第30話 大鴉
翌朝。ネリネが目を覚ますと、隣でアーノルドが寝ていた。
(え……? どうしてここにアーノルド様が?)
昨晩のことを思い出すネリネ。確か二人で食事を取って、それから……。
そうだ。疲れて動けなくなったネリネをお姫様抱っこで運んでもらって、それで部屋に着いて……そこから記憶がない。
つまり、そこで寝てしまったのか。しかし何故同じベッドで寝ているのだろう。ネリネは顔を青くする。
「ん……ネリネ?」
「あ、アーノルド様……おはようございます」
「ああ、おはよう。…………」
「…………」
「す、すまない。昨夜君をベッドに運び、その場で俺も力尽きてしまったようだ」
「そうだったんですね」
思えばアーノルドも昨日は働き続けていた。
今までも連日忙しかったし、何より昨日は精神的な疲れも大きかっただろう。
ネリネと同じで疲れ切っていたに違いない。
「本当にすまなかった。不可抗力とはいえ、未婚の女性と同衾してしまうとは――こうなったら責任を取るしかないな」
「せ、責任!?」
「そうだ。結婚しよう」
「!?!?!?」
突然のプロポーズにネリネは動揺する。
アーノルドは真剣な眼差しだ。冗談ではないらしい。
ネリネは冷や汗をかく。これはまずい。何かがおかしい。
きっと寝ぼけているに違いない。ネリネは思い切ってアーノルドの頭を引っぱたいた。
「アーノルド様! しっかりしてください!」
「ぐあっ!? ……はっ、ネリネ? 俺は一体どうしたんだ? 今何か口走った気がするが……」
「寝ぼけていただけです。気にしないでください」
「……? まあ良い。朝食を頂きに行こう」
「はい」
ネリネはアーノルドと一緒に食堂へ向かった。
階段を降りる間、ずっとドキドキしているのを気付かれないようにするのに必死だった。
***
その後、アーノルドはカーム村の生き残りの村人たちから改めて話を聞く。
村人の話によると、彼らの村は魔物に占拠されているようだ。
なら魔物退治に向かわないといけない。
村人に案内されて、彼らのカーム村へと向かう。
村が近付くと、辺りに禍々しい瘴気が漂っていた。
これは間違いなく魔物の気配だ。
「この先に魔物が?」
「はい。僕たちは奴らの実験動物のような扱いを受けていました。昨日助けてもらった者以外に生き残りはもういません」
「なんと惨いことを……」
村の中に入ると、そこには大量の死体が転がっていた。
いずれも魔物に殺された村人たちだ。
魔物の血液を投与された影響なのか、体の一部が変色している者もいる。
「酷い……」
「これは全て魔物の仕業か?」
「はい。魔国の工作員たちが送り込んだ魔物たちに殺されました。僕たち生き残りは暴走したものの、生き永らえただけ彼らより幸運だったかもしれません」
「そうか……」
「侯爵様、お願いします! 魔物を全て薙ぎ払い、同胞たちの無念を晴らしてください!!」
「了解した」
村の広場だった場所には魔物が跋扈していた。
異様にカラスが多い。だが通常のカラスとは違い、頭が複数あるカラスや、羽が刃のようになっている個体もいる。
どうやら大半が魔物のようだ。
魔物のカラスたちは、死んだ村人の亡骸を啄んだり弄んだりしている。
アーノルドは眉を顰めると剣を抜き、魔法陣を展開した。
「これ以上は見るに耐えん……燃やし尽くすぞ、『炎嵐(ファイアストーム)』!」
アーノルドの放った灼熱の業火が、魔物たちを焼き尽くす。
魔物たちの断末魔の叫びが響き渡った。
「すごい……! 一瞬で全滅させました……!」
「いや……まだ残っている!」
だがその時、アーノルドの背後に新たな魔物が現れた。
先程倒したものと別種の個体だ。黒い巨躯に、背中に羽。二足歩行のカラスの化け物だ。
「我は悪魔総裁マルファス。我が使い魔たちと芸術品を焼き尽くすとは……貴様がやったのか?」
「だとしたら?」
「断じて許さん。我らが崇高なる目的の為に用意した実験体をよくも……貴様はここで殺す」
「やってみろ」
アーノルドは地面を蹴る。凄まじい速さで間合いを詰め、袈裟斬りに一閃を放つ。
だがその一撃は空を切る。マルファスは高く跳躍し回避したのだ。
空中で旋回すると、鋭い爪で攻撃を仕掛けてくる。その攻撃を紙一重で避けるアーノルド。
さらに連続で放たれた蹴りを捌くと反撃に転じる。
しかし攻撃は当たらない。マルファスはまるで踊るように軽やかな動きでアーノルドの攻撃を回避し続ける。
「くっ、ちょこまかと!」
「無駄だ! 貴様ら地を這う者では、空を飛ぶ鳥には勝てん!」
「ふん、ならばこれを使うまでだ――『竜巻の箱(トルネードボックス)』!」
アーノルドは魔術道具を取り出す。それは巨大な風を起こす魔術道具で、魔力を込めることで起動する。
