生活魔法しか使えない子爵令嬢は「家事が得意な貴族なんてみっともない」と婚約解消され実家も追い出されましたが、追放先の辺境で怪物侯爵に溺愛されて幸せです

沙寺絃@『追放された薬師~』12/22発

プロローグ

第1話 婚約破棄と実家追放

「ネリネ・アンダーソン! お前との婚約を解消する!」


 王族や貴族が通うリウム王国の魔法学院。王都にあるこの学院では、本日卒業パーティーが催されている。

 立食形式のパーティー会場。そこで突如響き渡ったローガン・オニール伯爵令息の発言に、場は静まり返った。

 中でも一番凍り付いていたのは、婚約解消を宣告されたネリネ・アンダーソン子爵令嬢だ。

 あまりに突然のことで、ローガンが何を言っているのか、ネリネには咄嗟に理解できなかった。


「え……? こ、婚約を解消? ローガン様、一体何を言っているのですか……?」

「お前はこんな簡単な言葉の意味も分からないのか? つくづく愚鈍な女だな。僕は婚約を解消すると言ったんだ!」

「ど、どうして……!?」

「お前の妹のミディアから聞いたぞ。お前はミディアを虐めていたそうじゃないか。お前は魔法の中でもっとも下賎と言われる『生活魔法』しか使えない。だがミディアは聖魔法を使いこなしている。お前はそんなミディアに嫉妬して陰湿な嫌がらせを繰り返していたんだ!」

「そ、そんなことはしていません!!」


 ネリネは慌てて否定する。しかしローガンは聞く耳を持たない。

 ローガンの傍らにはミディアが寄り添っている。金髪の髪に緑の瞳。ネリネより三歳年下のミディアは、甘えるようにローガンの腕に抱き着いた。


「お前はミディアの持ち物を隠したり、ドレスをわざと汚したり、階段から突き落とそうとしたり、悪行三昧だったそうじゃないか。なあ、ミディア?」

「はい、辛かったですわ。ローガン様」


 地味な装いのネリネとは異なり、ミディアは派手で華やかな美少女だ。同じアンダーソン子爵家の姉妹でも雲泥の差だ。

 ローガンはミディアの肩を抱いて、ネリネを見下ろす。パーティー会場にいた貴族の子女たちもざわめいた。


「まあ、ネリネさんったらそんなことを……?」

「やはり生活魔法しか使えないような下賎な者は、心根も貧しいのでしょうな」

「生活魔法ってアレですよね、別名・家事魔法。または雑用魔法」

「家事なんて使用人のする事だ。我々貴族は生活の為の労働を行わない」

「だからこそ政治や軍事、魔法の研究に邁進できるというのに」

「ネリネさんは聖魔法の名門アンダーソン家のご令嬢なのに、生活魔法しか使えないんですって? 本当にアンダーソン子爵の血を引いているのかしら……」


 口々に囁かれる嘲笑の言葉の数々。ネリネは悔しさに涙が出そうになる。


(違う! 私はミディアを虐めたりしていない!)


 だが反論しようにも、誰も信じてくれない。

 この魔法学院には、王族か貴族の子女しか通えない。基本的に魔法は庶民には扱えない。上流階級の特権である。

 そしてこの国では、上流階級に属する者は家事や雑用を行わないことが美徳とされている。

 それなのに、魔法学院に通っていながら生活魔法しか使えないネリネは徹底的に見下されてきた。

 一方、見た目が可愛くて聖魔法の使い手のミディアはみんなの人気者だ。

 虐めだなんて冤罪だと訴えても、誰も聞き入れてくれない。この場にネリネの味方は誰一人としていなかった。


「お前のような女と結婚するなんて耐えられない。元々僕たちの婚約は“オニール家とアンダーソン家”の間の取り決めだからな。結婚するのは妹のミディアでも問題ない。両家の当主に了承を貰っているから安心しろ」

「そ、そんな……!」

「お前と違ってミディアなら僕の嫁として申し分ない。これから仲良くやっていこうな、ミディア」

「ローガン様……わたくし、幸せですわ!」

「ははは、僕もだよ。君を救えて嬉しいよ、ミディア」

「愛しています、ローガン様!」

「僕もだよ、ミディア!!」


 ローガンとミディアはお互いに抱き合う。

 二人の様子を見ていた他の貴族たちから拍手が上がった。


「さすがはローガン様! 家格に相応しい、素晴らしい婚約者をお選びになった!」

「生活魔法しか使えないようなネリネ嬢より、ミディア嬢の方が名門オニール家の奥方様に相応しいです!」

「生活魔法なんて、上流階級の品位を損ないかねませんからね。それに引き換え、ミディア嬢の聖魔法はとても美しいですわ!」


 口々に褒め称える声に、ローガンは満足げに笑みを浮かべる。そして最後にネリネへの向き直ると、もう一度宣言した。


「さあ、これでお前との婚約は解消した。これからは平民と同じように働くが良い。お前みたいな地味でみすぼらしい女には労働がお似合いだ。せいぜい頑張って働くのだな!」

「さようなら、ネリネお姉様。ごきげんよう」


 ローガンは高笑いをしながら、ミディアと共に去って行った。残されたネリネは呆然と立ち尽くすしかない。


(嘘……。私、卒業後はローガン様と結婚するはずだったのに、どうしてこんなことに……?)


