エピローグ

第43話 ネリネの帰る場所

「ふう……」


 アンダーソン家を出たネリネは大きく伸びをする。

 ずっとずっと、何年間も胸の奥につかえていた物が消えてなくなった気分だった。


「よく頑張ったな、ネリネ」

「はい……アーノルド様もありがとうございました。アーノルド様がいなければ、きっと私は……」


 あんなふうに父と向き合い、自分の意見を言える日は来なかっただろう。

 アーノルドが支えてくれたから、自分に自信を持てた。

 アーノルドが一緒にいてくれたから、逃げずに向き合うことが出来た。

 アーノルドが傍にいて励ましてくれなければ、途中で挫けてしまったかもしれない。

 全部彼がいたからこそ、ここまで頑張れたのだ。


「……私はこれからも、アーノルド様のお側にいてもいいでしょうか。プロヴィネンスのお屋敷で、使用人の皆さんとも一緒に……」

「ネリネ……」

「あのお屋敷こそが、今の私の唯一の家です。だからどうか、よろしくお願いします」

「勿論だ。君が嫌だと言うまで、私は君を手放すつもりはない」

「……はい!」


 ――私にはもう帰る場所がある。

 この世界のどこにも居場所はないと思っていた。

 だけど、やっと見つけた。自分の居場所は、居たいと思える場所はここなのだと。

 アーノルド・ウォレスの隣。そこが自分の生きる場所だ。

 これからも彼の傍で生きていきたい。ネリネは強く、そう思った――。



***



 それからしばらく時間が流れた。諸々の処理を終えたアーノルドとネリネは、王都を離れてプロヴィネンス地方へ戻ることになった。

 王太子マティアスは名残惜しそうに二人を見送る。


「……そうか。やはりプロヴィネンス地方へ帰ってしまうのか」

「はい。もう一ヶ月も空けてしまいましたからね。早く戻らないと」


 アーノルドとネリネは、王都の要所に『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』を設置して回った。

 王都の警備体制を強化するべく、当面は聖属性魔法の神聖結界と共に、『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』を併用する。

 アンダーソン子爵家はミディアが継ぐことになった。彼女はまだ未成年だから王宮から教育係が派遣され、厳しく指導されている。教育係のレディ・テレーズはとても厳しいと評判の女教師で、ミディアはげっそりとしている。

 それでも心を入れ替えたミディアは、今は泣き言を言わずに頑張っているようだ。アンダーソン夫人と共に、今日も見送りに来ている。


「お姉様……本当に行ってしまわれるの? せっかく仲直りできたのに、もうお別れなのね……」

「大丈夫よ、ミディア。私もあなたとお別れするのは辛いわ。でもまた遊びに来るわ」

「絶対? 約束してくれる?」

「ええ、もちろん」


 ネリネとミディアは笑い合う。いつかの幼い頃、まだ無邪気だった二人が姉妹として過ごした幸せな一日のように。

 これからは離れていても、ずっと姉妹として繋がり続けていく。


「ネリネさん、今まで本当にごめんなさい。あなたや旦那様が屋敷を離れ、わたくしたち母子が残ることになって本当に心苦しいのですが……」

「いいんですよ、お養母さん。父は辺境に飛ばされましたし、私はアンダーソンのお屋敷とは違う所に居たいと思える場所が出来たので、お屋敷はお二人にお任せします。むしろこちらこそ、これから大変なアンダーソン家をお任せする事になって申し訳ないです」

「そんな事はありません! わたくしたちは母子で力を合わせて、アンダーソン家を守れるよう頑張ります! だからいつでも安心して帰ってきてくださいましね」

「はい」


 アンダーソン母娘は力強く答える。二人は既に覚悟を決めているようだ。

 これからアンダーソン子爵家には苦難の時が続くだろう。アーノルドとネリネが開発した『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』の影響で、神聖結界の価値は下落していくだろう。

 今でこそすぐにアンダーソン家を潰す訳にはいなかいと判断されたが、これから力を失っていけばどうなるかは分からない。最悪、没落してしまう可能性すらもある。

 だが、そんな事は承知の上で養母はアンダーソン家を守ると引き受けたようだった。

 その覚悟に敬意を示し、ネリネは頭を下げる。


「では、そろそろ行くとしよう」

「はい、アーノルド様」


 二人は馬に乗り、王都を後にする。

 最後に一度だけ振り返ると、ミディアや夫人、そしてマティアスが手を振りながら見送ってくれていた。

 またいつか、王都へ訪れる日も来るだろう。

 けれどそれは、『帰る』のではなく『訪れる』だ。ネリネの帰る場所は別にある。


「ネリネ、君は今幸せか?」

「はい、とても」

「俺も同じだ。今はとても幸せな気持ちだ」

「アーノルド様……」

「俺は今となっては、初めて出会った時のことを後悔している」

「え?」

「当時の俺は自分の都合ばかりを考えていた。自分が長く生きられないだろうと考え、世継ぎを残す為にネリネを妻に迎えようとしていた。……君の心や抱える事情を考慮せず、自分の都合ばかりを押し付けていた」

