第41話 Nevermore

「アーノルド様!!」

「ネリネ、無事か! この事態は――」

「はい。恐らく辺境都市で起きたのと同じ出来事が、この王都でも起きてしまったようです」


 アーノルドの元に駆けつけたネリネは状況を分析する。

 あの時と同じだ。魔総裁マルファスの実験で操られた人間が、他の人間を襲い始めた。

 さっきのカラスはマルファスの使い魔だと言っていた。

 恐らく、この王都でも同様の事をしていたのだろう。

 魔物の血を人間に与え、魔物化させて人を襲わせるという、最悪の出来事が。


「ネリネ! アーノルド! これは……!」

「マティアス殿下!」


 そこへマティアスがやってきた。

 ネリネたちは事情を説明する。

 マティアスもこの状況を理解すると、悔しげに拳を握る。


「まさか王都内に魔物の侵入を許してしまうとは……!」

「マティアス様、今は悔やんでいる場合ではありません! こうしている間にも人が襲われています! すぐに対処しなければ……!」

「分かっている! だが、どうやって対処しろと言うのだ!? 見た目では魔物化した人間と、そうでない者との区別がつかないではないか!」

「いいえ、判別は可能です」


 アーノルドは壇上に立つと、懐からもう一つの箱を取り出す。


「あれは――!?」

「『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』です。俺とネリネが共同開発した防御用の魔術兵器です。半径三十メートル以内に結界を張ると同時に、魔物の侵入を拒むことが可能です」

「なんと……! だが、魔物は既に侵入してしまっているぞ! 今更発動したところで役に立つのか!?」

「殿下。兵器とは――道具とは使い方次第です。見ていてください。……『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』、発動」


 アーノルドが呪文を唱えると、彼の周囲に光輝くドーム状の壁が現れた。

 それはネリネたちの周囲を囲うように現れ、広場全体を包み込む。

 そして次の瞬間――広場で暴れていた人々の動きが止まった。


「な、なにが起きたんだ?」

「急に大人しくなったぞ!!」

「ア……ガ、グアァ……ッ!」


 広場にいた十数人の暴徒たちが硬直する。まるで見えない縄で縛られているかのように。


「……邪悪な存在は『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』の領域に侵入できない。では既に侵入した者はどうなるか? 御覧の通り、動きを封じられてしまうのです」

「これは……凄いな、予想以上だ……!」


 マティアスは感心したように呟く。

 アーノルドは誇らしげに笑った。そしてネリネを見つめる。


「ネリネ、この人数を浄化できるか?」

「はい、アーノルド様。あの時と同じですね。頑張ります」

「無理はするな。苦しいと思ったら正直に言ってくれ。『聖域の盾(サンクチュアリシールド)』を発動させておけば、彼らを長時間拘束しておくことも可能だ」

「ですが、彼らも被害者です。苦しみは長引かせたくありまえせん」

「そうか、ネリネは優しいな」


 アーノルドはネリネを労う。ネリネは彼に微笑みを返すと、聴衆の中に割って入り、動かなくなっている暴徒へと歩み寄る。


「あ、危ないですよ!」

「大丈夫です、今助けますから――『浄化(ピュリフィケーション)』」


 ネリネは暴徒の額に手をやり、『浄化(ピュリフィケーション)』の呪文を唱えた。

 彼女の掌から温かい光が放たれる。同時に、正気を失っていた暴徒の瞳の色も正常に戻っていく。


「あ、あれ……俺は何を……!?」

「気が付きましたね。良かった」

「あ、あなたは……!?」


 暴徒はネリネを見て驚く。ネリネは彼を安心させるように微笑んだ。


「あなたの体内に注入された魔物の血を浄化しました。これでもう安心です。あなたが暴走することはありません」


 壇上でアーノルドも宣言する。


「今の力はネリネ・アンダーソンの生活魔法の力だ! 貴族の中では生活魔法などと見下す者もいるようだが、魔術兵器と同様に魔法も使い方次第だ! 魔総裁マルファスによる血の実験で魔物化させられた被害者を浄化することで、正気に戻す力を彼女は持っている! だから皆の者は安心してほしい! 混乱せず、秩序を守り身近の者を助けるように! ――プロヴィネンス地方を預かる侯爵、アーノルド・ウォレスから皆に頼む!」


