第10話 初めてのお買い物

 アーノルドとネリネは馬車に乗って城下町へと向かう。

 馬を操るのはルドルフだ。

 アーノルドは黒を基調とした貴族服、ネリネは質素なメイド服を着ている。

 ちなみにルドルフは黒いシャツの上に灰色のベストを着て、下は白いズボンというラフな格好をしている。

 ネリネは馬車の窓から外を見る。そこに見える景色は王都とは全然違った。


「あれが領都セイレームだ。セイレームには様々な店がある。必要な物は何でも揃う筈だ。……さあ、降りようか」


 セイレームに到着すると、ネリネとアーノルドは馬車を降りる。

 ルドルフは馬車番として町の入り口に残った。


「ネリネ、まずは道具屋に向かおう。そこに行けば種や苗が手に入るはずだ。案内しよう」

「はい、よろしくお願いします」


 アーノルドに案内されて向かったのは、セイレームの中央広場の近くにある市場通りだ。

 そこには露店や商店がたくさん立ち並んでいる。

 青果店に精肉店。本屋に古物商にパン屋に服屋。

 他にも様々な店が並んでいて、全体的に活気に溢れている。


「ここが領民たちが暮らす町、セイレームだ」

「うわあ、すごい活気! 今日は市が出ているのですか!?」

「いや、特に予定はなかった筈だ」

「こんな賑やかな場所に来るのは初めてです! まるでお祭りみたい……!」

「君は王都出身者だろう。王都ならもっと派手な催しもあったのではないか?」

「あるにはありましたが……私はあんまり参加できなかったので、羨ましく思っていたんです」

「そうなのか」

「はい……」


 実家にいた頃は、お祭りやパーティーには全然参加できなかった。

 いつも家の中から外の賑やかさを見守っているだけだった。

 さすがに魔法学院に入学すると、学院の催しには参加できたが……そこでも雑用ばかり押し付けられていた。

 だから純粋にイベントや買い物を楽しんだことはない。しかし今は違う。

 ネリネはあちこちの店を見て目を輝かせる。

 今も仕事であることに変わりはないが、精神的には雲泥の差だった。


「あっ、あれがお花屋さんですね。ちょっと見てきます!」


 ネリネは走り出した。そして、とある一軒の花屋の前で止まる。


「いらっしゃいませー! あら、可愛いお客様ね。何か探し物?」

「ええと、ここに売っている植物の種類を教えてくれますか?」

「もちろん、いいわよ。まずは切り花。今の季節にピッタリのチューリップやアネモネ。植え付けを行うなら、ダリアやグラジオラスの球根はいかが?」

「そうですね……」


 ネリネは綺麗に片付けた庭の花壇をイメージする。

 秋に花を咲かせるなら、今おすすめされたダリアやグラジオラスがぴったりだ。

 色は真っ赤なダリアと、ピンクと白のグラジオラス。それから黄色のサンダーソニアも加えておこう。

 ネリネはその三種類の球根を購入する。それから野菜の種や苗も貰う。

 白菜にキャベツ、レタスに人参、エンドウ豆にインゲン豆。

 トマトやキュウリの苗木や、蔓を巻き付かせる為の支柱も購入する。

 それから水やり用のジョウロやホース、園芸用のスコップ、肥料、培養土なんかも買う。

 一通りの買い物を終えると、ネリネの足元には両手で抱えきれないほどの荷物が置かれていた。


「……ネリネ。これだけの荷物を買い込んで、どうするつもりだ? ルドルフを呼びつけて運んでもらうか?」

「いいえ、まさか。大丈夫です、アーノルド様。こんな時の生活魔法ですから。……『収納(ストレッジ)』!」


 生活魔法を発動させる。呪文を唱えると、ネリネの掌の上にリンゴ大の黒い穴――ブラックホールが出現した。

 もう片方の手で荷物を取り、ブラックホールに近付ける。するとサイズが縮んで吸い込まれていった。


「『収納(ストレッジ)』はブラックホールの中にアイテムを収納しておけるんです。たくさんお買い物をした時に便利な生活魔法なんですよ」

「ほう、それは便利だな」

「はい。これさえあれば、旅先で余計な荷造りをする必要がないんです。まあ私の場合、そもそも荷物なんてろくに持ってませんけど……」

「これから買えばいい。君への給金は惜しまないつもりだからな。好きな私物を買い揃えればいい」

「あ、ありがとうございます! ……では次は食料品のお店に行きましょう。新鮮な食材も必要なので」

「ああ、案内しよう」


 二人は次の店に向かう。食料も大量に買い込むが、『収納(ストレッジ)』で収納するから問題ない。