その効果は使用者を中心とした範囲内に強力な風の渦を発生させるというもので、周囲のものを無差別に吹き飛ばす。
さすがに悪魔総裁だけあって、マルファスはガーゴイルのように一撃で死ぬことはない。
けれど羽が風の渦に絡めとられ、地面に落ちた。
「よし、捕まえたぞ!」
「ちぃっ……!?」
「これで終わりだ――『雷光の槍(サンダージャベリン)』ッ!!」
アーノルドは落下地点に向けて雷撃の槍を放った。
直撃を受けたマルファスは、絶叫と共に消滅する。
それを確認したアーノルドは、ふうっと息を吐いた。
「よし、終わったな」
「お見事です、アーノルド様! 大変です、お怪我をなさっていますね! すぐ手当します」
「ああ、頼む」
ネリネはアーノルドの傷口に手をかざすと『応急手当(ピュリフィケーション)』を発動させた。
するとみるみると傷が癒えていく。
アーノルドの受けたダメージは完全に回復した。村人たちも二人に駆け寄ってくる。
「やりましたね、侯爵様! ついにマルファスを倒しましたね!」
「ですが……村人の亡骸ごと焼いてしまうとは……」
「やはり怪物侯爵様は容赦がないな……」
「戦った跡地は焦土となるという噂は本当だったのか……」
アーノルドの力を目の当たりにして、感謝する者もいれば畏怖する者もいる。
確かにアーノルドが火属性魔法を使った広場は燃え落ちていた。
村人たちの遺体も燃え尽きている。それを見て恐ろしい、容赦ないと思う人がいるのも仕方ないだろう。
アーノルドも聞こえているのだろうが、何も言わない。
だからこそネリネは言わずにいられなかった。
「……皆様! アーノルド様が遺体ごと焼いたのは、感染症を防ぐ為です!」
「ネリネ?」
「先程見た遺体は殺されてから日数が経過し、腐敗が始まっていました。それに忌まわしい実験により、亡骸にどんな悪影響があったかは計り知れません。焼却は、こうした事態に直面した時に感染症を防ぐ手段として有効です」
ネリネはかつて医療院で慈善活動を行っていた。
そこで腐敗した遺体の体液や血液、そこに群がる虫やネズミがもたらす伝染病の恐ろしさについても学んだ。
「恐らく、これまでアーノルド様が焦土にしたという土地でも同じことがあったのでしょう。アーノルド様が本当に冷酷な方であれば、そうした対策はしなかったはずです。アーノルド様は生き残った人々の為に取れる最善の手段を択ばれたのだと思います」
「そ、そうだったのか……」
「そういえば怪物侯爵が焦土にしたという土地は、どれも魔国の手で壊滅したという話だったな……」
「生き残った人々が疫病に晒されない為に、あえて遺体を焼却したのか」
「家屋にも死体に群がった虫やネズミが潜んでいる恐れがあるものな……感染症を防ぐのであれば、確かに焼いて消毒するのが合理的だ」
村人や兵士たちは納得したようだった。皆が事情を理解してくれて、ネリネもホッと息を吐く。
「ありがとう、ネリネ」
「いえ、私は思ったことを言っただけですから」
「それでも助かった。……どうにも自分の行いの意図を説明するのは、言い訳をしているようで好かなくてな」
「だから誤解されていたのですね。でもこれからはもっと説明してあげてください。皆さんもその方が、余計な心を痛めずに済みますから」
「そうだな。そうしよう」
ネリネはアーノルドと村人の間に確かな絆が生まれたのを感じた。
それから村の復興が始まった。
ネリネは生活魔法の『掃き掃除(スウィーピング)』を使い、崩れ落ちた村の瓦礫を集める。
そして『修繕(リペア)』を使い、家屋を組み立てていった。
「素晴らしい……まさかこんな短時間で家が建つなんて!」
「ネリネさんは何でもできるんですね!」
村人たちは感嘆の声を漏らす。
「そんなことはありませんよ。私だって最初からできたわけではありません。何度も失敗を繰り返しながら、少しずつ出来ることを増やしてきたんです。諦めなければきっといつか報われます。アーノルド様は私にそのことを教えてくれました」
「俺が?」
「はい。生活魔法なんて何の役にも立たない汚点だと思っていました。でも、そんな私に価値を与えてくれたのはアーノルド様です。私の魔法で誰かを救えるかもしれない。それが分かったから、今は前を向けるようになりました」
「ネリネ……」
「さあ、次は畑を作りましょう!」
「はい!」
こうしてネリネとアーノルドは村の復興に尽力した。
二人は村の人々から大いに感謝された。
二人はしばらく村に滞在して、あちこち修繕して回った。
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