四章
第27話 領主様のお仕事
アーノルド・ウォレスはリウム王国の最北、魔国との国境に面するプロヴィネンス地方を統治する侯爵だ。
その仕事は多岐に渡り、アーノルドは日夜多忙を極めている。
領地と領民の管理。魔国との戦争に備えた軍備増強及び維持。国内の貴族社会における政治力の強化。
それらに加えて、魔術理論の研究や魔術兵器開発も行う。
彼の立場は非常に特殊であり、その忙しさは想像を絶するものがある。
だがそれでもアーノルドは精力的に働いていた。
「……ふう」
自室の執務机に向かいながら溜息をつく。書類の山が積み上がっている。
今朝からずっと処理しているが、一向に減らない。
「少し休憩するか」
椅子から立ち上がり、窓の外を眺める。
外は快晴。気持ちのいい景色が広がっている。
以前は手つかずの荒れ放題だった庭も、ネリネが来てからというもの様変わりした。
ネリネが整え、彼女の指導に従って庭師たちが手入れした花壇の花が美しく咲き誇っている。
「お疲れ様です、アーノルド様」
「ネリネか。庭で少し休憩したい。飲み物を持ってきてくれるか」
「かしこまりました」
東屋(ガゼボ)で待っていると、ネリネはすぐに紅茶を淹れてやって来た。
「庭園で育てたハーブを使ったハーブティーです」
「ふむ、いい香りだ」
ネリネがカップに注いだお茶は、透明感のある赤色だった。
爽やかな香りがガゼボに広がる。一口飲むと、ローズのような香りと甘酸っぱい味わいが口の中に広がった。
どこか目が覚めるような、癒されるような感覚に包まれる。
「美味しいな。それに癒される気がする……これは何のハーブを使用しているんだ?」
「ローズヒップとハイビスカスをブレンドしました。どちらも疲れを癒してくれる効能のあるハーブです。肉体と精神、両方の疲労回復を促進してくれるでしょう」
「なるほどな」
激務のアーノルドを気遣って用意してくれたのだろう。
そう思うと、ただでさえ美味しいハーブティーがより一層美味に感じる。
「ありがとう、ネリネ。君は本当によく俺を見てくれているのだな」
「そんな……私なんかまだまだ未熟で……」
ネリネは謙遜するが、アーノルドは素直に感心していた。
ネリネは本当に良くしてくれている。
毎日屋敷に来て掃除をし、料理を作り、庭を整え、アーノルドの仕事を手伝ってくれる。
彼女のおかげで、アーノルドの暮らしは随分と快適になった。
「謙遜する必要はない。君は素晴らしい女性だ」
ネリネは褒められるとすぐに照れる。今も頬を赤らめて黙り込んでしまった。可愛い反応だ。
だが彼女にはもっと自信をもってほしい。
彼女が傍に居てくれるだけで、アーノルドは救われている。
ネリネが側にいてくれることを、アーノルドは心の中で感謝した。
「それでは俺は仕事に戻る。今日もよろしく頼む」
「はい、アーノルド様」
アーノルドは残りのハーブティーを飲み干すと、再びデスクに向かう。
そしてネリネも自分の仕事をするために、彼から離れた。
***
(もっとアーノルド様のお役に立ちたい……)
ネリネは廊下を歩きながら、決意を新たにする。
最近、ネリネはアーノルドのために何かできることはないかと考えていた。
今のネリネは家事全般が得意だ。だからアーノルドの屋敷に住み込みで働き、身の回りの世話をしている。
しかしそれだけでは足りないと思う。ネリネは自分が出来ることを全てやり尽くした訳ではない。まだ出来ることは他にもあるはずだ。
「うーん、うーん……きゃあっ!?」
「おわっと! ごめんよネリー!」
廊下の曲がり角でルドルフとぶつかりそうになった。
彼も書類を抱えていて前方不注意になっていたようだ。
「こちらこそごめんなさい。考え事をしていたせいで前をよく見ていませんでした」
「何か困った事でもあったのかい?」
「はい……アーノルド様はお忙しい方ですよね」
「そうだね」
「私、もっとアーノルド様のお役に立ちたいんです。でも何をすればいいのか分からなくて」
「ネリーはもう十分役に立ってると思うけどなあ」
「いえ、私はまだまだ足りません」
アーノルドが望んでいるのは何だろう? 彼は何をすれば喜んでくれるだろう?
それを知れば、きっと彼に喜んでもらえる。
だが、どうすればそれが分かるだろう。
「ねえ、ルドルフさん。アーノルド様が望むことって分かりますか?」
「そうだなあ……ネリーが結婚してあげたら喜ぶんじゃない?」
「けっ……!? け、け、け、結婚っ!?」
予想外の答えが返ってきて、思わず声が裏返りそうになる。
「そんなに驚くようなこと? ネリーって最初はアーノルド様の花嫁候補としてこの屋敷に来たんだし、そこまで突飛な話じゃないと思うけどなあ」
「そそ、それは、そうなのですが……」
確かに最初にそういう話をされた。
しかしネリネとの間に認識の違いがあると気付いて、主人と使用人という関係に落ち着いた。
あれからアーノルドから結婚の話を持ち出されたことはない。だからつい忘れてしまっていた。
「いいじゃん、結婚しちゃえば。ネリー、アーノルド様のこと嫌いじゃないよね? むしろ好きだよね? じゃあ何も問題ないじゃないか」
「そ、そんな簡単に言われても……!」
「んー、何がダメなのさ? お互い好きなんだから、後は結婚するだけだろうに」
「す、好きと言っても、その、尊敬という意味で、ですね。恋愛感情とかではなくて……」
「え、そうなの? それともネリーって、ひょっとして男より女が好きだったりする?」
「ち、違いますよ!? あ、そういう人を否定する意図はありませんが……! 私は違うというだけで……!」
「はははっ、冗談だってば。ちょっと揶揄っただけだよ」
「もぅっ……」
ネリネは頬を膨らませる。するとルドルフは楽しそうに笑っていた。
「ごめんごめん。ネリーの反応が面白くて、つい調子に乗っちゃった」
「反省して下さい」
「はいはい」
ルドルフは悪びれた様子もなく笑う。
「でもそうだな、アーノルド様の負担を減らしたいなら遠征に同行してあげたらいいんじゃない?」
「遠征、ですか?」
「うん。最近魔物がよく出る地域に出向いて、魔物を退治するんだ。行って帰るだけで日数がかかるし、ネリーが一緒に行ってあげたら喜ぶんじゃないかな?」
「私が同行しても大丈夫でしょうか?」
「もちろんさ。ネリーは『応急処置(ファーストエイド)』で治療も出来るし、ますます助かるんじゃないかな」
「なるほど、そういうことでしたらぜひ行きたいです」
「じゃあ、僕の方からアーノルド様に話しておいてあげるよ」
「ありがとうございます!」
こうしてネリネはアーノルドの次の遠征に同行することになった。
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