 せっかくだから、アーノルドに色んな料理を食べてもらいたい。


「アーノルド様はどんな料理がお好きですか?」

「そうだな……好き嫌いはあまり考えたことがない。手っ取り早く栄養とカロリーを補給できれば十分だと思っていた……が」

「が?」

「ネリネが屋敷に来てから考えが変わった。文化的で美味しい食事は心を癒してくれる。君の作る料理はとても楽しみだ」

「あ……ありがとうございます……」


 アーノルドはとんでもない美形だ。

 そのせいで社交辞令の誉め言葉だと分かっていても、やけに照れ臭く感じてしまう。


「……さて、これで食材は揃えたな。ネリネ、他にもう用はないか?」

「はい、大丈夫です」

「そうか。なら少し俺の用事に付き合ってもらえないか?」

「どちらへ向かうのですか?」

「書店だ。行きつけの店では、たまに珍しい魔術理論の本が紛れ込んでいる。そういうのを眺めているだけでも面白いものだ」

「かしこまりました、お供いたします」


 ネリネはアーノルドに付いていく。

 セイレームの町を歩いていると、多くの人とすれ違う。老若男女問わず、様々な人々が行き交っていた。


「……あ、あれはひょっとして、ウォレス侯爵様では……!?」

「ひぃっ!? こ、侯爵様が下々の街に降りてこられるなんて……!」

「な、何か良からぬ事がまた起きたのでは……!?」


 アーノルドの存在に気付いた人々が震えあがっている。

 やはりアーノルドは怖がられているようだ。けれどネリネはピンと来ない。彼らの気持ちが分からない。


(少し厳しそうなところはあるけれど……とてもお優しい方なんだけどな)


 ネリネはそんなことを思いながら、アーノルドの後を追う。

 やがてたどり着いたのは、中央広場の傍にある大きな建物だった。


「ここがこの町一番の大きな書店だ。様々な魔導書が充実している」

「わあぁ……凄いです!!」


 ネリネは目を輝かせた。


「君も本が好きなのか?」

「はいっ! 家事以外で没頭できる事といったら限られていますから。昔から本をよく読んでいたんです。最近は忙しくて読めなかったけど……久しぶりに読みたくなってきました」

「そうか。なら気に入った本があれば買ってあげよう」

「えっ!? そ、そんな、アーノルド様にそこまでしていただくわけには……!」

「君は昨日屋敷に来たばかりなのに、既に屋敷の掃除、料理、庭掃除といった激務をこなしてくれた。もちろん給金も支払うが、これは臨時ボーナスのようなものだと思ってくれ」

「でも……」

「それに俺も読書は好きだ。身近に同じ趣味の持ち主がいると嬉しい。ルドルフたちは活字の読み物をまったく読まないからな」

「……分かりました。それならお言葉に甘えてもいいですか?」

「もちろんだ」


 アーノルドと二人で店内に入る。

 中には沢山の本棚があって、様々なジャンルの本が並んでいる。

 小説もあれば歴史書もあるし、絵本から専門書まで幅広い。

 ネリネは早速、目についた本を何冊も手に取ってみる。

 どれも面白そうだ。だが、すぐには決められそうにもない。


 その間、アーノルドも自分の興味ある本を物色していた。

 彼は主に魔術理論に興味があるようで、学術書のコーナーを真剣な眼差しで探している。

 ネリネは本を選ぶ傍らで、アーノルドの様子を窺う。彼は分厚い本を手に取っていた。

 タイトルは『魔法学研究の基礎・計算魔法術式』というものだ。


 そういえばアーノルドは魔術兵器を開発して、魔物軍との戦いで大活躍したと聞いている。

 いつも部屋に引きこもっているのも、新たな魔術理論の研究に余念がないからだとか。

 アーノルドが熱心にページを捲り始めたのを見て、ネリネは邪魔しないように静かにその場を離れた。

 そして本を選び終えると、会計を済ませてから店を出た。

 しばらく店の前で待っていると、アーノルドも会計を終えて出てきた。


「お疲れ様です、アーノルド様。沢山買われたようですね」

「ああ、予想以上に掘り出し物があった」

「私の『収納(ストレッジ)』でお屋敷までお運びしますね」

「すまない、助かる」

「いえ、このくらいは当然です」


 『収納(ストレッジ)』で本をしまう。ついでに自分の買った本もしまう。

 そしてルドルフが待つ馬車まで戻ると、丘の上に聳え立つウォレス邸へ帰ることにした。

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