第32話 その頃、王都では……(アンダーソン子爵視点・2)

 ネリネがアーノルドと村の復興に尽力していた頃――。

 王都ではアンダーソン子爵が多忙を極めていた。


「アンダーソン様、そろそろ次の場所に向かわないと、予定が間に合いません」

「ええい、分かっている!」


 彼は聖属性魔法の使い手、王都に神聖結界を張る『聖なる守り手』を代々輩出している名門貴族だ。

 そんな彼が王都に神聖結界を張るのに、何故これほど手間取っているのか。

 理由は彼の娘、ネリネを実家から追放したことにあった。

 ネリネが家にいた頃は、ネリネが作る料理やお茶、修繕した服、応急手当といった生活魔法の恩恵を受けていた。

 おかげで子爵は疲れ知らずだった。四十代後半という年齢の割に活動的で、若い頃と変わらないスケジュールを組んでいた。

 だがそんな生活は突然終わりを迎えた。

 ネリネが家を出て行き、生活魔法の恩恵を失ったのだ。

 途端に子爵は年相応に疲れるようになっていった。

 生活魔法の力は、それほどまでに大きなものだったのだ。

 最近は子爵自身もそのことを認めている。

 何故なら彼の妻と娘にも、ネリネを追い出した直後から悪影響が現れているからだった。

 妻と娘はかつての容色と評判を失った。

 娘に至っては慈善活動で赴いた先の医療院で感染症を拡大させ、本人も罹患して未だに入院している。

 そのせいでアンダーソン子爵家の名前に傷がついた。だからこそ、この機にアンダーソン家を再興しようと躍起になっている。

 だが――。


「まったく、どうなっているのだ!? どうして結界の効果期間が短くなっている!?」

「おそらく魔力不足が原因ではないかと……失礼ですがアンダーソン様ももう良いお年です。そろそろ後継者を探しませんと」

「後継者? 馬鹿を言うな! 今のアンダーソン家には健康な跡取りがいない! ミディアが退院するまで私が持ちこたえてみせる!」

「しかし……このままでは――」

「文句しか言わないのならもう口を開くな! 私は次の場所へ向かうぞ!」

「あっ! お待ちください! まだ結界が十分では――」

「うるさい! 口を開くなと言っている!!」


 部下の言葉を無視して子爵は神聖結界の魔法陣がある塔を離れる。

 王都には五か所、神聖結界を張る魔法塔が建っている。

 その中に神聖魔法陣を張り、定期的に聖属性魔法の魔力を注ぐのがアンダーソン家の役目だ。

 先祖代々、その役割を担ってきた。今は後継者であるミディアが病に臥せっている。

 この状況で別の後継者を迎えるというのは、アンダーソン家は『聖なる守り手』の仕事から外れることになる。


(冗談ではない! アンダーソン家は『聖なる守り手』の役目を世襲してきた一族だ! 私の跡は娘のミディアが継ぐ。余所の聖属性魔法の使い手を迎え入れるなど出来るものか!)


 この期に及んでもネリネを連れ戻すという選択肢は子爵の頭になかった。


(あの女は、前妻がよその男との間に産んだ忌まわしい托卵の娘だ。私と血の繋がりはない。あんな女に頭を下げるなど冗談ではない! それに何より、もうあの女の顔など見たくもない!)


 子爵は魔法塔の前で馬車に乗り込む。そして次に魔力を注ぐ魔法塔へ向かおうとするが――。


「カアアッ」

「ん……? カラスか、鬱陶しい!」


 馬車の屋根に留まっていた一羽のカラスが鳴いた。


「なんだ、このカラスめ。どこかに行っていろ」

「カーッ」

「しつこい奴だな。おい、追い払ってくれ」

「はい」


 御者が鞭を振るう。するとカラスは王都の空に向かって飛んでいった。


「ふんっ、ようやく行ったか」

「しかし、やけに大きいカラスでしたね。不気味だな……」

「そんなことはどうでもいい。とにかく早く次の場所に向かえ」

「はい」


 馬車は再び走り出す。子爵たちは気付いていない。

 そのカラスが王都を囲う城壁の向こうから飛んできたということに。

 それも北の方角、ネリネを追放したプロヴィネンス地方から飛んできたカラスであるということに……。

 王都の空を舞うカラスの瞳は、赤く輝いていた。

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