1-4.近いゆえに遠いもの


 本舎――渡しの間。そう呼ばれる部屋は、渡し役を担うルカの仕事場だ。

 渡しの精霊であるスイレンが定期的に訪れては、互いに近況を伝え合い、繋がりを確かめ合う、人と精霊の繋ぎの場。

 そしてまた、定期的に各地から精霊の報告が集まる場でもある。

 今から数百年前。かつての度重なる戦により、疲弊した大地があった。

 荒れ果ててしまった地には乾いた大地が広がるばかりであり、多くの人々がその地を去った。

 そしてまた、多くの精霊もその地を去った。

 精霊は人に惹かれる。ならば、人が去った地から精霊もまた去ってしまうのも、仕方のないことだったのかもしれない。

 だが、その地に残った精霊もいた。唯一残ったのは老いた精霊。

 彼女は疲れ荒れ果てた大地に癒やしを与え続けながら、その地に残った人々と支え合いながら暮した。

 そんな日々の中で彼女は考え、そしてある時、ついに行動を起こした。

 それは人と精霊、そして魔族をも巻き込む騒動となる。

 それから数百年経った今。

 同じことを繰り返さぬようにと、精霊は各地にまとめ役の精霊を配するようになった。

 そして、まとめ役の精霊から上がった報告が、最終的にここに集めるのだ。




   ◇   ◆   ◇




 部屋に椅子を引く音が響く。

 本舎の渡しの間に戻ったヒョオは、自分の作業机に戻ると、スリープモードにしていたパソコンを起動させた。

 起動のためのパスワードを入れ、受信通知があることに気付いてメールを確認する。

 差出人はルカだった。


【ヒョオにまかせて悪いけど、あいつのことよろしく。好きにさせてやっていいから】


 文面を目で追い、ヒョオは渋面をつくる。

 その好きにさせろという中に、彼自身の部屋で好きさせて構わない、というのも含まれているのか。


「……あやつらめ、己らの年頃をわかっておるのか。年頃と言われる歳ではないか」


 思わず苦言をもらしたところで。


【まあ、ヒョオも思うとこあるとは思うけどさ。周りにどう思われても今更だし】


 文面の続きを読んでしまい、ヒョオの顔はますます渋面で歪む。

 言われてしまえば確かに今更ではあるのだが、そろそろ子供だからと言いわけの出来る歳でもないのだ。


【てことで、王城研究室でちょっと用事済ましたら帰る。それまでよろ】


 最後まで読み終え、ヒョオは椅子の背もたれに体重を預けた。

 はああと盛大なため息を吐き出し、天井を仰ぐ。


「本人らがなんとも思うておらぬのならば、我が口出しすることでもないか」


 それに、とヒョオは思った。


「あやつらももう、人にとっては成人の歳ゆえ、少しは見守る立場にならねばならぬか」


 数年前にルカがその歳になったかと思えば、いつの間にかミルキィもそんな歳になるのか。

 その彼女に子供扱いするなと言われたばかりだったと思い出し、ヒョオは静かに息を吐き出した。


「……人の時の流れは早いな」


 それは、いつの世も思うことは同じ。




   *   *   *




 ルカが渡し役の役目で不在にしていても、ここに所属する精霊魔法師としての業務はある。

 主とした業務はヒョオに出来なくとも、必要な資料を集めたり、仕分けしたりなどの雑務は出来る。

 そういった雑務を、ヒョオが自身の作業机で行なっている時だった。

 ふいに室内の気配が揺らぎ、ふわりと舞い込んだ風がヒョオの持つ資料の頁をめくった。

 ヒョオは資料に落としていた視線を上げて、窓際を振り向く。

 窓は開け放たれていないのに、カーテンが風で揺れる。

 そして、瞬きひとつの間で姿を現したのは。


「――ルカは留守にしておるぞ、バロンよ」


 青磁色の子狼を腕に抱いた、少年の姿をしたバロンだった。

 こつりと靴音を鳴らして着したバロンは、目の合ったヒョオに軽くかぶりを振る。


「いいよ、べつに。オレはこいつの付き添いだから」


 こいつ、と腕に抱く子狼に視線を落とした。

 腕の中ではこいつ改め子狼のプリュイが、兄の腕から抜け出そうともぞもぞと動いているところだった。

 バロンがプリュイを下に降ろしてやる。

 解放された彼女は、鼻先を床に付けて匂いを確認し始める。

 何かの匂いを嗅ぎ取ったらしく、匂いを辿り、応接用のソファに辿り着く。

 ソファにぶつかれば顔を上げ、ソファ自体をふんふんと鼻を鳴らしながら確認し始める。

 あれはしばらく確認作業に忙しくなりそうだ。

 バロンはふっと小さく息をつき、ヒョオを見やる。


「プリュイはあのままでも?」


「この部屋から出ぬなら構わぬ」


 ヒョオが軽く肩をすくめ、バロンはプリュイへ視線を移した。


「だとさ。プリュ、わかったか?」


「うん。ぷりゅ、おへやからでない」


「よし、いい子だ」


 匂いの嗅ぎ取りをしながら応えたプリュイに、バロンは満足げに頷いて応接用のソファに腰かけた。

 そんなバロンへ、胡乱な眼差しでプリュイを見やるヒョオが声をかける。


「……あれは、本当に聞いておるのか?」


「だいじょーぶ。プリュイは言われたことはきちんと守る子だし」