 アーノルドは壇上から人々に呼びかける。その名前を聞いて、聴衆たちは驚きの声を上げた。


「アーノルド・ウォレス侯爵様!? あの御方が!?」

「あの魔国との戦線を退けた英雄様がいらっしゃるのか!」

「ウォレス侯爵閣下がいてくださるのなら安心だわ! あの御方に従っていれば間違いありませんわ!」

「それにネリネ様が暴徒を正気に戻したのは事実だしな。よし、もう大丈夫だ! 怪我人を助けろ!」


 人々の間に落ち着きが戻る。ネリネはホッと息をつく。

 だが、まだ自分にはやるべき事が残っている。

 ネリネは事情を理解した兵士たちに案内され、拘束されている暴徒たちの元へ赴くと浄化して回った。

 一時間と経たずして、魔物化された被害者たちは全員正気を取り戻した。

 そして彼らがマルファスの使い魔に襲われ、無理やり魔物の血を注射された被害者であることも判明した。


「なんてことだ……! こんなことが王都で行われていたとは!」

「衛兵は何をしていたんですか!? 市民を守るのが仕事でしょう!」

「いや、衛兵たちに魔物を感知する力はない。だからこそ王都は神聖結界を張り、魔物の侵入を阻んでいたんだ」

「じゃあ神聖結界に問題があったってこと? 結界を張る役目を担っているのはアンダーソン子爵よね?」

「そういえば最近のアンダーソン子爵は仕事が雑になっていると噂だったが……」

「子爵が適当な仕事をしたせいで魔物を侵入させてしまったということ!?」

「冗談じゃないわ! それでは私たちの税金は、一体何の為に使われているのよ……!?」


 人々は口々に不満を口にする。

 怒りの矛先は貴族席で縮こまっているアンダーソン子爵に向けられる。


「ま、待て! 私は悪くない! 全ては魔国の連中が悪いのだ! 奴らが結界を破り、王都に侵入してきたのが原因だ!」

「嘘をつけ! 自分の罪を認めないつもりか!」

「そうだぞ、俺は知ってるんだ! 半月ほど前、子爵は魔法塔で結界を強化したと言っていた! だがその直後、どこからともなくあの巨大なカラスが現れたのを俺は見たぞ! 思えばあの時、魔物の侵入を許してしまったんだ!」

「ぐ、ぐぬぅ! 貴様ッ!!」


 証言したのはアンダーソン子爵の御者を務める男だった。

 彼は近頃のアンダーソン子爵から辛く当たられていた。だからこれ幸いにと証言して糾弾する。


「なんと、アンダーソン子爵がそのような怠慢を……」

「王都の防備を預かる家系でありながら、務めを放棄するとは……貴族にあるまじき失態ですな」

「それに暴徒――いや、被害者たちを浄化したネリネ嬢はアンダーソン子爵のご令嬢でありますが、子爵は彼女に辛く当たった挙句に実家を追放したという話です」

「いやはや、いくらなんでも酷すぎる話ですな」

「しかし追い出された娘の方が人々を、いや、国を救うとは……皮肉なものですな」

「国を救うといえば、ウォレス侯爵も素晴らしい。あの混乱を即座に鎮めてしまいましたよ」

「さすが戦場を潜り抜けている英雄は違いますな」


 貴族たちもアンダーソン子爵を批判し、ネリネとアーノルドを褒め称える。

 民衆の怒りが一気に膨れ上がり、アンダーソンは追い詰められていく。

 そんな彼に追い打ちをかけるように、アーノルドが声を上げる。


「皆、落ち着いてくれ! 子爵の処遇については我らで改めて話し合う! どうかこの場は落ち着いて、建国祭の続きを楽しんでほしい!」

「そうだ。此度の騒動は我が友アーノルド・ウォレスとネリネ・アンダーソンが解決してくれた。既存の価値観では恐れられ、あるいは排斥された二人が我々を救ってくれたのだ。もし二人がいなければ、事態は収拾がつかなかったかもしれない。被害は拡大し、人々は疑心暗鬼に陥り、王都の風紀は乱れ人心が荒廃していたかもしれない。そう、あのカラスが予言したように」


 マティアスもアーノルドの隣に並び立つと民衆に呼びかける。

 英雄と王太子。二人からの呼びかけに民衆は耳を傾ける。


「だが、そうならなかったのは二人のお陰だ! こうなってみると、古い偏見や狭い価値観に囚われ続けることがいかに損害を生むか分かるだろう。故に我々は考えなければならない。古き時代を終わらせ、新たな時代を迎える為にはどうすればいいのかを」


 マティアスの言葉に群衆は黙って聞き入る。

 そして彼の言葉が人々の心に染み渡った頃合いを見計って、アーノルドが告げる。


「魔総裁は倒れ、使い魔も死んだ。そしてネリネの力により、血の実験の被害者も全員浄化された。あのカラスの予言は当たらない。この国と王都の平和は守られた。もはや乱されることはない。――そう、『Nevermore(二度とない)』」


 Nevermore――二度とない。

 それはあのカラスが告げた不吉な予言。

 しかし英雄アーノルドが同じ言葉を告げたことで、その言葉が持つ不吉な響きは払拭された。

 人々は一瞬ぽかんとするが、次の瞬間には歓喜が沸き上がった。


「そうだ、Nevermore(二度とない)!」

「この国は救われたんだ! 俺たちは自由だ!」

「アーノルド様とネリネ嬢がいる限り、この国が魔国の手に堕ちることはないんだ!」


 人々は喜びの声を上げ、手を繋ぎあって踊る。

 Nevermore(二度とない)という言葉を繰り返しながら。

 不気味で不吉な呪いの言葉は、今や祝福の言葉へと変わっていた。

 こうして、王都に潜む魔の手は退けられた。


「アーノルド様、お見事でした」

「ネリネ、君もご苦労だった。君の存在なくしては、事態は収拾できなかっただろう」

「いえ。皆様はアーノルド様のお言葉を聞いて、安心できたんだと思います」

「俺の功績ではない。俺はただ喋っただけだ。実際に人々の輪の中に入り、被害者たちを浄化したのは君の力だ」

「アーノルド様……」

「俺は君を誇りに思う。よく頑張った」

「はい……ありがとうございます……!」


 アーノルドはネリネの頭を撫でる。

 彼女の努力を認め、労うように。

 ただそれだけで、これまでの全てが報われる気がした。

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