1-6.人と精霊の距離
日が昇り始めて少し経った頃に、バロンは目を覚ました。
淡く朝焼けの色がカーテンの隙間から射し込む。
夜明けの空気を吸い込み、身を起こした。
が、自身の動きが封じられていることにすぐに気付く。
「――おいおい、ミル姉そのまんま寝たのかよ」
ミルキィはバロンとプリュイを抱えたままソファで眠っていた。
さすがに座ったままの体勢でなく、身体を横に倒して眠ることにしたようだが、抱き枕の如く自身とプリュイを抱え込んでいる。
一緒に彼女に抱え込まれたプリュイを見やる。
バロンの隣ですぴすぴと気持ちよさそうに寝ていた。
この様子だと、プリュイはもう暫くは起きないだろう。
これで起こそうものなら、機嫌がすこぶる悪くなる。
それは勘弁だな、とバロンはげんなりした。
ふうと短な息をもらしてから、バロンはミルキィの腕の中でもぞもぞと静かに動き出す。
彼女達を起こさないように動き、ややして、ミルキィの腕からの脱出に成功する。
抜け出したバロンは、宙で少年の姿に転じて着した。
カーテンから差し込む淡い朝焼けの色に、彼の淡い黄の髪が透ける。
窓辺に寄り、眠る彼女達を照らさぬようにカーテンを開けた。
窓から空を見上げる。まだ朝焼けには早く、けれども、夜は明けきれてはいない空だった。
言うなれば、朝焼けの夜空。淡い朝だ。
眠るプリュイを抱え、バロンは一度精霊界へと戻った。
まだ寝入っていたスイレンの寝床に、静かにそっとプリュイを放り込んでから“外”へと引き返す。
なんとなくだが、バロンの足は自然と精霊の森と呼ばれる方へと向かっていた。
ひんやりとした空気がバロンを迎える。
歓迎するように風が吹き抜け、木々がさわめいた。
緑と土の匂いに包まれ、彼は少年から小鳥の姿へと転じさせる。
手頃な枝に留まると、目を閉じた。ぴるるぅと鳥としての声がもれ、思いの外、己がご機嫌なことに気付いて小さく笑う。
この森は居心地がいい。それはいつの時代も変わらずで。
その
この地に暮らす人々が、変わらず精霊を隣人として寄り添ってくれているから。
そしてまた、精霊も人を隣人として寄り添ってきたから。
そうして精霊と人は程よい距離感を保ちながらも、共に森を支え歩んできたから、今も豊かな森に生きている。
* * *
木々の葉を透ける陽で目を覚ました。
日はいつの間にか天頂近く。長く微睡み、揺蕩っていたらしい。
「寝ちった……」
バロンはあくびをもらした。
さわりと柔い風が羽毛を撫でていく。
「一度精霊界に戻んないと、じいちゃんにぼやかれるかもしんないかな」
ふうと短な息を吐く。
なんせ、押し付けてきた形だ。
ひとりでのんびりと過ごしたい気分だったために、妹のプリュイを祖父であるスイレンに任せてきた。
あれは押し付け以外の何物でもないだろう。
戻った際にはスイレンから小言をもらうのだろうなと思うと、バロンはもう今からげんなりする。
はあ、と。今度は諦めの嘆息をもらす。
さて、そろそろ戻るか。
そう思ったとき――風が、ひとつの声をバロンへ届けた。
――俺さ、もっと力欲しいわけよ
動き出したバロンの動きをその場へ縫い留める。
風が届けた声音に、穏やかではない響きを感じた。
視線を投じれば、バロンの留まる木から少し離れたところに、三人の人影が確認出来る。
見るからに若そうだ。
「あいつらの声、聴かせて」
バロンが呟けば、気まぐれで応えてくれた風が枝葉を揺らした。
*
「なんだって? 力が欲しいって?」
「なんそれ? 我に力を――っ! 的な?」
一人が、疼き始める手をもう片方の手で抑えつける真似をする。
もう一人がそれを指差し、声を立ててげらげらと笑った。
「何の力だよ。秘めたる力が目覚める的な?」
あげくに、その二人は腹を抱えて笑い始める。
そのうちにそこらを笑い転げそうな勢いだ。
そんな彼らを見やり、残る一人が明らかに気分を害した様子で顔をしかめる。
「んだよっ。そんなんじゃねぇってっ!」
荒らげられた声に、笑い転がる勢いで笑っていた二人が静かになる。
互いに顔を見合わせ、気まずげに彼を見やった。
「……そんな怒んなって」
「そうだよ。ただの冗談じゃん」
悪かったと謝を口にした二人だが、彼は未だに不機嫌のままでそっぽを向く。
困った二人は、しおらしく彼の話を聞いてあげることにした。