「にしては、この間は迷子騒ぎがあった気がするのだが」


「それは、オレがプリュイに勝手に転移すんなって言ってなかったから」


「うむ。なるほど――」


 ヒョオは釈然としない様子ではあったが、一応といった体で頷いた。

 ヒョオ自身、バロンの返答で納得出来る程の付き合いがこの兄妹とはない。特に妹の方は、先日の迷子騒ぎで初めて会ったばかりだ。

 しばしプリュイを眺めていたヒョオは、今度はバロンを眺めやる。

 しげしげと見つめ、そういえばと思い至る。


「……そういえば主ら、異形いけい兄妹なのだな。そもそもが、精霊の兄弟というのもなかなからぬが」


「それも今更じゃね? ヒョオ爺」


 バロンは行儀悪くソファに沈み込む。

 沈み込み過ぎてずるずると背を滑っていくが、バロンは構わず言葉を続けた。


「まあ、オレ達の親がそもそも変わってんしね。異形いけいつがう精霊ってのもあんま居ないんだろ?」


 バロンの琥珀色の瞳が確認するようにヒョオを見ると、彼はひとつ頷いた。


「お主らの両親は双方とも上位精霊ゆえな。人の姿も持つ上位精霊は同形のようなものだからの」


 同形とは、同じ姿を持つ精霊を指す。異形とはつまり、異なる姿を持った精霊同士のこと。

 精霊もまた、人と同じ営みの中で命を繋いでいく。

 なれば、精霊も互いに同じ姿形でなければ、次の世代へと命は繋いでいけないのだ。


「だよなあ。べつにそれで迷惑してるわけでもないから、オレとしてはべつにいいんだけど、珍しがられんのはなんか面白くない」


 ずるずると滑り座った影響で上に寄った服に、バロンは口元を埋めてくぐもった声をもらす。


「何時になんのかは知んないけど、いつかはオレも表に出る立場になりそうだし」


 すでに伝書精霊をしている身である。

 子供という時分を過ぎれば、各地に遣いとして送り出される気しかしない。

 それを思うと、埋めた服の中で、今から疲弊めいた嘆息を吐き出してしまう。


「主も大変よの。名を持った精霊を親に持って」


 幾ばくか同情はらむヒョオの視線がバロンに向けられる。


「まあ、それについては、オレもう諦めてんからいいの。――って、ヒョオ爺どっか行くの?」


「む。資料を取りに少々部屋を空ける」


「あっそ」


 ヒョオは立ち上がると扉の方へ足を向ける。

 だが、その途中で足を止めて振り返る――プリュイを。

 未だにふんふんと確認作業に勤しむ彼女は、部屋の資料棚に行き着いたようで、前足を棚にかけて後ろ足で立ち上がる。

 棚の鍵付き硝子戸の向こうに保管されているものに気付いたのだろうか。

 己では覗き見れないと知るや、プリュイがソファに行儀悪く座るバロンを振り返る。


「あにうえ、だっこ」


 催促のために、プリュイは律儀に身体の向きを変え、前足を上げた。

 バロンはへいへいとやる気のない返事をしながら、気怠げにソファから立ち上がってプリュイの元へ向かっていく。

 そんな彼へヒョオは声をかける。


「バロンよ。我が居ぬ間に誰が来ても応えぬよう。それに、認識阻害の魔法も展開しておれ」


 バロンの足が止まる。


「……ここ、精霊機関なのに?」


 認識阻害とは、空気中に漂う自然魔力マナを操り、魔力気配を散らすことによって人の認識を鈍らすことだ。

 精霊の存在に鈍くなった今の時代では、精霊を視認する人も少なくなった。

 なのに、その上で認識阻害を働かせろとは。

 バロンの琥珀色の瞳に険がはらむ。


「国によって定められた機関とはいえ、いつの世も憂い事とはあるものゆえな」


「……」


「ここは精霊の集う場であり、繋ぎの場。精霊の存在を近くに感ずる時代なゆえに、遠くになる時代。――物事はやはり、繰り返すものよ」


 ヒョオは僅かに口の端を持ち上げると、今度こそ部屋を出て行く。

 ぱたりと静かに扉は閉まる。

 バロンはしばらくその扉を見つめていたが、待ちくたびれたプリュイの声に促されて彼女を抱き上げた。

 彼女が覗き見ようとしていた資料棚の硝子戸の向こうには、きらりと光を弾く透き通った鉱物が保管されていた。


「……これ、魔結晶か」


「まけっしょう……?」


 兄の呟きを拾い上げたプリュイが呟く。


「空気に含まれる自然魔力マナが漂って、長い時をかけて蓄積されて結晶化したもののことだ。マナ溜まりとかでよく見るやつかな」


 兄の説明に、へぇ、とプリュイはそれをまじまじと見つめた。

 言われてみれば確かにと、彼女も心の内で頷く。

 きらきらと光を弾いて煌めく透明なその鉱物は、一見すれば綺麗で女の子心をくすぐるが、気配を探れば魔の気配が濃く、精霊としての本能が危険だと告げる。

 身体が震えそうな気がして、思わず兄の方へ身を寄せた。

 そして、そんな兄から呟きが漏れ聞こえる。


「魔結晶が飾られてんのは、戒めなんかね。……いや、あの騒動の時はあかい魔結晶だったんだっけ」


 何のことかは、プリュイにはわからなかった。

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