第3話 風呂場とドレス

「ここがお風呂場……広い……」


 脱衣所も立派な作りだった。石造りの床に、大理石の壁や柱。鏡や暖炉も備え付けられている。ネリネの実家にあったものよりずっと立派だった。

 ネリネは上着を脱ぐと、裸になって浴室に入る。湯気が充満していて視界が悪い。ネリネはかけ湯をしてから浴槽に浸かった。

 お湯は適温だった。熱すぎず温すぎず。疲れ切った体も心も癒される。


(気持ちいい……。それにしても……アーノルド様ってお優しい方だなあ。私みたいな使用人にも気を使ってくれるなんて)


 食事のことも気にしてくれていた。実家ではネリネの食事を気にかけてくれる人なんて、誰もいなかった。

 家族の為に家事をして、空いた時間に残り物でお腹を満たす。そんな生活だった。

 魔法学院でも食堂や購買は上級魔法が使える人たちが占拠していた。混雑する時間帯を過ぎて、ネリネが利用できる頃はロクなものが残っていなかった。


(野草のスープとか雑穀パンとか……でも、慣れれば結構おいしいのよね。雑穀パンに野イチゴのジャムはよく合っていたわ)


 ネリネは生活魔法を使える。だから野に生えている雑草や野草からおいしい料理を作ることもできる。

 おかげで体は紛うことなき健康体だ。もっとも栄養は不十分だったので肉付きは悪いが。

 けれど初対面のアーノルドの優しさに触れて、今までの自分の境遇がいかに辛かったのか思い知った。


(これからは頑張ろう。たくさん働いて、ご主人様に喜んでもらおう)


 風呂から上がると、脱衣所に着替えが用意されていた。

 着替えが入った籠の中を見てネリネは驚く。

 絹の下着に肌着。まるで夜会に着ていくような、濃紺色の豪奢なイブニングドレス。

 アクセサリーまである。金の台座に真珠をあしらったネックレスにイヤリング。どれも一級品とわかる輝きを放っている。


「こ、ここ、これは一体……!?」


 ネリネは戸惑う。実家では妹の着付けや飾り付けを手伝っていたから、どう扱えばいいのかは分かる。

 けれど自分がこんな高級な服を着るなんて、夢にも思わなかった。


(ど、どうしてこんな豪華なものを? これ、もしかして私のお賃金から天引きされるんじゃ……!?)


 だが他の服はない。来る時に着ていた服は、もう洗濯用に回収されてしまったようだ。まさか裸で脱衣所を出る訳にもいかない。ネリネは震えながら着替えた。

 脱衣所には鏡台があり、化粧品やスキンケア用品、ブラシも置かれていた。

 ドレスやアクセサリーに似合うように髪を綺麗に整えて、化粧も施す。こちらも妹の世話でやっていたから手慣れたものだ。

 一通りの身だしなみを整えて外へ出ると、廊下の向こうからルドルフがやって来た。


「へえ……素敵だね! よく似合ってるよ!」

「そ、そうでしょうか? こういう服はあんまり着たことないんですけど……」

「見違えるほど立派になったよ。うんうん、土台は悪くなかったんだね。いやあ……最初はどうなるかと思ったけど、これならアーノルド様も満足できるはず……」

「え?」

「なんでもないよ。さあ食堂へ案内するよ!」


 ルドルフに連れられて、ネリネは一階にある大きな食堂へ向かう。中に入ると既にアーノルドが待っていた。


「来たか」

「はい、ネリネ・アンダーソン様をお連れしました」

「ふむ……」


 アーノルドがじっと見つめてくる。ネリネは心許なくなって、自分の服装を見下ろす。


(変じゃない……よね?)

「あの、何かおかしなところがあったでしょうか……?」

「いや、とても美しい」

(…………!? きゅ、急に褒められた!?)


 ネリネは顔を真っ赤にする。

 王都の男たち、特に元婚約者のローガンはネリネのことを「みすぼらしい」「地味」などと言っては貶してきた。

 なのにこの怪物侯爵はあっさりと美しいと言うのだ。ネリネは驚いてしまう。


(もしかして、美醜感覚が変わっている御方なのかしら……!?)

「この屋敷で暮らす以上は身なりを整える必要があるだろう。必要なものは何でも言ってくれ。すぐに用意させる」

「は、はい。ありがとうございます。よろしくお願いします……!」


 ネリネは深々と頭を下げる。そしてアーノルドの右隣の席に案内された。

 これにもネリネは驚いた。アーノルドの座っているのは主人が座る上席だ。その右隣とは、一般的に主人の妻が座る席とされる。


「こ、こ、ここ、わ、私が座ってよろしいのですか……!?」

「ああ、構わない。初めて会ったばかりだが、こんなに広いテーブルでわざわざ離れて食事することもないだろう」

(寂しがり屋さん!?)


