第31話 傘ある今日を憂いて
さて、約二か月に渡る大戦は終わりを迎え、戦国肥前は新たな段階へと入っていった。
有馬勢を打ち破った龍造寺は、杵島郡の大部分を手中に収め、肥前在地領主として屈指の勢力へと伸し上がったのである。
しかし、杵島郡には、有馬方として勢力を維持していた国衆がまだ残っていた。郡の南西、
須古は、西の藤津郡との往来のために欠かせない要地であった。
すでに敵は有馬の援軍を望めない。逆に自分達の勢いは昇龍の如し。ならば、落として帰郷しない訳にはいかないではないか。隆信はそう判断し、有馬本陣を焼き討ちにした後、軍を須古へと向かわせる。
ところがこれが誤算だった。
平井勢は何と出撃して、龍造寺勢に襲い掛かって来たのだ。
両勢は境目にあった大橋にて激しくぶつかったものの、龍造寺勢は崩れて敗走。
平井勢は先回りして龍造寺勢の退路を断ち、伏兵をもって鍋島信昌を討ち取る寸前にまで追い詰めている。その上で追撃を加え、龍造寺勢を境目から追い出していったのだった。
平井経治は有馬仙岩の娘を娶っており、義貞や純忠の義兄弟である。
並々ならぬ忠義心と武勇に、隆信は思い知らされたはずだ。孤立しているとはいえ、須古を滅ぼすのは至難であると。
後に十一年という長きに渡り龍造寺を苦しめ、後世において当代無双の者と評された平井経治との抗争は、ここに始まったのであった。
※ ※ ※
「ええっ! 良いのでございますか⁉」
「ああ、二言は無い。奪った多久はそなたに任せようと思う。敵対国衆に目を光らせつつ、西方の拠点を任せられるのは、そなたしかおるまい」
「ありがたき幸せ。望外の喜びにござる」
隆信は平井勢の追撃や、落ち武者狩りを退けて須古から撤退した後、佐嘉へと退くことを決めた。
そして横辺田にて一夜を明かした際、長信を呼び出し、人払いした上で、今後の領国方針にについて打ち明ける。長信の多久移封についてであった。
長信はお礼を述べ、深々と頭を下げる。
多久は森林資源が豊富な地である。後年、龍造寺は西肥前侵攻の際、多くの城郭を普請しているが、長信はその木材の調達運搬、夫丸の動員などの後方支援で大きく貢献している。
この移封は、彼の本領を遺憾なく発揮することが出来る差配であった。
「だがな、実はもう一つ思う所があるのだ」
「ほう?」
「その前に尋ねるが、そなたは不思議だと思わなかったか? これまで有馬が小城や佐嘉に攻め込んできた時は、常に挟撃を狙っていた。なのに去年もこたびの戦も、奴らは力任せに押し寄せて来た。仙岩が健在なのにだぞ」
隆信は腕組みしながら真顔で告げる。
彼の言う有馬の狙っていた挟撃とは、東肥前に少弐家が健在で、その傘下に多くの国衆達がいた頃の話である。
しかしすでに少弐家は滅亡し、その傘下にいた江上、小田、神代などの国衆達は龍造寺の傘下に置かれている。
戦いが終わった今、何故その頃の話を持ち出してくるのか。長信は首を傾げるしかない。
すると隆信は長信に顔を近づけ、密やかに告げた。
「あくまで想像だが、有馬は神代や江上などの国衆達に連携を呼び掛けたが、断られたのであろう。いや、断る様に仕向けさせた者がいる」
「有馬が勝つと都合の良くない者がいると?」
「そうだ。境目静謐(※穏やかで治まっている様)が役目である守護にとっては都合が悪いであろう?」
「ああ、成程……!」
永禄六年当時、肥前守護職は北九州の名門、大友家が有していた。
国衆間の紛争調停は守護の役目である。肥前を二分する有馬と龍造寺の対立は、肥前を統治する大友家にとって、重大な懸念事項であったのだ。
「有馬は肥前最大の在地領主であった。それがもし我らを打ち破っていれば、大友の肥前統治は頓挫しかねない。ゆえに神代や江上などに対し、有馬と手を組むなと釘を刺したのであろう」
「ううむ、確かに出る杭は打たれると言いますから、大友の警戒も納得にございます。 ……えっ?」
すると、長信は顔を顰めて、思わず隆信を直視していた。
それが何を意味しているのか。察した隆信は頷くと、より小声になって告げる。
「気付いたか。こたびの戦を経て、我らは肥前屈指の大勢力にのし上がったのだ。今後、大友が我らの威勢を潰すべく、周辺国衆達に調略を仕掛けて来るかもしれん。西肥前におけるその動向を、そなたには良く見張っていて欲しいのだ」
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