1-21.感じたぬくもり(1)


 日も暮れた、夜と呼ばれる時間帯。

 けれども、夕飯の時間には少しばかり遅い時間。

 先程まで賑わっていた食堂も、今では夜の静けさに包まれている。

 団員達が夕飯を済ませてしまえば、普段の食堂では明かりは消え、厨房だけが照らされているのに、今夜はどうしてだか違った。

 食堂には明かりが灯り、難しい顔をして卓を囲む三人と、厨房から怪訝な顔でその様子を窺うオリヴィアの姿があった。

 ルカに連れられて食堂の戸口まで来たミルキィは、彼の後ろからちらりと食堂を覗く。


「おや、ルカにミルちゃんじゃないかい」


「食器を下げに来ました」


 ルカ達の姿に気付いて人好きのする笑顔を浮かべたオリヴィアに、ルカは盆に載せた椀を軽く掲げて見せた。


「それはありがとうねぇ。そこに置いといておくれ」


 ルカがカウンターへ盆を置くと、オリヴィアが近くまで来た彼に顔を寄せて声を潜める。


「あれ、何だい? 仕事が長引いて夕飯を食いっぱぐれたあ、なんて言うから、軽いもんでも作ってやるから待ってなって言ったらあれだよ」


 と、親指でくいっと指し示すオリヴィアの表情は、訝りと不安と心配がないまぜになっていた。

 ルカはそれに対して、ただ苦く笑って応えることしか出来なかった。

 オリヴィアが嘆息する。


「仕事のことに関しちゃ、守秘義務とかなんたらで、ただの厨房おばちゃんに話せることは少ないだろうけど、ああも沈んだ顔されちゃあね、心配にもなるってもんさ」


 オリヴィアは緩く首を振り、諦めたように静かに息を吐く。

 けれども、次に彼女が顔を上げた時には、その顔に先程の憂いげな色はなかった。

 切り替えが早くなければ、こんなところで厨房のおばちゃんなんてものはやってられない。

 ルカが置いた盆を手にすると、オリヴィアは厨房の奥へと引っ込む。

 皿洗いや翌日の仕込みをしている厨房員に盆を渡すと、すぐにルカ達の元へと戻って来た。

 そして、食堂に来てから、ずっとルカの後ろに隠れていたミルキィへと視線を向ける。


「ミルちゃんとは、少しばかり久しぶりだね」


 オリヴィアが表情を和らげて。


「ここのところのご飯の受け渡しはヒョオさんだったからね。ミルちゃんは元気してるかなって、心配してたんだけど」


 そこで、彼女はにこりと笑った。


「元気そうな顔が見れて、おばちゃんは嬉しいよ」


 その笑みが優しくて、ミルキィは咄嗟に目を逸らしてしまう。


「こら、ちゃんとするって決めたんだろ」


 肩越しに振り返ったルカから諫める声がした。


「ああ、いいんだよ、ルカ。ミルちゃんだって難しい年頃なんだから、そういう時もあるもんさ」


「だからって、心配してくれてる相手にする態度ではないと思いますけど。そこはきちんとさせないと」


 二人の会話がなんだか子供に対するそれに聞こえ、ミルキィの内心は面白くない。

 けれども、確かに失礼な態度だったと思い直す。たぶん、大人がする態度ではない。

 それに、オリヴィアはちゃんと、ミルキィをミルキィとして見てくれる人なのだから。

 だから例え、服から獣の尾が飛び出ている今の姿を見られても、きっと大丈夫だ。

 ミルキィも向き合うと決めたのだから。

 口を強く引き結び、意を決してルカの背から一歩踏み出す。

 おや、とオリヴィアの優しい視線を感じた。

 それが嬉しくて、尾がひょんっと小さく揺れた。

 ミルキィは、そんな彼女をしっかりと見据えて――。




   *




 尾を垂らすミルキィの姿に、最初は驚きこそしたオリヴィアだったが、柔く笑いながら言ってくれた。


『それでも、ミルちゃんがミルちゃんなことに変わりはないよ』


 食べたいものがあったら、今度言いな。おばちゃん、美味しく作ってあげるからね。

 最後にそう言って、オリヴィアは厨房の奥へと戻って行く。

 その後ろ姿を見送っていると。

 

「よかったじゃんか」


 ルカがミルキィの頭をぐしぐしと乱暴に掻き回し始める。

 反射的に頭に結ぶバンダナを強く抑えた。


「や、やめてよっ! バンダナがズレるっ!」


 獣の耳を隠すために結んだバンダナだ。

 向き合うと決めたけれども、それでもまだ、隠すための武装これは手放させそうでもない。

 暫くそうしていると、気が済んだのか、やがてルカの手が離れる。

 だが、まるでその代わりのように、にやにやと笑う気配が隣からし始めるではないか。

 ミルキィはちらりと横目でルカの様子を窺った。


「……な、なにさ」


 ミルキィを見下ろす蒼の瞳が、によっと面白がるように笑っている。


「いや、反応が照れ隠しっぽいなと思ってさ。嬉しかったんだろ?」


 図星だった。

 にやつくルカの口元がムカついて、ミルキィは口をへの字にすると、肘で隣を強く突いた。

 いい音がいいトコに入った感触がし、痛ぇっ、と隣から叫びが上がったが、それを無視したミルキィの足は食堂の中へと向かう。

 厨房の奥からは、何やってんだい、というオリヴィアの呆れた声が聞こえたが、たぶん、ルカに対して言ったことだろう。

 肩越しに振り返ると、目が合ったオリヴィアが軽く手を振ってくれた。

 それがちょっぴり嬉しくて、また尾が小さく振れた。

 何か反応を返さなくてはと、そわそわとした妙な浮き心地で、ミルキィも小さく手を振り返した。




 次に向かうは卓を囲む三人のところだ。

 先程のオリヴィアとのやり取りに勇気付けられ、よしっと気合を入れ直した――ところで、その三人が既にミルキィを見やっていることに気付く。

 あれだけ騒げば気付かれるか。

 と。その中で、さらにダンストンと目が合ってしまい、ミルキィは固まった。

 彼の瞳に揺らぐ感情を垣間見る前に、ミルキィの方から目を逸らす。

 向かっていたはずの足も止まって、そこから一歩も動けなくなってしまった。

 思い出すのは、昨夜のこと。

 森の中でダンストンとすれ違い、そして自分は――手をぎゅっと握り込み、俯く。

 そう、自分は彼を気にすることなく去った。無視したのだ。

 あの時の自分は、確かにどうでもいいと思っていて、そして、関わりのないものとして手放すつもりだった。

 ミルキィにぬくもりをくれる人だったのに。

 そんな人を無視してしまった。無視を、した。


「……怒ってるかな。ううん、もう気にされてすらないのかも」


「なにしてんだよ」


 背中に軽い衝撃。

 とっ、と背を押され、思わずミルキィは一歩足を踏み出す。

 手の感触、形からそれが誰かはすぐにわかった。

 脇腹を抑えながら、横に並び立つルカを軽く睨み上げる。


「ごめんなさい、するんじゃなかったのか?」


 蒼の瞳がミルキィを促すように三人を見やり、もう一度ミルキィを見やる。

 そして、ルカの方が先に彼らの元へと向かって行ってしまう。

 それがまた悔しくて、ミルキィは思いっきり口をへの字にして後を追いかける。

 子供扱いだと思う反面、怖気づいたミルキィを勇気づけるためだとも感じて、それが何となく嬉しくて――悔しかった。

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