二章
第8話 怪物侯爵という異名
ネリネは朝早くから仕事をしていた。まずフレイヤを手伝って朝食の支度を手伝う。
メニューはエッグベネディクトにした。
半分に切ったマフィンの上に、ハムやポーチドエッグをのせる。
そして卵黄で作った濃厚なオランデーズソースをかける。
付け合わせはサラダと、冷製ジャガイモポタージュスープのヴィシソワーズ。
デザートにはリンゴを用意する。料理を作っている間、フレイヤはずっと感嘆の声を上げっぱなしだった。
「わあ、どれもこれも綺麗だわ! 凄いわねぇ、ネリネちゃん!」
「そ、そうですか?」
「ええ! だってあたしたち、肉か魚くらいしか食べないじゃない? お野菜とか果物って食べる機会がほとんどないから、新鮮よ!」
「そうだね~、僕もこんな綺麗な料理は初めて見たよ」
「旦那様からは前から『もっとさっぱりした物が食べたい』って言われてたものね~」
「そ、そうですか……」
「でもさっぱりした味付けなんて魔物にあたしには分からないし。ねえ、レシピを教えてくれる?」
「もちろんです!」
ネリネは昨日の内に、料理の作り方を紙に書き留めていた。
それを一枚ずつフレイヤに手渡す。フレイヤは中身に目を通して目を輝かせた。
「フレイヤさん、アーノルド様にお食事を運びましょう」
「あ、そうね! じゃあネリネちゃん、一緒に行こ!」
ネリネは食堂に料理を運ぶ。テーブルにはすでにアーノルドが座っていた。
「ほう、今朝も素晴らしいメニューだな」
「はい……お口に合うと良いのですけれど」
「君の料理の腕前は既に証明されている。……いただこう」
アーノルドはナイフとフォークを手に取ると、エッグベネディクトを食べ始めた。一口食べた瞬間、彼の表情がほころぶ。
「これは……とても美味しい」
「本当ですか!?」
「うむ、今までに食べたことのない味だ。こんな料理を作れるとは……実に驚きだよ」
「ありがとうございます! 良かった……!」
ネリネはホッとして胸を撫で下ろす。
アーノルドは次々と料理を口に運んでいく。彼は夢中になって食事を続けた。
「ご馳走様。素晴らしい味だった」
「ありがとうございます。嬉しいです」
アーノルドは完食すると丁寧に食後の挨拶をする。
彼は満足してくれたようだ。ネリネはとても嬉しかった。
「ところで、一つ質問をしてもいいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
「君はどこでこんな技術を磨いたんだ? ぜひ教えてほしい」
「それは……」
ネリネは少し迷った。しかし、どうせ隠していてもいずれ判明する事だろうと、正直に打ち明けることにした。
「実家では家事を一通り任されていたんです。掃除に洗濯、炊事……他にも色々と」
「いくら生活魔法が得意とはいえ、なぜ令嬢の君が?」
「それは……私がアンダーソン家の汚点だからです」
「汚点?」
「はい。アンダーソン家は聖魔法の名家として名を馳せた一族です。それなのに私は聖魔法の適性がありませんでした。唯一使えるのは生活魔法だけ……生活に纏わる雑事は、リウム王国では使用人の領分とされます。だから私は出来損ないで、貴族失格で、一族の恥だと言われて……。せめて生活魔法で家の役に立つようにと、アンダーソン家の家事雑事を引き受けておりました」
「…………」
ネリネの言葉にアーノルドは黙り込んだ。そして少し考えるような仕草を見せる。
「……なにか、お気に障ることを申し上げてしまいましたか?」
「いいや、君は悪くない。だが――下らない価値観だな」
「えっ?」
「君の生活魔法は素晴らしい。この広い屋敷をたった一日で綺麗にし、限られた食材で素晴らしい料理を作った。それは素晴らしい才能だ」
「アーノルド様……」
「確かに貴族は身の回りの雑事を自ら行わない。だがそれは政治や軍事、学問といった専門分野に集中する為に他ならない。家事雑事そのものが悪いという意味ではない。……にも関わらず、本質を見ずに形骸化した価値観に固執する貴族が多いようだな。嘆かわしい」
「あ……」
「しかし君は違う。その境遇の中で懸命に努力を重ね、自分の価値を高めてきた。それが今の結果に繋がったのだ。恥じ入る必要などどこにもない。君は堂々としていて構わない」
「はい……ありがとうございます……」
ネリネは呆然とする。自分のことをそんな風に言ってくれる人は、これまでいなかった。
自分はただの無能で、失敗作で、一族の恥だと罵られて生きてきた。
でも、こんな自分を認めてくれた人がいた。そのことが嬉しくてたまらない。
(生きている間に、こんなに素晴らしい言葉をかけてくれる人と巡り合えるなんて……!)
