第18話 丹坂の戦い(一) 有馬勢の進発

 龍造寺勢、小城郡北部に向け進軍を始める。

 七月十八日夜、その一報は物見により、百合岳にいた有馬勢にもたらされた。


「聞いたぞ、純茂! して、その数は如何ほどなのだ⁉」


 と、本陣にいた島原純茂の元に駆け込んで来たのは、大村純忠ほか有馬方の諸将であった。

 幸い撃退に成功したものの、今朝には千葉勢の襲撃を受けたばかり。百合岳の西、石原の六田縄手には、その死骸が散乱しており、周辺は未だに緊迫感に包まれている。

 そして、将兵達の頭には、未だに柳鶴で味わった屈辱がこびりついたまま。龍造寺や千葉が、次どんな手を仕掛けて来るのか。有馬将兵は皆、気が気でならなかったのだった。


 そんな中にあって、純茂は神妙な面持ちで純忠に頷いた。


「およそ八百。千葉勢は山崎(丹坂山の南から牛尾山の北に広がる平野)に陣を敷いておりますが、そこへ間もなく合流するものと思われます」

「八百とは先陣の数であろうが。わしが聞きたいのは総数だ。隆信はどれだけ率いてきたのだ?」


「ですから八百が総数にござる。しかも、どうやら隆信自身は、未だ嘉瀬に残っている様子」

「真か⁉ 信じられん…… その程度の小勢で、本当に我らを食い止められると思っておるのか⁉」


 想定外のことに純忠は思わず声を荒げる。

 そして、思いは居合わせていた諸将も同じであった。

 我々は舐められている。ならば目に物をみせてやるべし──憤懣渦巻くその場は、ただちに龍造寺への非難と、即時決戦の声に包まれてゆく。


 ただ、純茂はそれらの声を宥めると、つとめて冷静に己の見解を示した。


各々おのおの方、お待ちあれ。やって来る八百とは、蓮池、小田家からの兵にござる。龍造寺の陣は静まったままで、嘉瀬川を挟んで迎え撃つ姿勢を崩しておりませぬ」

「ならば、山崎にいる味方は我らに踏みつぶされる事になるぞ。それでも構わんと、隆信は判断したのか?」


「おそらく。奴はとにかく嘉瀬に引き籠っていたいのです。だが、同盟を結んでいる千葉家が援軍を寄こせと催促してくるので、仕方なく向かわせたのでございましょう。とは言え、確かに八百では焼け石に水というもの」


 すると、それまで床几に腰を下ろしていた純茂は、すっと立ち上がると、諸将を見渡し告げた。


「純忠様、そして各々方、我ら今日まで奴らに煮え湯を飲まされて参ったが、いよいよ吠え面をかかせる時がやって来たのでござる」

『おお、では──!』


「はい。かねて申し合わせたとおり、明日、夜明け前に山を下り山崎へと向かいまする。そこで龍造寺、千葉勢をすり潰した後、乱暴狼藉お楽しみと参りましょうぞ!」



※ ※ ※ 



 一方、その日の夕刻、百合岳の西、多久梶峰城でのこと。

 城に留まったまま百合岳に向かおうとしない、有馬方の有力国衆、西郷純堯の元に、有馬義貞からの使者がやって来ていた。


「……と言う訳で御館様は、西郷様に百合岳に向かい加勢して頂く様、申されております」

「ふん、左様か」


 と、返事はするものの、純堯の視線は使者に向いていない。

 彼は小太刀の手入れに夢中であった。紙に丁子ちょうじ油を含ませて塗り、その上でぬぐい紙でふき取る。そして、ボンボンと叩いて打粉を掛けると、再び拭い紙でふき取ってゆく。


 無礼としか言いようのない態度なのだが、使者に咎める勇気はない。

 相手は狂犬の如き家中の有力者。目の敵にされたりしたら、家中における己の居場所を失いかねない。波風を立てずに役目を果たす事こそ己の務めなのだ。そう考えて、粛々と相手の出方をうかがう。


 やがて、錆や傷が残っていない事を確認して、純堯は手を止める。

 そこで、ようやく使者は向き合ってもらえたのだった。

 

「で、御館は出向かれないのか?」

「はい?」


「わしなんぞより、御館が向かわれた方が、よほど士気が揚がるであろうが」

「それが、あいにく御館様は今忙しく──」

「歌集作りに夢解きか?」

「ご、ご存知でしたか……」


 使者は思わず視線を逸らして苦笑い。

 その様子をつまならそうに眺めていた純堯は、小太刀を鞘に収めると、荒い鼻息を一つ付いた。

 

「詳しい事は知らん。おい、夢とはどのようなものだ?」

「それが、殿が大蛇になったとか、龍であったとかという話にございます」

「大蛇か龍か? たわけが、そんな返答で誰が理解できる。もっと詳細に申さぬか」


 脇息にもたれかかった純堯の表情に、侮蔑と苛立ちの色が滲む。

 対して使者の額にも薄っすら汗が滲む。迫る身の危険──彼は慌てて咳払い一つすると、夢について順を追って説明し始めた。


 義貞が見た夢とは、戦場にて敵と相対している時、突然彼の身体が数十丈の大蛇になって横たわっていたと言うもの。そして姿を見た敵は唖然茫然となり、すぐに逃げ帰っていったのであった。(※7話参照)


 ところが、聞き終えた途端、純堯は目を見開いたまま固まっていた。

 そして頭を垂れ、肩を震わせ始める。先程まで凄みを利かせていた姿はどこへやら。態度の急変に使者は困惑の色を隠せない。


「くっくっく……」

「え……?」

「はっはっは! はーはっはっはぁ! これは確かに一大事よ!」


 のけぞる純堯の大笑を目の当たりにして、使者の口は半開きになっていた。

 それは純堯の側近達も同じこと。口元を歪めてにやける事があっても、声を出して笑うとは珍しい。しかも館の外にまで響き渡る程なのだ。


 何か重大な理由があるはず。察した使者は思わず一歩進み出て、尋ねずにはいられなかった。


「恐れながら、何がどう一大事なのでございますか?」

「加勢の件、しかと承った。明日城を出て百合岳に向かう。その様に伝えておけ」

「ええっ、本当に宜しいのですか⁉」


「御家中には教養の無い者ばかりと見える。この逸話を知らぬとはな」

「逸話とは……? その、宜しければ是非お聞かせ下さりませ」


 笑みが零れ続ける純堯の快諾など、信用できるはずがない。

 使者は不愉快であったが、彼は義貞の使者としてやって来たのだ。主君の身に関わる事となれば、聞いて帰らない訳にはいかず、とりあえず平伏して懇願する。


 すると、そこで純堯はようやく素面に戻ると、再び脇息にもたれかかって口を歪めたのだった。


「良かろう。帰って御館にしかと伝えるのだ。その夢とはなァ──」




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る