第11話 アーノルドの魔術講座

 屋敷に戻ったネリネは、アーノルドの部屋に本を運ぶ。

 彼の部屋で『収納(ストレッジ)』を解除する。机の上に数冊の本が現れた。

 『魔法学研究の基礎・計算魔法術式』『アークマン魔術理論』『高等魔術式と応用法』……どれもこれも難しい内容ばかりだ。


「あ、これはアークマン先生の最新魔術理論の本ですね。もう出版されていたんですね」

「君はアークマン教授をご存知なのか?」

「はい。王都の魔法学院でお世話になりました」

「そうか、君も魔法学院の卒業生なのか」

「君も――ということは、アーノルド様も?」

「そうだ。卒業してもう五年になるかな」

「それではちょうど入れ替わりになる形で私が入学したんですね」


 魔法学院は十三歳から十八歳まで、五年間学ぶカリキュラムになっている。

 アーノルドの卒業が五年前ということは、彼は今二十三歳ということだ。ネリネは初めてアーノルドの年齢を知った。


「アークマン教授はご高齢だが、相変わらず元気にやっているのか?」

「ええ、とてもお元気ですよ。あの方はまだまだ現役で、研究の傍らゼミも開いています。私のような生活魔法しか使えない生徒も目にかけてくれました。私もアークマン先生の魔術ゼミを専攻していました。でも学院では、魔術はあまり人気がなくて……」

「ふむ、興味深い話だな。……ところでネリネ。君は『魔法』と『魔術』の違いを説明できるか?」


 いきなり質問されて面食らうが、質問内容自体は初歩的なものだ。ネリネはすぐに答える。


「はい。『魔法』とは自然界の法則の一種です。魔法適性のある人間が、己の魔力を消費して魔法を発動させることが出来ます。だから魔法学院ではまず適性が調べられ、向いている魔法の習得コースに入ります。カリキュラム内容は、理論より体感的なものの比重が大きいですね」

「ああ」

「『魔術』は魔法を一度分解してから体系化して、人工的に再現できるよう研究されてきた学問です。魔術で特に肝心なのは『魔術式』と『魔力発生源』の二つ。たとえば魔石のような発生源と炎の魔術式を繋げば、人工的に炎魔法を再現できるようになります。その為、緻密な計算やロジックが求められます。……これが魔術と魔法の大きな違いです」


 ざっくり言ってしまうと、魔法は先天的な才能。魔術は後天的な学習の積み重ねといったところだ。


「その通りだ。よく勉強しているようだな。学院でもさぞ良い成績を修めていたのではないか?」

「……私は落ちこぼれでした。いつも最低クラスに所属していたんです」

「そうなのか? とても優秀なように思えるのだが」

「ええと、魔術のテストでは満点を取っていたんですけど……魔法が使えなければ、いくら座学で満点でも意味がありませんから……」


 生活魔法しか使えないのは、ネリネにとって大きなコンプレックスだった。

 それでもせめて自分に出来ることは頑張ろうと、魔術の授業は熱心に聞いていた。

 おかげで座学では学院トップクラスになった。

 だが魔法学院の成績評価は、実技八割の座学二割。八割の単位がボロボロだったネリネは魔法学院では落ちこぼれ扱いされていた。

 その上生活魔法は、貴族の間では下等魔法扱い。ネリネは学院でも居場所はなかった。


「でも、今こうしてアーノルド様のお役に立てるのはとても嬉しいです。下等魔法でも誰かの役に立てるなら、こんなに嬉しいことはありません」

「下等な魔法など存在しない」

「え……?」

「本来、魔法に優劣など存在しない。問題があるのは、魔法に優劣をつけて特定の魔法を貶めている世論の方だ。生活魔法は立派な魔法だ。魔法と魔術の研究を続けてきた俺が保証しよう」

「アーノルド様……」


 アーノルドは真面目な顔で言う。その瞳は真剣そのものである。

 お世辞ではなく本気で言っていると分かった。

 ネリネは胸が熱くなってきた。アーノルドは魔法と魔術のスペシャリストだ。

 だからこそ特定の魔法を軽視する王都の価値観を苦々しく感じているのかもしれない。

 そのアーノルドから生活魔法を認められるのは、ネリネにとってこの上なく嬉しく、そして誇らしい事だった。


「ありがとうございます……! アーノルド様に認めてもらえて……凄く光栄です……!」

「俺もネリネの魔法に助けられている。これからもよろしく頼む」

「こちらこそ、どうぞ末永くお願い致します!」


 ネリネは深々と頭を下げた。アーノルドはそんな彼女を見て微笑んだ。


「それでは、フレイヤさんをお手伝いしてきますね」

「ああ。今夜の夕食も楽しみだ」


 ネリネは足取りも軽く厨房へ向かう。

 こんなに楽しい気分になったのは久しぶりだった。

 いや、それどころか生まれて初めてかもしれない。


(このお屋敷に来られて良かった)


 ネリネは改めてそう思った。



***



「ネリネちゃーん、御湯加減はどうー?」

「ちょうどいい感じですよ、フレイヤさん」

「そっか、良かったわ!」


 夕食後、ネリネは使用人用のお風呂に入っている。

 初日に入った大浴場も立派だったが、使用人用のお風呂もかなり広い。

 浴槽は五人ぐらい余裕で入れる広さだ。もちろん男女は別々なので、そんなに一度に入ることはないのだが。

 ネリネは体を洗ったあと、早速お湯に浸かった。

 お風呂の外ではフレイヤが薪を燃やしている。

 火竜(サラマンダー)のフレイヤの火加減は絶妙だ。

 料理の火加減は苦手な彼女だが、お風呂は最高の適温を保っている。


「はぁ~……気持ちいい」


 お風呂は命の洗濯だと聞いたことがある。確かにそうだ。一日の疲れが取れていくようだ。


(アーノルド様に会えて、本当によかった)


 最初は緊張していたけれど、今は彼との会話を楽しむことが出来る。

 今日は沢山の本も買ってもらった。

 本を読むのは昔から好きだった。新しい知識を得るのは純粋に嬉しい。

 それにアーノルドは優しい人だった。ネリネの話を聞いてくれた。自分のことを、生活魔法を凄いと認めてくれた。それが何よりも嬉しい。


(もっとお役に立ちたいな……そうだ、アーノルド様はお風呂が好きだって言ってたよね。もっとお風呂が気持ちよくなるように、入浴剤を作ってみようかな)


 そんなことを考えながら、ネリネはゆったりと浸かる。今日のお風呂は格別に心地よい。

 明日も明後日も、ずっとこんな日々が続くといいのに……。

 そう思いながら、ネリネは目を閉じた。

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