第33話 王太子殿下がご来訪されるようです

 王国の辺境、プロヴィネンス地方。

 城下町セイレームを見下ろすウォレス侯爵の館は、三ヶ月前と比べると様変わりしていた。

 城を覆っていた黒い瘴気が消え、今では灰色の立派な城壁と、奥に見える尖塔が荘厳な威容を誇示している。

 城壁には傷一つなく、植物の蔓も覆っていない。

 そして時折、視察と買い物を兼ねて城下町に降りてくる侯爵の雰囲気も変わった。

 以前は険のある表情をしていたのだが、現在は柔らかい笑みを浮かべている。

 それはまるで憑き物が落ちたような顔だった。

 その姿には、今まで恐れていた領民たちも安心感を覚えた。


「いやあ、怪物侯爵様だなんて呼んでいたのが遠い昔のようだよ」

「週に一度、お屋敷に物資を届けている業者も雰囲気が明るくなったな」

「なんでもお屋敷の庭には美しい花が咲き乱れ、庭園には噴水もあるとか……」

「この世のものとは思えない楽園のようだと言っていたな」

「俺も見に行ってみたいなあ」


 そんな噂が領内で囁かれる中、侯爵邸ではちょっとした騒ぎが巻き起こっていた。

 なんとリウム王国の第一王子マティアスが、この屋敷にやって来るというのだ。


「マティアス殿下が?」

「はい。どうやらここ最近の旦那様の評判がマティアス殿下のお耳にも届いたようですね。様変わりした屋敷を一目見たいと仰っているようです」


 アーノルドの執務室で、執事服に身を包んだルドルフが答える。


「殿下が前に屋敷へ来られたのは一年前だな。確かあの時は、魔術兵器について質問されたな」

「それで、いかがいたします?」

「断るわけにもいくまい。だが……」


 アーノルドはネリネを見る。ネリネはアーノルド以上に驚いていた。


「マティアス殿下は以前にもこちらのお屋敷にいらしたことがあるのですか?」

「ああ、そういえば言っていなかったな。殿下と俺は同い年。殿下は十代の頃に一年間プロヴィネンス地方に留学にいらしたことがある。その時に親しくなり、翌年には俺が王都の魔法学院へ一年留学することになった。合計二年間、交流を深めた。それ以降も付き合いが続いている」

「いわばご学友って間柄ですよね。殿下は僕たち半魔人にも偏見がない良い御方なんだよ」

「そうだったんですか……!」


 ネリネは初めて聞く話に目を丸くする。

 まさかアーノルドと第一王子が友人だったなんて……。

 でも、考えてみれば不思議ではないのかもしれない。

 次の国王と、国境守備を担う総督を務める侯爵。

 どちらもリウム王国にとって欠かせない人物だ。

 二人は立場こそ違えど、共に国を支えていく仲間として、友情を深めていたのだろう。

 ネリネは納得して、改めてルドルフに訊ねる。


「それで、いつお見えになる予定なんでしょうか」

「来週だね。もう王都を出発する準備を整えたって書いてあるよ」

「ええっ!? 急ですね!」

「あははは、マティアス殿下はアーノルド様に容赦がないからね。対等に付き合える数少ない友人として、子供のような無茶ぶりを仕掛けてくることが多いんだ」

「まったく、困ったものだ」


 そう言いつつもアーノルドも満更ではなさそうだ。

 ネリネはそんな微妙な機微も分かるようになっていた。


「分かりました。では、その時は私もお出迎えをさせていただきます」

「ああ、頼むよ。気心知れた相手とはいえ、曲がりなりにも王子だからな。ネリネ、悪いが歓待の準備を頼めるか?」

「はい! 頑張ります!」


 実家ではお茶会や夜会の準備を散々押し付けられてきた。

 だから貴人のおもてなしは何気に得意分野だったりする。


(あの頃は辛かったけど、アーノルド様のお役に立てるのだと思うとあの経験も悪くなかったな……)


