第16話 西の梟雄
永禄六年七月、百合岳に陣を張った有馬勢は、義貞の弟である大村純忠の軍勢を加え、陣容をより厚いものとしていた。
その数約一万。敵である龍造寺、千葉、小城の地侍達が束になっても、余裕で圧倒出来る程にまで膨れ上がっていたのである。
さらに、この時の有馬には、西からもう一つの援軍が、百合岳にて合流する予定になっていた。なっていたのだが……
※ ※ ※
「な、何をなされます!」
島原純茂から派遣された使者は、眼の前の出来事に目を丸くすると、咄嗟に声を荒げていた。
その援軍を率いてやってきた将は、彼が携えてきた書状を一読すると破り捨て、口元を歪め睨みつけてきたのだ。
「軍勢をさっさとよこせだと? 純茂も随分と偉くなったものだな。このわしに指図してくるとは」
「恐れながら、純茂様は御館様から指揮を一任されておられます。これは御館様の下知と心得下さりませ」
「ふん、何を申すか。その御館が、わしを煙たがってこの
多久とは小城郡の西、牛津川沿いに広がる山と、山に囲まれた盆地の一帯を指す。
有馬勢が陣を構えていた百合岳も、多久の一部に含まれる。
中心は、百合岳より西へ約四里(※16km弱)ほど離れたところにあり、その南の外れに一つの山城があった。
多久梶峰城と言い、ここに百合岳に向かう予定の援軍が駐屯していたのだ。
率いて来た将の名は西郷純堯という。
島原半島の北、
そして、義貞の従兄弟(※父仙岩と純堯の父純久が兄弟)であり、義貞の姉を妻として娶っていた。
これまでの有馬は、戦のみならず、養子縁組や婚姻をもって、一族を近隣国衆へ送り込むという、血縁政策により威勢を広げて来た。
ところが、純堯はその弊害の象徴というべき人物であった。
家中随一の国衆である西郷家を継承した彼は、次第に実家を軽んじ、背反の姿勢をちらつかせるようになる。有馬家中の誰もが、彼に畏怖と警戒心を抱かざるを得なくなっていたのだ。
そして、この時も義貞は純堯を疎ましく思い、本陣から大きく北西に離れた、多久梶峰城への進軍を命じてしまう。
純堯が不満を抱くのは当然のこと。彼は城まではやって来たものの、それ以上進軍しようとしなかった。
城には有馬の代官が駐在しており、他の地城に比べ安全と言えた。そこで近くの狩場に赴き、鷹狩りに興じていたのである。
遠くの森からは、獲物を追い立てる勢子の掛け声が響いている。
そして、上空には悠然と飛び回る鷹の姿が窺えた。と言うことは、獲物はまだ見つかっていないのだろう。
そう判断した純堯は、振り向いて再び使者を睨みつけた。
「あと面白い話を耳にしたぞ。百合岳には邪教に魂を売ったうつけがやって来て、のさばっておるそうだな」
「……大村様のことでございますか?」
「宣教師を呼び入れ説教を繰り返し、さながら集会所の様になっていると聞く。純茂はそれを黙認しておるそうだ。わしにそこへ赴けというのは、奴らをまとめて討ち取っても構わんと言う事だな?」
「そ、それはあまりにもご無体な仰せ──」
「陣中は血まみれ。敵将の首より先に、純忠の素っ首が陣前に並んでおるだろう。それでも構わんのだな!」
純堯はキリスト教反対派の急先鋒と言うべき人物であった。
勿論、その教義に相容れず、非難しているところはある。
しかし、それ以上に彼は、ポルトガル貿易で繁栄の一途を辿っていた、大村領横瀬浦の存在に危機感を抱いていたと思われる。
大村領(現在の大村市付近)と西郷領(現在の諫早市付近)は隣接している。
横瀬浦の繁栄は、有馬領国の家臣国衆達との間に、明らかな富の格差を生み出していた。その影響を最も感じ取っていたのは、他ならぬ所領を隣接していた純堯であったのだ。
するとその時、純堯の鷹匠が森の方を指差して声を張った。
「殿、鷹が帰ってきましたぞ!」
純堯はとっさに駆け出す。その後を家臣達と使者が追う。
遠目を凝らせば、確かに森を抜けこちらに戻って来る鷹の姿がある。
やがて、荒野に降り立つと鷹匠は近づき、爪で締め殺されていたカモを奪う。その替わりに、褒美の肉を与えて宥めてやったのだった。
すぐにカモは純堯の前に差し出されてくる。
その様子に満足気に頷いた純堯は、カモの首を手に取り、使者に向かってにやけてみせた。
「鷹は有能だ。躾ければ忠実に任務をこなすようになる」
「何を仰せになりたいのでございますか?」
「分からぬか。主命をろくにこなせない鷹以下の者達が、百合岳にはうじゃうじゃいるではないか。島原も安徳も安富も、大殿の意向を無視した挙句あのザマだ。違うか?」
「…………」
「帰って無能どもにしかと伝えておけ。わしを動かしたければ、それだけの戦果を、武威を見せつけてみよとな。がははははっ!」
純堯はそう吐き捨てると、カモを家臣に預け城へと去っていく。
領国内の家臣、国衆にはそれそれの立場があり、摩擦が起きるのは至極当然のことである。
だが、何も戦を始める直前になって、火種を燻らせなくてもよいではないか。
おもんばかった西郷家臣の一人は、咄嗟に純堯に駆け寄ってゆく。
実際、置き去りにされた使者は、ひざまずいたまま怒りで体を震わせていたのだ。
「殿、宜しいのですか、あの様な返答をして」
「構わん。地侍達ですら手こずっているのに、龍造寺や千葉相手にまともに勝てるはずがあるまい。いずれ立ち行かなくなる。御館も右往左往するであろう。そこで──」
純堯は立ち止まり、木々の隙間から東の果てを睨む。
そして山々の奥に薄っすらと窺える百合岳を凝視し、口元を歪めにやけるのだった。
「わしが山に乗り込んでやる。諸将も義貞もわしに
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