アーノルドの背後に、光が差しているように見えた。
「ネリネ? なぜ俺を拝んでいる?」
「ありがたや、ありがたや……はっ! す、すみません! つい感激して!」
「ふっ……おかしな子だな」
アーノルドは笑みを浮かべる。気を悪くした様子はなさそうだ。良かった。
食事が終わると、ネリネは次なる仕事を依頼される。
「君のおかげで屋敷の中はおおむね綺麗になった。となると、次は庭だ」
「はい、アーノルド様」
「今回もルドルフたちから話を聞いてくれ。仕事は全て彼らに任せてある。門外漢の俺が口を挟むとかえって良くない」
「かしこまりました」
ネリネは頭を下げて了承した。そしてすぐにルドルフと共に玄関へ向かう。
ウォレス邸の庭は、荒れに荒れ果てていた。謎の植物やキノコがあちこちに生えており、池は濁った毒沼のような色をしている。植物のツタが城壁を覆っている上に、城壁のあちこちはヒビ割れている。
「あのう……ルドルフさん」
「なんだいネリー?」
「ね、ネリー?」
「ネリネだからネリー。あだ名で呼ぶと仲良くなったって感じがして良くない?」
「はあ、まあ別に構いませんが……」
「僕のことはルディって呼んでくれて構わないよ」
「さ、さすがにそれはハードルが高すぎるような……」
「そう? 残念」
フレンドリーなルドルフの態度にネリネは戸惑う。しかし内心喜んでいた。
(あだ名で呼ばれるのって、なんだか友達っぽい……!)
ネリネは今まで友達がいなかった。だからあだ名で呼ばれた経験もない。
だからルドルフに「ネリー」と呼ばれても嫌ではなかった。むしろちょっと嬉しいくらいだ。
「えっと、それで聞きたいことがあるんですけど」
「うん、なんでも聞いて!」
ルドルフは明るい笑顔を浮かべて答える。獣耳をピンと立てて、尻尾をブンブン振っている。彼は狼男ということだが、こうして見ると犬っぽく見える。
「アーノルド様はどうして『怪物侯爵』なんて呼ばれているのですか? あんなにお優しい方なのに……」
「うーん。色々理由はあるけど、まずはこの屋敷の景観かなー。人間はみんな不気味だって嫌がるんだ。中には恐怖のあまり泣き出す人もいたよ」
「ああ、なるほど……」
「次に、僕たち魔物が使用人として働いていること。不気味な館に魔物の使用人。これだけで普通の人間は怖がるよね」
「……わ、私からは何とも言えませんが……」
「あはは、ごめん、気を遣わせちゃったかな? とにかく、これだけでもアーノルド様が恐れられるのには充分な理由になるよね。でも、それだけじゃない」
ルドルフは真剣な表情になると言葉を続けた。
「アーノルド様は魔法兵器で、魔国の魔物軍主力部隊を壊滅させた。おかげでリウム王国は平和になったけど、今度はアーノルド様を恐れる人も出始めたんだ」
「えっ?」
「ほら、なんか言うじゃん? 『アルミラージが死ぬとフェンリルは追われる』って」
「えっと……確か、狩りの対象がいなくなると、優秀な猟犬も用済みになって処分されるっていうことわざですね」
「そう、それそれ。魔国主力部隊が壊滅した今、アーノルド様の敵は内側にもいるってコト。アーノルド様の功績を妬む人、恐れる人、色々ね。で、そういう色んな事情が混ざってついた異名が『怪物侯爵』さ」
「そういう事だったのですか……」
ネリネは納得する。アーノルドは魔物討伐の英雄だ。しかし同時に人間たちの恐れも買ってしまった。その結果が『怪物侯爵』という呼び名なのだろう。
「そういう事情があるのなら、やっぱりこの屋敷は綺麗にしなければなりませんね」
「ん? どうして?」
「今のこのお屋敷は、人間の感性で見るとかなり不気味です。ただでさえ悪い噂が流れているのに、その噂を裏付けるように不気味なお屋敷に住んでいて他人が寄り付かなかったら、アーノルド様はますます孤立してしまいます」
「おお……! それは盲点だったなぁ」
「それに、私もこんなに立派なお屋敷が汚くてボロボロなのは悲しいです。なので、私がこのお屋敷を立派にしてみせます!」
「よく言ったよネリー! それでこそ期待の新人だ!」
「えっ!? 私、期待されていたんですか?」
「そりゃあもう! ネリネは見込みのある娘だよ!」
「そ、そうなんですか……!」
ネリネは嬉しくなる。今まで自分が頑張ってきたことが認められたような気がした。
「よし、じゃあ早速始めよう! 雑草を抜いて、石をどけて、腐った木を取り除いて、水やりをして、花壇の手入れをして、噴水の掃除をしようね!」
「はい! それから花壇に花を植えましょう。そうすればお屋敷を訪れる人も、きっと心が安らぐと思います」
「いいねいいね! じゃあ早速、作業に取り掛かろうか」
こうしてネリネとルドルフの二人は、共にウォレス邸の庭を掃除することになった。
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