第30話 有馬領国崩壊の始まり(後) 三頭政治
「以後の政事はわしが司る。そなたは大人しく隠居しておれ」
仙岩の通告に、広間は水を打った様に静まり返った。
有馬は当主義貞を強制隠居と言う形で、大敗の責を取らせる。
そう、領国内外に宣伝する事で、仙岩は傘下の国衆や地侍達の不満を抑えようとしていたのだ。
仙岩は家臣達の反応を窺おうと、広間を見渡してみる。
しかし異見を口にする者はいない。いるはずがない。大敗の責に加え、これまでの義貞の指導力も鑑みれば、更迭は妥当であろう。そう考え、事の成り行きを見守るだけの仏頂面がずらりと並んでいる。
ゆえに、この差配に納得しない者は一人だけであった。
「父上、お待ち下さりませ、父上!」
退出しようとする仙岩の元へ、義貞は駆け寄ってゆく。
そして焦燥した表情のまま、這いつくばって仙岩の袴を掴むと、力ずくでその歩みを止めようとしていた。
「純忠ともよく協議し、領国内の安定に尽力いたしますれば、何とぞ挽回の機会を与えて下さりませ!」
「もう遅い」
「何と!」
「間もなく領国各所において、内乱が勃発するであろう。して戦になった時、そなたが率いる軍勢を見て、誰が
「し、しかし──!」
「しばらく領外にて頭を冷やして参れ、良いな」
「りょ、領外! 何故そこまでせねばならぬのですか⁉ 父上、お待ちくだされ!」
仙岩に冷めた目つきで見下され、袴を掴んでいた義貞の手がするりと落ちる。
それでも彼はなお呼び掛け続けたものの、以後仙岩が振り返る事は無かったのだった。
義貞はこの時四十三歳になる。
中年の現役当主が、強制隠居だけでは済まされず、領国追放の憂き目に合うとは、あまり例がない。仙岩はそれ程までに内乱の勃発を阻止したかったのだ。
とは言え、この厳しい処置に、義貞に同情し減免を進言しようとする家臣は一人もいない。皆、仙岩の姿が見えなくなるや否や、無言のままそそくさと退出してゆく。
一人その場に残された義貞は、魂が抜けたような表情を浮かべ、暫くうなだれるしかなかったのだ。
※ ※ ※
やがて迎えた八月中旬、事態は仙岩の睨んだとおりになった。
まず、十四日、平戸松浦家が挙兵し、宗家松浦家への攻撃を始める。
そもそも両家は、これまで長らく敵対関係にあったのだが、三年前、宗家松浦家当主の
しかし、有馬の威勢が衰えたこの時を好機と睨み、平戸松浦家の当主隆信は、帰郷するや否や立ち上がったのである。
次いで十六日、大村領にて、純忠の改宗政策に反発する大村家臣団がクーデターに及ぶ。後藤貴明の支援を受けた大規模なもので、領内はたちまち大混乱に陥った。
ポルトガルとの貿易で繁栄を誇った横瀬浦は炎上。
純忠は館からの逃亡を余儀なくされ、その際、片手が不自由になる障害を負ってしまったという。
そして、この状況下において、有馬領国の巨大な癌と言うべき人物が、ついに立ち上がったのである。
「進めェ! 有馬の無能どもに我らの強さを見せつけよ!」
西郷純堯、伊佐早(諫早)にて挙兵。
さらに有馬領内の市井においては、治安が悪化し、人身売買目当ての乱取りが見られるようになっていたと言う。
こうして丹坂の敗戦を機に、内乱を経て、有馬の威勢は急速に傾き始めたのだった。
※ ※ ※
しかし一月後の九月、仙岩の手腕により、有馬領国は平穏を取り戻す事になった。 有馬と西郷との間で和睦が成立したのである。
その内容は以下の三つであった。
義貞は嫡男義純へ家督を移譲すること。
義純と西郷純堯の娘を婚姻させること。
そして、純堯が義貞と大村純忠の領国復帰を認めること。
義貞の嫡男義純はこの時十三歳である。若年であり、当然難局を乗り切るには経験が足らない。
そこで彼の補佐として、祖父仙岩と父義貞が政務に当たる事となった。以後、有馬家は当主が大殿二人の意向を窺いながら政事を担う、三頭体制へと移行したのであった。
とは言え、これは仙岩の指導力あってこその体制である。
栄あるものも久しからず いのちあるものもまた
三年後、その仙岩が八十三歳でこの世を去る。
さらに十年後の天正四年(1576)、有馬は再び龍造寺と戦って敗れ、杵島郡の西、藤津郡も失うと、領国崩壊の坂道を転がり落ちていったのだった。
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