閑話 森と縁あるその色
夜の森に風が吹き荒ぶ。
大きく身を揺すられ、木々はざわざわと枝葉を互いに擦り合わせる。
その大きなざわめきから落とされるように、木々の隙間から小さな影が落ちた。
「ぴえっ!?」
小さな悲鳴も、木々のざわめきの大きさに隠れてしまう。
小さな影が落ち、地へと頭から突っ込む前にその姿がぶれ、次の瞬にはむくりと影が伸びて立ち上がった。
腰まで届く茶の髪を暴れぬようにと手で抑えながら、彼女は夜空を仰いだ。
時を同じくして、星を抱く夜空を背にした鳥影が迫る。木々の間を器用に縫い、地へと降り立った。
その鳥影の持つ白さに彼女はいつも息を飲むのだ。
夜にも浮かぶ真白は、上位精霊のその上を示す“白”。
単なる一上位精霊でしかない己では、決して敵わぬものがある――と、本能が静かに告げる。
頭の飾り羽根と尾羽根を風になびかせながら舞い降りた大鳥は、大人を一人か二人程度ならば、余裕で背に乗せて飛べそうな程の体躯。
その背に乗せてもらうには、大鳥に地に伏せてもらわねばならなそうで、その体躯にも彼女はいつも圧倒される。そしてそれは、今までも、これからもそうなのだろう。
大鳥の琥珀色の瞳が彼女を見下ろした。
その左目にはうすらと縦一文字の傷痕が走っている。ふと、その瞳が和らげな色を滲ませた。
大鳥の姿がぶれたかと思えば、瞬き一つの間で人の姿へ転じる。
背に流した白の髪は緩く編まれ、傷痕の走る左目は流した前髪で隠れた。その瞳が彼女を見やると、親しみの色を滲ませる。
「森が気配を隠している様子だったから、気になって確かめに来たらミントだったのね」
「……シルフ様がいらっしゃるとは思わなかった」
「ティアでいいわよ――ふふっ、今はデキルオンナ・ミントなのね」
ティアが苦笑すれば、ミントはむふんっとした表情で、腰に手を添えて胸を張ってみせた。
途端にミントの面差しに幼さがはらむ。
「ミント、やっと人の姿に転ずることが出来るようになったのっ! 憧れのデキルオンナ、ミントなのっ!」
「口調、戻ってるわよ」
くすりと笑ったティアに指摘され、ミントははっと慌てた様子で表情を引き締めた。
が、ミントの姿がぶれる。
「今日はちょっと疲れたの……」
ティアの視線が落ちる。そこには、へたりと座ったリスの姿があった。
背には縦縞模様、大きな尾はくるりと渦を描く。
ティアはミントの前に膝を折ってしゃがむと、両手を合わせて掬い上げた。
両手の平に収まったミントは、きょとんとした顔でティアを見上げる。
「あなた、バロンに会ったのよね? それで、森に呼ばれてここまで来た。違う?」
ぱちくりと瞳を瞬かせるミントに、ティアは面白そうに笑顔を浮かべた。
*
ティアは太い幹に座し、その肩にミントの姿はあった。
さわざわと夜風が吹き、枝葉を揺らす。
夜空には星が瞬き、その散らばる星々を見上げながら、ティアがぽつりと呟いた。
「街中にもやが立ち上ってたんだって?」
琥珀色の瞳がゆっくりとミントを見やる。
「魔の流れって、どうしても淀みが生じちゃうものだから、それは珍しいものでもなんでもないけど――」
ミントは尾を揺らし、ティアの言葉を継ぐ。
「時期が悪いって、精霊王さまが仰られてたの。だから、ミントが任されたの」
えっへん。ミントがちょっぴりとだけ胸を張って身体を反らせた。
ティアが瞳を瞬かせ、くすりと小さく笑う。
ミントがどこか、少しだけ誇らしげに見えたから。その彼女が自信ありげに言葉を続ける。
「今動けるの、ミントだけなの。だから、現状把握、ミントがしてくるの」
「精霊王様に頼まれて?」
「そうなのっ! ミント、デキルオンナだから」
ふぁっさと、ミントは今はない髪を後ろへ払う仕草をした。
くすくすと小さく笑いながら、ティアはなるほどと頷く。
主要な精霊が今は出払っている状況下だ。
シルフであるティアにシシィ、渡しの役名を持つスイレンも、渡し役の結び精霊であるヒョオも、皆この現地調査に赴いている。
魔物討伐の必要性は既に示唆はされているため、現地調査を終えたのちは、その対応に追われることになるだろう。
精霊の春と、精霊祭。どちらも大事な催し物となる。
他地方から人がやって来る時期なのだから、その前に目下の安全は確保しなければ。
まず優先すべきは魔物討伐と、濃い魔を鎮めること。
それは魔法師団と精霊、互いの協力が必要だ。
「精霊王様が“外”においでになられるには、影響力が強すぎるものね。それなら、動きやすい身であるミントが適任なのかもしれない」