 ネリネはそんなことを思いながら、マティアス王子をどうやっておもてなししようか考えるのだった。



***



 それから一週間後。いよいよマティアスがやって来る日がやって来た。

 玄関前には使用人たちが並び、客人を迎え入れる態勢を整える。

 やがて馬車がやってきた。

 白い豪奢な馬車は一目で貴人が乗っていると分かる。

 従者が馬車の扉が開く。中から現れたのは、金髪碧眼の美青年だ。

 彼は優雅な仕草で馬車を降りると、笑顔でアーノルドと握手を交わす。


「久しいな、アーノルド。ますます貫禄が出てきたじゃないか」

「殿下も相変わらずお元気そうで何よりです」

「ははは、私は見ての通り健康体だよ。……それにしても驚いたな。なんだこの庭園は。前回来た時とは大違いだ」

「お褒めにあずかり光栄です」

「君が手入れをしたのか? こんなに美しく整えられた庭を見たのは生まれて初めてだ」

「いえ、これは私ではなく――」


 そこでアーノルドは後ろを振り返る。そこには、ドレス姿のネリネが立っていた。前にアーノルドに買ってもらったドレスに身を包んでいる。


「彼女が整えてくれたのです」

「ほう。そちらの女性は……?」

「ネリネ・アンダーソン。我が屋敷が誇るメイドです」

「初めてお目にかかります、マティアス殿下。ネリネ・アンダーソンと申します。この度はようこそいらっしゃいました」

「アンダーソン……もしや聖属性魔法の名門、アンダーソン子爵家の縁者か?」

「はい。アンダーソン家の長女に当たります。しかし聖属性魔法の適性がなかったもので、今はアーノルド様のお屋敷で働いております」

「そうか、そうか。君はあのアンダーソン子爵の娘なのか。どおりで素晴らしい庭を作れるはずだ」

「ありがとうございます」


 ネリネは深々と頭を下げる。マティアスは興味津々といった様子でネリネを見つめていた。


「では、まず庭を案内してもらえるか? その後で屋敷の中を拝見したい」

「かしこまりました」


 こうして、マティアスとアーノルドの再会と歓迎を兼ねた催しが始まった。



***



 庭園を案内した後は屋敷の中に移動する。

 屋敷の中も前にマティアスが訪れた時とは比べ物にならないほど、様変わりしていた。

 最後に食堂へと案内される。今日は王子を出迎えるということもあって、食堂は晩餐会仕様に飾り付けられていた。


「ふむ、なるほど。確かに以前の屋敷よりもずっと居心地が良い。これは君の采配かな? ネリネ嬢」

「いいえ、全ては私ではなく――」


 ネリネが振り返ると、そこに控えていた使用人たちが一斉に頭を下げた。


「本日の料理は、使用人の皆が腕によりをかけて作らせて頂きました。どうぞご堪能くださいませ」

「ほお! それは楽しみだ!」

 

 テーブルには様々な種類の肉料理や魚料理が並べられている。

 さらにサラダやスープ、パンなど種類も豊富だ。飲み物にはワインが用意されている。


「うむ。一年前に来た時は化け物屋敷のようだったが、見違えるほど立派になったな。食事も美味だ。一年前に食べた消し炭も、あれはあれで乙なものであったが」

「はは……」

「ところで、そろそろ本題に入ろうか。アーノルド、実は折り入って頼みがあるのだが……」

「なんでしょう?」

「うむ。新たに開発したという魔術道具、『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』について聞きたい」

「……もうお耳に届いておりましたか」

「当然だ。人工的に神聖結界を張れる魔術道具となれば、気になって仕方ない。量産できれば聖属性魔法の使い手がいない土地も魔物の脅威に晒されずに済む。画期的な発明だ」

「そこまで評価していただけるのはありがたく思いますが、残念ながらまだ試作段階です」

「それでも構わん。研究資料だけでも見せてもらえないだろうか?」

「承知しました。では食事が終わりましたらお見せします」


 マティアスは期待に満ちた瞳を輝かせる。一方、ネリネは緊張していた。

 今、目の前にいるのは将来の国王だ。その彼にアーノルドとの共同研究成果を見られるなんて、まるで夢みたいだった。

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