第15話 大村丹後守純忠


 さて、前田志摩守の討死と雁津の砦の陥落により、龍造寺と有馬の戦いは新たな局面へと移っていった。


 いささか留飲を下げた有馬勢であったが、結局、砥川大橋は突破出来ず。

 戦後も地元の地侍達により、橋周辺は警備されていたため、彼らは侵攻経路の変更を余儀なくされていた。


 そこで目を付けたのが小城郡の北部である。

 堤尾岳から大きく北上し、牛津川を渡った後、小城郡北部の龍造寺や千葉、そしてその傘下の地侍達の領地へ、雪崩れ込もうとしたのだ。


 合わせて彼らは陣も北上させ、堤尾岳から約五キロほど北にある、百合岳ゆりだけという山に移している。

 さらに、勝利を確実なものにするべく、西と南、二つの経路から援軍を百合岳へと向かわせていた。


 そのうち、南から進軍してきた軍勢は、この時すでに、横辺田に置かれた有馬本陣まで達していた。率いてきた将は、当主義貞との対面に臨んでいたのである。



※ ※ ※ 



「どうじゃ皆の者、遠慮はいらん。もっと近くで見ても良いのだぞ?」


 有馬本陣にやってきたのは、中年で中背の将であった。

 加えて柔和な顔つきで小太りである。飢餓と隣り合わせの時代にあって、太るというのは、満足な食事を得る事ができる一部の貴人だけ。彼の体格からは、その境遇の良さが見て取れた。


 しかし、それよりも本陣にいた諸将の目を奪ったのは、彼が身に付けていた戦装束であった。

 首に掛かった十字架と数珠は、陽光を受けきらりと光っている。

 また、立派な鎧の上にまとっていた白地の陣羽織には、両肩の部分にJESUS(デウス)とINRIの文字、さらに地球と十字架が描かれている。そして、余白には三つの釘が描かれていたのだ。


 彼が幔幕の中に入って来るや否や、場は一瞬静まり返る。

 その様子に、彼は口元に薄っすら笑みを浮かべると、その場でくるりと回って陣羽織を広げ、勧誘してみせたのだ。

 

 ただ、諸将は硬直したまま視線を合わせようとしない。

 皆すでに知っていたのだ。なぜ、彼がこの様な特異な戦装束でやって来たのか。それは、今年受洗してキリシタンになったためだと言うことを。


 当時はまだキリスト教伝来から日が浅く、許容できる者が少ない時代である。

 実際、有馬領内でも仏僧達を中心とした反対運動が起きていた。そんな状況下にあって、何と配慮に欠けた振る舞いなのか。義貞の元へ進みゆく彼を眺め、皆は次第に眉をひそめてゆく。

 

 ただ、義貞本人は彼を朗らかな笑みと共に迎えていた。受洗について寛容であったのだ。


「よう参った。話には聞いておったが、奇抜な装いよのう、純忠」

「出陣に当たり装束を新調して参った。外には十字架を描いた大旗もござる。これらを見れば皆奮い立ちましょうぞ」


 純忠と呼ばれた者はそう豪語する。

 大村丹後守純忠。有馬仙岩の次男で、義貞の十二歳年下の弟にあたる。

 十八歳の時、有馬傘下の国衆、大村氏の養子として送り込まれ、翌年から当主を担っていた。この時三十一歳。

  

 彼が初めてイエズス会関係者と出会ったのは、永禄四年(1561)のことである。

 同年、ポルトガルとの貿易港であった平戸において、ポルトガル船乗組員の殺傷事件が起きる。

 これに対し、統治する松浦家の処置が、誠意無いものであったため、宣教師や乗組員たちは憤り、断交を決定。替わりの貿易港を探して、密かに大村領へやってきたのだ。


 話を聞いた純忠は、領内の港、横瀬浦にてポルトガル船の入港と、領内での布教を約束する。

 そして、翌永禄五年六月に横瀬浦を開港し、念願の貿易を開始していたのだった。

 

 受洗はそれからわずか一年後のことである。

 ゆえに仏教勢力に配慮しつつ、領民をどのように教化するかで、当時の彼の頭は一杯であった。 

 

「横瀬浦は商人が次々に来訪し、大賑わいだと聞いている。だが、一方で宣教師たちを毛嫌いする領民共が、騒いでいるとも聞く。実際のところどうなのだ?」


「確かに宣教師たちに石を投げたり、説教の邪魔をする者達が後を絶ちませぬ。ですがご安心あれ。いずれ多くの民が洗礼を志し、それがしに先見の明があったと讃える事でございましょう」