 一方的に婚約解消を告げられたネリネにとって、そのショックはあまりに大きすぎた。

 周囲の嘲笑、哄笑、侮蔑――そうした反応すら、どこか遠い世界のように感じていた。



***



 だが、ネリネの不幸は婚約解消だけに留まらない。

 アンダーソン家に帰ったネリネを待っていたのは、父と養母の冷たい眼差しだった。


「話は聞いたぞ、ネリネ。お前とローガン殿の婚約は白紙となった。もはやお前をこの家に置いておく理由はなくなった。今すぐ家を出て行ってもらう!」

「え……!?」

「今までこの家に住まわせてやっていたのは、オニール家との縁談があったからだ。だがもう婚約は解消された。よってもうお前をアンダーソン家に住まわせる理由はない。以上だ!」

「そんな……!?」

「ネリネさん。これは旦那様のご厚意でもありますのよ。元婚約者と妹が仲睦まじく過ごしているのを間近で見るのは辛いでしょう。だから……ね?」


 養母が取りなすように言うが、ネリネにはほとんど聞こえていない。

 ネリネはアンダーソン家の長女だ。けれど物心つく前に実母を亡くして、父はすぐ後妻を娶った。

 父と実母は政略結婚で結ばれた。しかし二人は性格の相性が悪く、夫婦仲も良くなかった。

 父は母が病気で死ぬと、母の生前から関係を持っていた女性を後妻として迎え入れた。それがミディアの母親だ。


 後妻とその間に異母妹のミディアが生まれると、ミディアばかりが溺愛され、ネリネは冷遇されるようになった。

 しかも生活魔法しか取り柄がなかったのを良いことに、屋敷の家事を押し付けられ、粗末な屋根裏部屋で寝起きすることを余儀なくされた。

 そして婚約破棄を言い渡された今、ついに追い出されようとしている。


 ネリネの目からは涙が溢れてきた。

 今までも父が自分を疎ましく思っていることはわかっていた。

 けれどまさか、こんな形で捨てられるとは思わなかった。

 ネリネだって好きで家事をしていたわけではない。アンダーソン家にいられるように頑張った。頑張れば家族に認められて愛されるかもしれない。そう思って、少しでも良い子になろうとして努力してきた。

 なのに、どうしてこうなったのだろう……。


「そんな、待ってください! この家を追い出されて、私はどうやって生きていけばいいのですか……!?」

「フン、哀れなお前に奉公先を探してやった。感謝するんだな。お前はこれから北の辺境、魔国との国境であるプロヴィネンス地方へ行く。そしてプロヴィネンス地方の総督、『怪物侯爵』と謳われるアーノルド・ウォレス侯爵の下で働くのだ」

「か、怪物侯爵……!?」

「そう、この国では有名な話だ。魔国の主力部隊をたった一人で退けた英雄、アーノルド・ウォレス侯爵。しかし残虐非道な行いを繰り返す恐ろしい男とも言われている。恐るべき魔術の研究を行う冷酷無比な男だともな。おかげで使用人がまるで定着しないそうだ。……噂によると、人間を殺して実験に使っているという話もあるようだな」


 父は厭らしい笑みを浮かべる。ネリネは恐怖で震え上がった。

 凶暴な魔物や悪魔が住む魔国。プロヴィネンス地方はその魔国からの脅威に晒される、王国内で最も危険な地域だ。そんな場所に行けば命はないかもしれない。


「お前は生活魔法が使えるだろう。その力を活かせば、お前のような者でも少しは役に立てるかもしれん。何にしてももう娘をくれてやると手紙を出した。さっさと行け!」

「そんな……! お父様、どうか考え直してください!」

「うるさい! もう荷物も用意してやったんだ、さっさと出ていけ!」


 父はそう言うと粗末なバッグを投げてよこした。中を開けると最低限の日用品が入っているだけだ。


「それと、お前の部屋を整理していたらこんな物を発見した」


 そういって父が懐から取り出したのは、ネリネの実母が遺してくれた手紙だった。

 実母はネリネが一歳の時に亡くなった。だからあまり思い出はないが、それでも何通かの手紙を遺してくれていた。

 そこには幼い娘を遺して死んでしまう母親の悲しみと、惜しみない愛情が記されていた。

 家族から冷たい仕打ちを受けるネリネにとって、愛情を感じられる実母の手紙は唯一の心の拠り所だった。


「こんな手紙を隠し持っていたとは。つくづくあの女に似ていやらしい娘だ。そもそも我が家に生活魔法の使い手などが生まれたのがおかしいのだ。お前の母は余所の男と通じていたのかもしれないな」

「まあ、旦那様ったら……流石にそんなことを言ってはいけませんわ」

「こんな物はこうしてくれる!」

「や、やめ――っ!」


 ネリネが止める間もなく、父の手が手紙をビリビリに引き裂いた。

 細かく切り裂くと地面に捨て、土足で踏みにじる。

 ネリネの心も同時に引き裂かれ、踏みにじられるような痛みを感じた。頬に涙が零れ落ちる。


「あぁ……お母様の手紙が……」

「まったく、お前は母親そっくりだな。顔も中身も何もかも。本当に腹立たしい。さあ、出て行け!!」


 怒鳴られて馬車に押し込まれる。ネリネはもはや抵抗する気力も起こらず、力なく馬車に押し込まれた。

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