第17話 美しきもの
有馬勢は北上し、百合岳に陣を敷いた。その数約一万。
一報は小城北部に勢力を持つ、龍造寺の同盟者、千葉
胤連はすぐに軍を起こし、傘下の地侍達と合流した後、山崎(丹坂山の南から牛尾山の北一帯に広がる平野)に陣を構え、敵を待ち受けたのである。
そして、一報は佐嘉郡嘉瀬にいた、龍造寺隆信の元にも届けられたのだが──
※ ※ ※
「兄上、有馬はおそらく小城北部に狙いを定め、数日のうちに動き出すと思われます」
「で、あろうな」
「何を呑気に構えておられる。千葉家からは援軍の要請が届いておるのですぞ。すぐに手勢を向かわせねばなりますまい」
陣中にて小城周辺の地図と睨み合っていた隆信は、長信の進言に思わず生返事をしていた。
すでに七月も中旬。夏の盛りを迎え、うだる暑さの中で滞陣が続いている。
加えて、有馬勢は西の彼方にいて姿を窺う事はできない。そのため、軍中に厭戦気分が広がるのを危惧しながらも、龍造寺諸将は時節の到来をただ待つしかなかった。
進言に向き合ってもらえない長信の顔には、不満の色がありありと浮かぶ。
その様をちらりと見た隆信は、溜息一つ付くとかぶりを振った。
「あのな、要請に応じて援軍を送ったところで、今は川を挟んで睨み合うしか出来まい。それでは去年と同じではないか」
「有馬は一万もの大軍。迎え撃つ要害が近辺に無ければ、こちらも数で対抗するしかありませぬ。これが最上の戦術でございましょう」
「最上の戦術? そなた本当にそう思っておるのか?」
と呟くと、隆信はギロリと長信を睨む。
すると咄嗟に外される長信の視線。彼の心底は見抜かれていた。
「美しくないではないか」
「は、はい⁉」
「美しくないと申したのだ。医術にしろ、芸術にしろ、術というのは洗練されて無駄が無い。美しいのだ。だが、その戦術で、万が一有馬が決戦を仕掛けてきたらどうする? 血みどろの白兵戦の末、我らが押し潰されるだけではないか」
「そ、その危険は確かにありますが……」
「大軍を打ち負かし、境目を動かすという戦略の下、戦を重ねるのだ。ゆえに戦術は単純かつ洗練されたものでなくてはならん。考え抜くのだ」
※ ※ ※
そして、さらに数日が過ぎた。その間も隆信は、小城北部周辺の地図と睨み合う日々が続いていたのだが──
「敵はおそらく数に任せて、山崎を押し通って来るはず。となると、やはり鍵となるのは丹坂山……」
隆信は顎髭を撫でながら独り
だが、彼は梅見の頃、牛尾山から眺めた情景を思い出し頭を抱えていた。
山は低く雑木林が覆っており、立て籠もるにしても、傾斜を利用して迎撃するにしても適していない。
幸いだったは夏の盛りゆえに、敵勢もここを通り抜けようとする可能性が殆ど無いこと。太刀や槍が枝木に引っ掛かってしまうためである。
柳鶴の戦い、そして砥川大橋の戦い。
ここまでは想定以上の戦果を挙げ、有馬勢の勢いを止めて来た。
だが、主導権はやはり奴らが握っている。数でも地形でも自分達は未だ不利なままだ。
(敵の虚を突くには伏兵と奇襲しかないのだ。どこか敵に見つからぬ様に潜ませる所は無いのか……)
※ ※ ※
そして迎えた七月十八日、昼頃。
千葉家からの書状を携えた長信が、再び隆信の元を訪ねて来た。
「兄上、有馬勢に不審な動きがありました。千葉胤連様は機制を制するべく、百合岳の西、石原の六田縄手を攻められましたが、撃退されたとのこと」
「そうか、ついに有馬が動くか。ならば援軍を送らねばならんな」
「えっ?」
「
書状を長信から受け取った隆信は真顔で語る。
蓮池とは、龍造寺傘下にいた国衆、小田家の本拠地のことである。
小田家は佐嘉郡の東、神埼郡に勢力を持つ国衆であり、かつて龍造寺と戦って敗れ、以降服従を余儀なくされていた。
なので、その軍勢は龍造寺のための戦となれば、当然必死に戦おうとはしない。
にもかかわらず、有馬にぶつけよと隆信は命じたのだ。長信が驚愕の表情を浮かべ、声を荒げるのも無理はなかった。
「は、八百! 有馬勢は一万に達しているのですぞ! とてもまともな戦になるとは──」
「焦るな、続きがある」
と、隆信は長信を制して笑みを零した。
にやける事はあるが、歯を見せるとは珍しい。兄の様子から自信の程を感じ取った長信は、平静を取り戻し、皮肉交じりに問い掛けるのだった。
「ずいぶんと美しくない笑みにございますな。よき戦術を閃かれたのですか?」
「喜べ、これを聞けば、そなたも同じような表情になるであろう」
隆信はすぐに軍議を開いた。
そして、長信ほか諸将に、細やかに指示を伝えると、すぐに戦支度を始めさせたのである。
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