第25話 アーノルド様の様子がおかしい
それから数日が経った。
最近アーノルドの様子がおかしいことに、屋敷中の使用人たちは気付いていた。
「ネリネ、珍しい菓子を入手した。一緒に食べよう。お茶を淹れてくれ」
「ネリネ、先日オーダーしたドレスが届いたぞ。早速着てみせてくれないか」
「ネリネ、君が植えた庭の花が咲いたぞ。今日の昼は庭で一緒に食事をしよう」
「ネリネ、この魔術理論について君はどう思う? 意見を聞かせてくれ」
「ネリネ、先日購入した本の感想なのだが、終盤で主人公はなぜあの行動を取ったと思う?」
……といった具合である。今までは仕事の合間の休憩時間に、紅茶を飲みながら世間話をするだけだった。
それが今ではティータイムには必ず誘われるようになり、二人で読書をする時間まで設けられた。
ネリネはアーノルドに贈られた本を読んで感想を述べ、アーノルドはネリネの意見を聞いて考え込む。
最初はネリネも戸惑っていたが、アーノルドと過ごす時間は楽しいので嫌ではなかった。むしろ好ましいとさえ思っている。
そんな二人の様子を、使用人たちは温かい目で見守っている。
「アーノルド様にも春が来たって感じだね~」
「ふふっ、いいじゃない。あの二人、なんだか微笑ましいわ」
「ああ、これぞ愛! 素晴らしき哉、愛!!」
使用人たちは大半がアーノルドに救われ、ネリネの生活魔法にも助けられた経験の持ち主だ。
そんな彼らは二人の恋路を応援していた。
「アーノルド様はネリネちゃんのことを、とても大切に思っていらっしゃるようだし」
「それにネリネさんだって、アーノルド様のことを嫌ってはいないでしょう?」
「うん、それは間違いないよ。アーノルド様を見る時のネリーの表情は恋する乙女って感じじゃん」
「……ルドルフ、あんた恋愛経験あったっけ?」
「あはははー。……それは言わない約束だよ?」
皆に応援されながらも、ネリネは戸惑いを隠せないでいる。
……どうしてこうなった??????
アーノルドはとても素敵だとネリネは思う。優しくて紳士的で、包容力があって大人の魅力がある。
だけどこんな風に甘やかされて、優しくされるとどう接していいのか分からなくなる。
今までの人生で、男性に優しくされた記憶など皆無だったからだ。
アーノルドは素敵な人だと思う。一緒にいてドキドキすることもある。
だが、それ以上に困惑してしまう。
そもそもネリネはつい最近、一方的に婚約解消されたばかりだ。
ローガンとの関係は家が決めた婚約者同士。特別好きだったわけではない。
しかし、だからといってすぐに新しい恋ができるはずもない。
何かに期待して裏切られるのはもう嫌だ。そう思ってしまう自分がいる。
「ネリネ、どうかしたのか? 何か心配事でもあるのか?」
「いえ……」
「悩み事があるなら何でも言ってくれ。君の為なら俺はどんなことでもするつもりだ」
「アーノルド様……」
「何か不安があるのだろう? でなければ君がそんな顔をする筈がない。もし良ければ聞かせてくれ」
「……実は以前の婚約者のことを、ふと思い出しまして」
「婚約者? 確か――ローガン・オニールだったか。王都の名門貴族、オニール伯爵家の令息だったな」
「はい」
アーノルドは以前ネリネが王都にいた頃のことを調査したので、ローガンのことも知っている。
オニール家はリウム王国の建国当時に尽力した由緒正しい名門貴族。一族の当主は代々火属性魔法を操る。
「私の母はオニール家と縁が深い貴族の出身でした。母は生前、私の将来を案じて亡くなる前にローガン様との婚約を取り決めました」
「ネリネは彼を愛していたのか?」
「……どうでしょうか。ローガン様は私のことを好きではなかったようです。私の方も、死んだお母様の願いだからローガン様との婚約を受け入れていたような気がします」
「そうか。ネリネにとっては母君の願いが大切だったのだな」
「はい……お母様は私を産んだ直後に病に冒され、翌年亡くなりました。お母様は遺される私の身を案じて、いくつも手紙を遺してくれました。病に倒れてから亡くなるまでの約一年間、毎日手紙を書いてくれたんです。そのどれもが私への愛情に溢れていました」
「素晴らしい母親ではないか」
「私もそう思います。だからこそ、その気持ちに応えたかった。お母様の手紙には、私の将来を案じてオニール家との婚約を取り決めたと書いてありました。だから私はローガン様と結婚するべきだと考えていました。でも……今は違うと思います」
いくら娘を案じた母親の最後の望みとはいえ、自分の人生に関わる重大な選択だ。
もっと時間をかけて相手を見極めるべきだったのではないか。今のネリネはそう思うようになった。
「親に言われたからと従うのではなく、もっと慎重に考えて決めるべきでした」
きっと母が望んでいたのは娘の幸せだ。それなのに不幸な結婚をしたら、天国の母は嘆くだろう。
ネリネの言葉にアーノルドは深く共感し、何度も肯いている。
「その通りだ。俺も同じことを考えていた。……やはり俺と君は似ているのかもしれないな」
「え……?」
「俺も両親を早くに亡くした。死んだ両親の思いに報いようと自分を押し殺していた時期があった。だがある時、そのことに気付いてからは心機一転することにしたんだ」
「アーノルド様が、ですか?」
「ああ。俺の両親は、俺の幸せを願っていたに違いない。ならば俺が本当に望むものを見つけることが大事だと気づいたのだ」
アーノルドがそんな風に考えていたなんて意外だ。ネリネの知る彼は、いつも自信に満ち溢れていた。
「……アーノルド様が望むものとは何ですか?」
「それは……」
「それは?」
「秘密だ。君の望むものが見つかった時に、お互いに教え合おう」
アーノルドは悪戯っぽく笑う。彼の意図が読めず、ネリネは内心で首を傾げる。
だけど、アーノルドの笑顔を見ると何も言えない。
「分かりました。その時を楽しみにしています」
「ああ、待っていてくれ」
アーノルドはネリネの手を握る。彼の手は暖かくて、大きな手だ。彼に手を握られると安心できる。
「俺はこの屋敷で暮らす者たちを家族だと思っている。ネリネ、君もだ。血の繋がりはなくとも、同じ屋敷で暮らし心を通い合わせる者は俺の家族だ。だから君も辛い過去は忘れて、今の生活を楽しんでほしい」
「……ありがとうございます」
やっぱりアーノルドは優しい人だなと思う。彼と一緒にいると落ち着く。彼はネリネが一番欲しい言葉をくれる。
……どうしてこの人は、こんなに自分のことを分かってくれるんだろう?
でも、嬉しい。アーノルドの言葉は、ネリネの心の一番柔らかい部分に優しく触れて浸透する。
傷ついた心を癒してくれる。だからネリネも彼の役に立ちたいと、ますます強く思うようになる。
「あの……私、アーノルド様の――家族のお役に立てるように、もっともっと頑張りますね!」
「ありがとう。だが無理は程々にな」
「無理なんてしていません。それよりも今は、アーノルド様の役に立ちたくて仕方がないんです」
「そうか……では早速一つ頼みたいことがあるのだが」
「はいっ。何なりとお申し付けください!」
ネリネがやる気を見せると、アーノルドもまた嬉しそうに笑った。
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