第4話 怪物の花嫁

 食堂での夕食を終えた後、ネリネは使用人たちに案内されて二階へとやってきた。

 案内されたのは広い寝室だ。天井は高く、壁には絵画や彫刻が飾られている。ベッドや椅子などの家具も高級品だと一目で分かる。ネリネの実家よりずっと立派だ。


(こんな豪華な部屋、私なんかが使っていいのかしら……?)


 ネリネは落ち着かない気持ちで部屋の中を見回す。この部屋の中で一番目立つのは、なんといってもベッドだろう。

 キングサイズのベッドには、フカフカのシーツと枕がセットされている。これならぐっすり眠れそうだ。


「わあ、フカフカ!」


 ネリネは早速、横になってみる。柔らかさと温かさに包まれて幸せな気分になった。

 実家にいた頃は硬い床の上で寝ていたから、この感触は新鮮だ。目を閉じて深呼吸を繰り返す。このまま眠ってしまいそうになるほど心地よい。

 

だがその時――。

 

 不意に寝室のドアが開き、誰かが入ってきた。ネリネは薄く目を開いて出入口を見る。

 そこに立っていたのは長身の男性。この屋敷の主であるアーノルドだ。彼は品のいいナイトウェアに身を包み、風呂上りらしく良い香りを漂わせている。ムスクの香りがネリネの鼻腔をくすぐった。

 彼はそのまま真っ直ぐに歩いてくると、ベッドに腰を下ろす。突然の出来事に、ネリネはリアクションを取るのが遅れてしまった。が、やっとの思いで声を絞り出す。


「あ、あの……? アーノルド様、なぜここに……!?」

「ん? 何故も何も、ここは俺の寝室だからな」

「…………え?」

「正確には、今日から俺たち二人の寝室だな。これから夫婦となるのだし、同じ部屋にいてもおかしくないだろう」

「………………え、え、えええぇぇぇっ!?」


 思いがけない言葉に、ネリネの口から絶叫が迸る。


「何を驚いているんだ?」

「ふ、夫婦!? 夫婦ってなんのことですかっ!?」

「夫婦とは、婚姻関係にある男女をさす言葉だ。男は夫や婿と、女は妻や嫁と呼ばれる。君も今日から我が家の一員だ。俺の妻としてこの屋敷で暮らすことになるのだからな」

「つ、妻!? 私が!? ど、どうしてそんなことに!?」

「どうしても何も……君はそのつもりでウォレス家に来たのではないのか?」

「ち、違いますっ! 私は使用人になるつもりでウォレス家にやって来たんです!!」

「……なんだと?」


 ネリネの言葉を聞いて、今度はアーノルドが驚く番だった。


「どういうことだ。説明してくれ」

「はい……実は――」


 ネリネは事情を説明した。

 ローガンに婚約破棄されたこと。それが原因で故郷にいられなくなったこと。

 そして奉公先としてウォレス家を紹介されたこと。

 全てを話し終えると、アーノルドは深いため息をついた。


「……どうやら話の食い違いがあったようだな。俺は花嫁となる女性を探していたが、アンダーソン家には使用人募集の話として伝わっていたようだ」

「どどど、どっ、どどっ、どどどどど……っ!」

「『どうしよう』か? まあ、そういう反応になるのは当然だろうな」

「あの……私、どうすればいいのですか!? 花嫁だなんて、私、無理です! 絶対無理ですっ!!」

「……そこまで嫌がるか。俺は君に嫌われるようなことをしただろうか?」

「いえっ、アーノルド様は何も悪くありません!! た、ただ、私はつい数日前に婚約破棄されたばかりでして……! そ、それでまだ心の整理がついていないというか……!」


 前の婚約者だダメだったからすぐに次、とはなれない。気持ちを切り替えるのにも時間がかかる。


「ふむ……確かに、突然結婚しろと言われても戸惑うのは当たり前だ」

「はい! わ、私はあくまで使用人として働きに来たつもりでありまして……! それなのに花嫁と言われても、ここ、心の準備が追い付かないと言いますか……!」


 ネリネは天に向かって祈り続ける。今すぐ助けてください。……だが神は沈黙を守ったままだ。

 アーノルドは顎に手を添えて、しばらく考え込んでいた。やがて顎から手を離すとネリネを見つめる。


「分かった、ではこうしよう。とりあえず君の希望通り、しばらくの間はうちで働いてもらう。その後で改めて身の振り方を考えればいい。その間に覚悟が決まれば俺と結婚する。これでどうだ?」

「えっ……!? あ、あの……えっと……!」

「異論はあるまい」

「は、はい……! ありがとうございます……!」

(良かった……! とりあえず即結婚するような事態だけは免れた……!)


 ネリネは胸を撫で下ろす。ローガンとの一件があった直後なだけに、今はまだ結婚だなんて考えられない。当面はそういう事から遠ざかっていたい。


「よし、では話は決まったな。君はもう休みなさい」

「え? あの、アーノルド様はどちらへ……?」

「今夜は書斎で寝る。夫婦でない以上、同衾する訳にはいかないだろう」

「で、でもここは、アーノルド様の寝室では……」

「生憎今日は客室を用意できていなくてな。使用人の部屋にも空きはない。君を放り出す訳にいかないだろう」

「アーノルド様……! 私だったら廊下でも平気です! ですからアーノルド様はお気になさらずに……!」


 ネリネは慌てて起き上がる。だがアーノルドは首を横に振った。


「心配はいらない。本を読んでいれば一晩くらいはあっという間だ。では、おやすみ」


 アーノルドはそのまま部屋を出ていった。ネリネは一人、広いベッドに取り残される。


(アーノルド様……お優しい……)


 結婚と言われた時は驚いたが、どうやら彼は非常に話の分かる好人物のようだ。

 実家では藁ベッドで寝ていたから、廊下でも平気なのだが、アーノルドは気遣ってくれた。

 なんていい人なのだろう。ネリネは感動しながらベッドに入り直す。

 ふかふかの布団とシーツの誘惑に負け、すぐに眠りの底へと落ちていった。

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