二人で小さく頷き合い、彼へと向き直る。
「んで? 突然どうしたんだよ、力が欲しいなんて」
「なんか悩み事でもあんの?」
話を聞く姿勢を見せた二人に、彼は次第に気分を良くしていく。
「しょうがない。話してやるよ」
嘆息混じりの声が、少しばかり鼻持ちならぬ感じではあったが、二人は黙って続きを促す。
「今の時代ってさ、帯剣とか、そーいう武器の所持って基本的には認められてないじゃん?」
彼の言に二人は頷く。
昔と呼ばれる時代には、帯剣は別段咎められる対象ではなかったらしい。
けれども、現代と呼ばれる今の時代では、帯剣及び武器となり得るものの所持は、それに準じた職業、もしくは許可が必要だ。
「でも、俺はさっ! 剣を振り回してみたいわけなのよっ!」
「は――?」
そこで、大人しく話を聞く姿勢を保っていた二人が、一気に胡乱げな顔になる。
「お前らもそーいうのない? 炎をまとった火炎剣みたいなのとか、水をまといし水流剣っ! とかさぁっ!」
きらきらとした目で二人を見やる彼だったが、その二人は冷めた表情で彼を見返していた。
「ない」
「おう、ないな」
「はっ!? なんでっ!?」
二人は大仰にため息をついてみせる。
「……だってさぁ。確かにそういう魔法はあるけど、それってかなりの上位魔法で、
「そうそう。それも発動出来たって、それを扱うにも維持するにも、結構な気力いるみたいだし」
およそ実用的とは言えない魔法である。
それに。
「それにさ。僕らって帯剣の許可はまだ下りない下っ端じゃんか。まずは雑用しながら学んでこつこつと。んで、見習い課程を経てはじめの一歩」
一人がつらつらと語り、隣でもう一人がうんうんと頷く。
「そこからも先輩の補助経験を積んで、そこで初めて握れるかもってやつだろ? それも始めは剣術とかからだし、訓練鍛錬とか身体も鍛えないと握れすらしない」
わかったか、と先程まで目をきらきらさせていた彼を見る。
彼を見る目は真剣な色を帯びていた。
「憧れる気持ちもわかるけど、まずは目の前のことを真面目に、だ。……まあ、僕はそんな汗臭いの好きじゃないから、先輩の補助――後方止まりでいいけどね」
肩をすくめ、お前もだろ、と隣の一人にも訊ねる。
「まあ、そうかな。そもそもこの師団に入団したのだって、そこそこ給料よかったからだし」
「魔物討伐とか、護衛任務とかに参加出来るようになれば、だけどね」
「まあね」
互いに苦笑して肩をすくめ合う彼らに、残された一人がつまらなさそうに口を尖らせた。
「なんだよ、お前ら。せっかく魔法が扱えるとこに来たんだぜ? もう少し夢みようぜ」
「それより、お前は現実見たほうがいいぞ」
「俺らの
この話は終わりとばかりに、二人は彼に背を向ける。
あ、おいっ。彼がその背を呼び止めるも、二人はひらりと片手を上げるだけでその背は遠ざかって行く。
「……」
残された彼はしばらくその背を見つめていたが、やがて、苛立たしげに地面を蹴り上げた。
抉られた下草が宙を舞い、落ちる。
ちっ、と舌打ちが聞こえたと思えば。
「精霊とさえ結べれば、俺だってすげぇ魔法使えるんだからな。ここには精霊がたくさん居るんだ。ひとりくらい捕まえれば――」
不穏に揺れる呟きが残された。
* * *
声を届けた風が、ぴゅうと細く鳴いて空に抜ける。
その軌跡を追いかけながら、バロンは枝葉の隙間から覗く空を見上げた。
天頂に届く陽が鋭く、琥珀色の瞳を細める。
「――精霊は、力を欲するだけの者の声には応えない」
近いゆえに遠い。ヒョオの言葉を思い出す。
彼が言っていたのはこういうことなのだろうか。
「……確かに魔法なんて奴は、今の時代じゃあ、魔物討伐くらいにしか役に立つ場面ないけどさ」
もともとが生活に溶け込むこともなかった魔法だ。
それが文化の発展と共に人々から離れていくのも仕方ない。
だから、物語やお伽噺に憧れを持つ理由もわかる気はする。
でも、だからと言って、力を欲し、その力を得るための手段としか精霊を見ていない。その姿勢は好きじゃない。
「……胸クソ悪ぃ」
口悪く呟き、バロンは両翼を広げた。
ばささ、と。大きく羽ばたく鳥が一羽、木から飛び立って行った。
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