三章

第16話 生活魔法で応急手当

「ふうっ、今日もいいお天気!」


 ネリネがウォレス侯爵家で働き始めてから少し時間が経過した。

 彼女が植えた植物はすくすくと育ち、レタスはもう収穫できるようになった。

 その日、ネリネは朝早くから『洗濯(クリーニング)』で洗濯を終えると、菜園でレタスを収穫する。

 そして昼前には屋敷に戻り、昼食の支度を手伝おうと考える。


(新鮮なレタスが獲れたからサラダにして……あっ、スープにするのもいいかも?)


 そんな事を考えながら裏門の前に差し掛かった時だった。

 門の向こうに誰かが倒れているのが見えた。

 背格好から察するに、どうやら近くの村に住む村人の男性らしい。

 彼はあちこちにケガをしていた。服に血が滲んでいる。


「だ、大丈夫ですか!? どうされたんですか!?」

「うぅぅ……た、助けてくれ……」

「ひどいケガ……任せてください、『応急手当(ファーストエイド)』!」


 ネリネの手から光が放たれ、男性の傷を癒していく。

 やがて出血が止まり、男性は顔色が良くなった。


「あ、あれ? 痛みが消えたぞ……? それに怪我も治っている」

「生活魔法の一つ、『応急手当(ファーストエイド)』を使ったんです。重傷は治せないけど、軽いケガなら癒すことができるんです」

「へえ、そいつは凄い! 助かりましたよ」

「いえいえ、どういたしまして。でも、どうしてこんなことに?」

「実は村の畑に魔獣が出たんです……! 戦えない者は避難させて村の男だけで対処しようとしたのですが、予想外に強い上に数も多くて……侯爵様に助けを求めに参りました」

「ま、魔獣……!?」


 ネリネは驚いたが男性の話を聞く。

 魔獣とは魔物の一種だ。魔素を取り込み過ぎた動物が変異し、凶暴化した存在だ。

 基本的に知性はなく、食欲や破壊衝動に従って動く。

 この屋敷にいる魔物の使用人たちとは違って完全に理性がない。本能のままに暴れ回るのだ。


「この辺りは魔国の影響が強く、魔素も濃い。たまに魔獣が出没するのだ」

「アーノルド様……!」


 ネリネが振り返ると、そこにはアーノルドの姿があった。


「あ、あなた様が侯爵様ですか……!? 私は西のミスカ村の者です! お願いします、どうか村を助けてください!」

「勿論だとも。すぐに向かおう」

「あ、ありがとうございます!」

「礼を言うのは早い。まずは準備をしなければ。……そうだネリネ、君も同行してくれ」

「私も、ですか!?」

「君の『応急手当(ファーストエイド)』の力を見せてもらった。村には怪我人もいるそうだから、君の力が必要になるだろう」

「分かりました、そういうことでしたら……ご一緒します!」


 こうしてネリネはアーノルドと共に、西のミスカ村へ向かうことになった。

 遠出用の馬車に乗り、御者はルドルフが務める。

 前回町へ行った時と違うのは、普通の馬ではなく魔馬を使っている点だ。

 魔馬はその名の通り、魔力を持つ馬のこと。通常の馬よりも身体能力が高く、走るスピードは倍近い。


「よし、出発だ!」


 アーノルドの指示に従い、ルドルフが鞭を振るう。

 二頭の魔馬が勢いよく走り出す。幸いにも道中に危険な場面はなかった。

 だがミスカ村はひどい有様だった。家屋は壊され、畑は荒れ果てている。

 村人たちは逃げ惑い、魔獣が村の真ん中で好き勝手に暴れ回っていた。


「なんて酷い……!」


 ネリネはその惨状に思わず声を上げる。暴れている魔獣は黒い毛並みの巨大な熊だ。


「近くの森に生息していた熊が魔獣化したのか。さしずめブラックグリズリーといったところか」

「ど、どうしましょう?」

「心配しなくていい。あの程度の魔獣なら俺の敵ではない」


 アーノルドはそう言うと馬車から降り立ち、ブラックグリズリーの前まで歩いていく。


「グルルルッ……!!」

「やれやれ……見苦しい姿になったものだな」


 ブラックグリズリーの目は赤く濁り、牙を剥き出しにした顔は悪鬼のようになっている。アーノルドは嘆息すると、右手を前に突き出して呪文を唱える。


「『雷光剣(ライトニング・ソード)』」


 すると指先からバチバチと音を立てて、紫電がほとばしる。

 次の瞬間、アーノルドの掌から雷の刃が飛び出した。

 それはまるで稲妻のように伸びていき、ブラックグリズリーの身体を貫く。


「グギャアァッ!?」


 黒い魔獣は悲鳴を上げて倒れると、そのまま動かなくなった。


「アーノルド様……! 今のは一体……!?」

「見ての通り、何の変哲もないただの攻撃魔法だ。周囲への影響も考え、最短かつ確実に仕留められる魔法を使った」

「す、凄い……!」

「大したことではない。それよりもネリネ、負傷した村人の手当を頼む」

「かしこまりました!」


 ネリネは村人に駆け寄って治療を始める。幸い死者はいなかった。

 すぐに『応急手当(ファーストエイド)』を使って癒していく。

 骨折のような重いケガを負っている人には、丁寧に添え木を当てて包帯を巻く。


「はい、これでひとまず大丈夫です。でも後でお医者さんに見せてくださいね」

「ありがとうございます、助かりました……!」


 負傷した子供を抱える母親からお礼を言われる。ネリネは笑顔で応えたあと、アーノルドの傍まで歩み寄る。


「お疲れ様でした、アーノルド様。流石ですね、一撃で倒してしまうなんて」

「ああ。それよりネリネ、君はケガ人の治療も手慣れているようだな」

「実家にいた頃は、救貧院や医療院でお手伝いしていましたから。ケガをした人や病人の治療は慣れています」


 上流階級の社会では、貴族の女性――夫人や令嬢といった立場にある女性は、慈善活動を行うのが美徳とされている。

 救貧院や医療院、孤児院での奉仕活動。それらの行動を、アンダーソン子爵家はすべてネリネに押し付けていた。

 養母も異母妹のミディアも、そういった地味で負担の大きい活動を嫌がっていた。だからネリネは、一人で奉仕活動を行っていた。

 しかしネリネの活動は彼女本人への評価には繋がらず、アンダーソン子爵家への評価として世の中に広まった。

 父はネリネの活動を、養母やミディアの功績として宣伝したからだ。ネリネ個人はまったく評価されなかった。

 しかし何の力もない孤児院の子供たちや、医療院の患者から感謝されることは多かった。中には涙を流して喜んでくれる人もいた。


(……今思えば、あれが私の原点なのかも)


 周りから立派だなんて思われなくていい。

 ただ目の前にいる、弱くて困っている人を助けたい。いつしかそう思うようになっていた。


「すみません、こちらもお願いします!」

「あっ、はい! 今行きます!」


 そんな過去を思い出しながら、ネリネは傷ついた村人たちの手当てを続けた。

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