、オリヴィアが満足げに笑う。
「気に入ってもらえて良かったよ」
サシェとグランもレンゲが進んでいる様子に、オリヴィアの笑顔はますます深まる。
なのに。
「野菜ばっかで肉がねぇじゃねぇか。肉入れろよ、肉をよぉ」
がつがつと炒飯を口に運びながら、ダンストンが不満を口にした。
「あんたは逆に野菜を食いな、野菜を」
「おれは肉の方が好きなんだよ」
「なぁに、子供みたいなこと言ってんだい。食事はバランスよく、だよ」
またもや始まったオリヴィアとダンストンだが、ミルキィは気にすることなく目の前の炒飯を食す。
それはルカも、サシェもグランも同じで、ミルキィは彼らの顔をちらりと盗み見る。
この顔ぶれで卓を囲んで食べるご飯は、もしかして初めてなのではないかと思い至る。
それがなんだかむず痒くて、その気持ちを誤魔化すように、ミルキィは炒飯を口に運んだ。
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