 純忠は差し出された水をぐいと飲み干し、兄の問い掛けに溌溂と答える。

 彼にとって幸せだったのは、実家である有馬家も貿易と布教に寛容、というよりむしろ積極的である点だった。


 この時、すでに有馬家は宣教師たちに対し、領内の港、口之津にて布教の許可を出している。そして、傘下の島原氏、安徳氏も領内での説教を認めていたのだ。


 ただ、許可は得られても、説教した後すぐに信者が増えるという訳ではない。

 領民改宗の鍵は統治者の動向にあった。統治者が受洗した領地においては、キリシタンの数が劇的に増加していたのだ。


 その事を純忠は身を以て経験している。

 実家の繁栄を願う彼は、義貞に十字架をちらりと見せると、尋ねずにはいられなかった。

 

「兄上もそろそろ如何にござるか? 先日、宣教師を招き、説教をお聴きになられたと聞きましたが」

 

「受洗か。興味はあるが、僧達と一部の領民が納得するまい。それに説教も日が経つと忘却の彼方だ。年は取りたくないものよ」


「ならば宣教師たちをここに招いては如何にござる? 多くの将兵に布教できるとあらば、彼らも喜んで参りましょう。それまでの間は、それがしが持って参ったドチリナ(教義書)でも御覧なられるがよろしいかと」


 純忠は後ろで侍っていた家臣に、ドチリナを持ってくるように小声で伝える。

 その家臣が立ち去ろうとする姿を見て、義貞は止めに入った。


「いや、すまぬがわしは今忙しいのだ。数多の歌を詠み歌集を作らねばならん。あと夢の御告げについても調べねばな」

「夢の御告げ? ほう、それは初耳。はてさて如何なるものにござりましょう?」


「おお、そうだな、そなたならこの夢を解けるかもしれん。わしの身体が大蛇になった夢だ。実はな──」


 義貞は先日みた夢の内容について語った。

 戦場にて敵と相対している時、突然彼の身体が数十丈の大蛇になって横たわっていたこと。姿を見た敵は唖然茫然となり、すぐに逃げ帰っていったというものである。(※7話参照)


 しかし、話を聞き終えた純忠は首を傾げたままだった。


「ううむ、何かで読んだ記憶があるような、はて……?」

「安徳直治は吉夢であろうと申しておった。味方の大勝利間違いないとな。だが、このところ不甲斐ない戦が続いておる。真に吉夢なのか、気になってしょうがないのだ」


「一つお尋ねしたいのですが、それは本当に大蛇なのですか?」

「うん?」

「数十丈の蛇というのは、むしろ龍と呼ぶべきものではございませぬか?」


「龍か…… 待てよ、となれば龍が横たわってるとしたら臥龍ということか。ならば吉夢とは言えないのか?」

「断じる事は出来ませぬが、その可能性もあるかと」

「ぬうう、ならば後でもう一度、龍について典籍を調べてみるとしよう。大儀であった」


 義貞はすっと立ちあがると、近臣達を連れて本陣を去ろうとする。

 思い立ったら即行動。日本でいち早くキリシタンになった純忠は、どこか己と似たところを感じ取ったのだろう。

 久々の対面にもかかわらず、早々に対面を打ち切る義貞に対し、特に気にする様子もなく一礼して見送る。


 ところが、義貞は急に立ち止まると、慌てて純忠に振り向いた。


「忘れておった。百合岳の兵達は士気が揚がっていないと聞く。そなたから奮起を促してやってくれ。頼むぞ」


「ご案じ召さるな。それがし、道中の寺にて摩利支天を焼いて参った。それ程の覚悟を以て戦に望むつもりだと説けば、皆も負けじと奮起するでしょう」

「な、何っ、摩利支天を焼いた⁉ 大丈夫なのか、その様な罰当たりな事をして!」


 夢解きに心奪われていた義貞だったが、その話を聞き流石に青ざめていた。


 摩利支天は護身・得財・勝利などを司り、中世武士の間で広く信仰を集めた仏教の守護神である。

 そして、形像の多くは、三面六臂、または八臂の女神像に作られていた。


 純忠は城を出立した後、摩利支天が置かれた領内の祠の前を通りかかる。

 そして、像の頭に付いていた雄鶏を、自らの手で斬り落とすと、像を壊し祠を焼き払い、跡地に十字架を建てていた。


 目的は宣教師たちに対し、布教に励んでいる姿をアピールするため。彼はわざわざ仏教版の勝利の女神に目をつけ、自らの手で葬り去ってやって来たのだ。


 なので、翌日、百合岳にて──



「どうじゃ、もっと近くで見ても良いのだぞ?」


 そこには、本陣の時と同様、くるりと回って戦装束を披露する純忠の姿があった。

 噂はまたたく間に千里を駆けていた。受洗したことも、摩利支天を焼いたことも。

 そして、目の当たりにしたのは、独りよがりのファッションショー。当然、有馬諸将はそろって眉をひそめるのだった。


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