「……」

「だが、今は違う。血筋や家の都合ばかりに囚われた人間の末路を見た。そして何よりも、君という女性の素晴らしい内面を知った。……君はこんな俺と向き合い、支え、救ってくれた唯一の存在だ。一人の人間として、誰よりも魅力的な女性だ」

「そんな、勿体ないお言葉です」

「だからネリネ、これからも傍で俺を支えてほしい。いつまでも共に歩んでほしい。……使用人ではなく、妻として」

「はい……えっ、つ、妻ですか!?」

「そうだ。嫌か?」

「嫌ではありませんけど、でも……」

「ネリネが良いんだ。他の誰でもなく、ネリネだからこそ愛している」

「…………」


 ネリネは初めて出会った日の夜、アーノルドに言われた言葉を思い出す。

 あの時の彼女はローガンに婚約破棄されたばかりで、次の恋愛や結婚なんて考えられなかった。

 そんなネリネにアーノルドは、しばらく屋敷で働いて身の振り方を考えればいいと言ってくれた。


 ――あれから幾月かの時間が過ぎた。その間に色んな事が起きた。

 これまで価値のないと思っていた生活魔法の才能が認められ、こんな自分にも居場所が出来た。

 これまで学んできた知識を活かし、アーノルドと一緒に『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』を開発出来た。

 アーノルドに支えられ、これまで何も言えなかった家族に自分の気持ちを伝えることが出来た。

 アーノルドと一緒にプロヴィネンス地方や王都で大勢の人を助け、何よりアーノルド自身の短命も救う事が出来た。

 充実した日々の中で、ネリネの隣には常にアーノルドがいてくれた。


 ――私はもう、一人じゃない。


 これから先もずっと、アーノルドと共に生きていきたい。自分の気持ちに気付いたネリネは、アーノルドの胸に寄り添った。


「私もアーノルド様を愛しています。ずっとずっと、あなたのお側にいます」


 ネリネの返事を聞いたアーノルドは微笑み、彼女を抱きしめる。

 二人の影は寄り添うように重なり、やがて離れていく。

 これからも二人は、同じ道を歩み続けるだろう。たとえどんな困難があっても、二人でなら乗り越えられる。今の二人に迷いはなかった。


 ――これからもずっと、一緒に生きていきましょうね。アーノルド様。


 アーノルドの腕の中で、ネリネはここが自分の帰るべき場所だと噛み締めた。

 土地ではなく、場所でもなく、アーノルドのいる場所こそが自分の居場所なのだと。

 いつか彼にとっても、自分がそんな存在になりたい。

 ネリネはそんな思いを抱きながらアーノルドの胸に身を預け、静かに目を閉じた。


「そういえば、ネリネ」

「はい、なんでしょう?」

「プロヴィネンス地方に戻ったら、盛大な結婚式を挙げないか? 正式に籍を入れて、正式な夫婦になろう。それから……」

「ふふ、そうですね。それも良いかもしれませんね」

「ああ、きっと皆が祝福してくれるだろう」

「はい。とても楽しみです」

「これからもよろしく頼むよ、ネリネ」

「こちらこそ、末永くお願いいたします。アーノルド様」


 その後『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』は新たな歴史を刻み、人々は平和な日常を取り戻した。

 アーノルド・ウォレス侯爵とその妻ネリネの名前は、永遠に歴史に名を残すことになる。

 この国を救った英雄夫婦の話は、様々な形で後世に語り継がれることになるだろう。

 だが、それはもう少し未来の話。

 今はただ、愛する人と過ごす幸せな時間を大切にしたい。

 二人はそう思い、いつまでも寄り添い続けるのだった――。

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生活魔法しか使えない子爵令嬢は「家事が得意な貴族なんてみっともない」と婚約解消され実家も追い出されましたが、追放先の辺境で怪物侯爵に溺愛されて幸せです 沙寺絃@『追放された薬師~』12/22発 @satellite007

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