と、そこでティアの瞳がきょとりと瞬く。
さわと風が枝葉を揺らし、煽られる髪を手で抑えながらミントを見やった。
「――ねえ、ミント。あなた、ここに居て大丈夫なの?」
突とした問い。
問われたミントも、愛らしい小さな瞳をきょとりと瞬かせた。
「ミント、プリュイが精霊の春で祝をもらうとこ見に来たの」
「それは時期的にそうなのかなって思ってたけど。バロンもプリュイも、ミントには幼い頃から可愛がってもらっていたし」
「ティア様とシシィ様のお子だもん、とーぜんなのっ!」
むふんっ、とミントが笑う。
瞬、周囲の木々がざわついた。
揺れる枝葉にミントが
それはまるで、何かをせっつくように。
「森が何か……?」
ティアが首を傾げた。
このざわつきの木々の揺れは、風の助けを借りてはいても、風の意思とは違うところにあるようだ。
森が何かを訴えているように感じる。
だが、風の精霊であるティアには森の意思が見えない。
枝葉に突かれ、ミントがティアの肩から転がり落ちた。
ミントはむくりと起き上がると、ちょいちょいと突いてくる枝葉に頬を膨らませる。
「ミント、きちんと留守にすることは伝えてきたの」
木々が大きくざわついたのち、頃合いよく吹いた夜風を利用して葉を落とした。
はらりと落ちて行く様はまるで。
「な、なんでため息つくのっ……!」
森がため息をついたよう。
ミントが慌てた様子で木々を見回す。
「なんで精霊の森さんが知ってるのっ!? あっ! 精霊樹の森さんがチクったの、そうなの??」
ミントががばりと物凄い勢いでティアを振り返った。
それに少しだけ身を引きながら、宙空を見つめて応える。
「……それは、まあ。精霊の森と精霊樹の森は同じ大樹を祖としてるし、どこかでネットワークみたいな繋がりは、あるかも、しれないけど」
ティアがミントを見下ろす。
「あなた、“精霊樹の守り役”のお役目はどうして来たの?」
ミントがそろそろとティアから目を逸らした。
「そ、それなら……ティア様も、シルフ様としてのお役目は……?」
「私は、先代シルフであるフウガ叔父さんに頼んできたもの」
ミントの顔に、まずいかも、という色が浮かんだ。
「あなたはどうしてきたの?」
「ミ、ミントは……」
「うん」
「……………………ちょっと留守にしますって」
「……まさかとは思うけど」
「…………書き置き残してきたの」
「やっぱり事後報告」
はあ、と。ティアの呆れたため息が夜風に溶け、星が瞬く空へと消えた。
「それ、ダメなやつよ」
「わかってるの。帰ったら謝るつもりなの」
目を逸らしていたミントがティアを見上げる。
こうなったら開き直りだ。
「だってここに来るまで、森さん達も協力してくれたの。悪いのミントだけじゃないの」
「そういえば、あなたは森の気配に隠されていたわね」
「そうなの」
「てことは、森にも何か意図が……?」
ティアが木々を見渡す。
けれども、あれだけざわめいていた木々が今度は静まり返っている。
これではティアにはわからない。
同じく木々を見渡していたミントが、不思議そうに首を傾げた。
「なんでみんな、そっぽ向いてるの?」
「……てことは、森の個人的――というか、個木的な事情?」
ティアとミントは互いに顔を見合わせる。
そこに風が吹き、ティアの髪を揺らした。
琥珀色の瞳が瞬き、風を振り返る。
「え、ミルキィちゃん?」
風から落とされた名にティアは一瞬眉をひそめたが、ややして眉を跳ね上げた。
「やっぱり、気のせいじゃなかったのね。……なるほど、それで
「ミント、よくわからないの」
ティアの服裾をくいっと小さく引っ張り、ミントが彼女を見上げる。
「ミルキィちゃんの魂の色には覚えがあったのよ」
ミントを見下ろしながら、ティアの脳裏に過るのはとある少女の姿。
かつての縁。そして、とある精霊の廻りのきっかけ。
ティアは木々を見上げた。
「あの子の助けになって欲しかったのね」
夜空に散らばる星々を背景に、木々が風に揺れてさわめく。
それはまるで同意しているようにも見えた。
「大精霊としての立場的に、
ティアが夜空を見上げ、呟きが夜に溶ける。
「……
こてんと首を傾げたミントも、ティアと同じように夜空を見上げた。
さあ、と夜風が吹き抜ける。彼女らの髪や体毛を揺らすそれは、少しだけ嬉しそうな柔さをはらんでいた――ような気がした。
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