 ネリネは恐る恐る席に着く。


「あ、あの……」

「食事の席では静かにするように」

「ご、ごご、ごめんなさいっ!!」

「別にそこまで謝る必要はないが」

「そうですよね、ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」

「だから……いや、いい。食事が来たようだ」


 ひたすら恐縮していると、食堂の扉が開いて給仕係たちが料理を運んできた。


「!?」


 入ってきた給仕係を見てネリネは目を丸くする。彼らにも一目で人間とは違う身体的特徴があった。

 耳が尖っていて、背中に羽が生えている者がいる。他にも額に角が生えた者や、尻尾が生えている者もいる。


「彼らはこの屋敷で働いている使用人だ。見ての通り、魔物の血が入っている。だが従属魔法により従順だ。恐れる必要はない」

「はっ、はい」


 ネリネは引き攣った表情で答えた。

 目の前に銀色の蓋つきの食器――クローシュが並べられる。

 一体どんな料理が入っているんだろう。今日はまだ何も口にしていないからドキドキする。お風呂は立派だったから、きっと料理も立派に違いない。

 給仕係が銀の蓋を取る。そこに現れた料理を見て、ネリネはまたしても目を丸くした。


「っ!? あ、ああ、アーノルド様、これは……!?」

「ふむ。ルドルフ、ネリネが料理の説明を求めているぞ」

「はーい。見ての通り、ローストビーフサラダにチキンスープに焼き立てパン。メインディッシュは牛フィレ肉の赤ワイン煮込みです~」

「……!?!?!?!?」

(えええええ!?!?!? な、何コレ!?!?!?)


 ネリネはあまりの衝撃に立ち上がりそうになった。が、ぐっと堪える。そんな粗相をすればどうなるか分からない。

 目の前の皿。色々と品目を並べられたが、ネリネには大半が真っ黒な消し炭にしか見えない。

 唯一違うのはスープだ。これは真っ赤な色をしている。そしてグツグツと煮えたぎっている。まるでマグマのようだ。少なくともネリネの知るチキンスープの色じゃない。


(何これ……もしかして嫌がらせ? はっ、そうか……! お風呂とドレスでいい気分にさせておいて、食事で絶望させて突き落とそうとしているのかも……そうだよね、私なんかにそうそう美味しい展開は巡ってこない――って、ええええええええ!?)


 ネリネの隣でアーノルドは、目の前のゲテモノ料理を何食わぬ顔で食べ始めた。

 しかも完璧なマナーで。カトラリーを正しく使い、音を立てずに食べている。

 その表情は何一つ変わっていない。どうやらこの料理は、嫌がらせでも何でもないらしい。


「あ、あの……! お聞きしたいのですが、これ……全部食べられるのですか……!?」

「無論だ。君も食べなさい。君は細すぎるから、まずは栄養をつける必要がある」

「え、栄養っていっても……」

(こんな料理で栄養はちゃんと摂れるの!? 侯爵様の顔色が悪いのって、この料理のせいじゃないの!?)


 ネリネは困惑するが、給仕係たちはネリネの分を取り分けて差し出してくる。

 どうやら食べるしかないらしい。こうなった以上、食べなければせっかく用意された食事が無駄になってしまう。ネリネは意を決して料理を口に運んだ。


 そして、涙目になる。


 ――固い。苦い。辛い。熱い。

 料理は見た目の印象に違わず、想像通りの味をしていた。

 必死に耐えながら咀噛する。飲み込む度に胃が痙攣する。けれどここで吐いてはダメだと自分に言い聞かせる。


(大丈夫……私は耐えられる……!)


 ネリネはこれまで野草や雑穀を食べて生きてきた。胃腸は丈夫だ。だからきっと今回も同じことなのだ。我慢すれば何とかなるはずだ。

 やがて最後の一口を飲み込む。隣ではアーノルドも食事を終えていた。


「ご……ご馳走様でした……」

「うむ。今日の食事も悪くなかった」

(嘘ぉ!?)

「ネリネもどうだ? 食事は楽しめたか?」

「は、はい、おかげさまで……ごちそうになりました……」

「それは良かった。これからは毎日三食、しっかり栄養のあるものを食べるように。健康管理は大事だからな」

「そ、そうですね……ははは……」

(こんなのを毎日三食……健康管理……私の健康、大丈夫なのかしら……?)


 こんな食事が続くようなら、庭に生えている野草でも適当に調理して食べよう。ネリネはそう思った。

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