第19話 丹坂の戦い(二) 開戦

「やはり退かぬか。負けると知ってて戦わねばならんとは、哀れな奴等よ」


 ほの暗い平野の先に、無数の人影と旗指物が薄っすらと浮かぶ。

 その様子をうかがっていた島原純茂は、嘲笑を浮かべ独りちる。待ち構えていたのは、千葉、龍造寺(小田勢)、小城の地侍達の軍勢であった。


 十九日未明、ついに有馬勢は百合岳を下る。

 手勢を二手に分け、一手は現地の地侍、松瀬周防守の案内により、牛津川の浅瀬を渡ると東へ。山崎(※丹坂山南麓から牛尾山北麓との間に広がる平野)まで進出し、千葉、龍造寺らと相対していた。


 そして、もう一手は搦手として、丹坂山より北に位置する姫御前塚という所に向かった。ここの西の谷から山を東に越え、小城に向かおうと企んだのだ。


「父上、空が白み始めております。そろそろ開戦の御下知を」

「うむ」


 息子の兵部少輔の催促に、純茂は馬上にて深々と頷く。

 そして、空を見上げて深呼吸すると、その顔を綻ばせていた。

 と言うのも、空には雲少なく、風も穏やかにそよいでいる。大軍をもって押し通らんとする有馬にとって、格好の決戦日和と言えたからだ。

 

 純茂は手にしていた采配を高く掲げると、ただちに掛かり太鼓と法螺貝の音が響き渡ってゆく。

 やがて、両勢の矢鉄砲を皮切りに、丹坂の戦いの火蓋は切られたのだった。



※ ※ ※ 



「進めェ! 虫けら共を蹴散らせェ!」

 

 大軍に兵法なし。その格言のとおり、有馬勢は平地である山崎に戦力を集中させ、正に怒涛の如く襲い掛かってゆく。


 対して、龍造寺、千葉、小城の地侍達は槍衾を組んで迎え撃つ。

 たちまち山崎の至る所で、血しぶきが噴き、絶叫を上げた兵が斃れ落ちるという地獄が展開されていった。


「敵は多勢なれど、烏合の衆だ。怯むでない!」


 千葉家の家臣や小城の地侍達は、兵を叱咤しつつ得物を振るう。

 その中には柳鶴の戦いで活躍した、鴨打胤忠や徳島信忠、そして砥川の百姓達も加わっていた。


 彼らの戦意は高い。そして心得ていた。過去の龍造寺、有馬の抗争から、おそらくここを破られてしまえば、一族郎党滅ぼされてしまうだろうと。

 ゆえに、無謀と言われようが、犬死となろうが逃げる訳にはいかなかったのだ。


 だが龍造寺勢は違う。中身は服従を余儀なくされていた、蓮池の小田家将兵達なのだ。彼らにとっては、小城郡の情勢などよりも我が身が大事である。そのため──


「申し上げます! 御味方優勢! 敵を山崎の外れまで押しております!」


 しばらくして、早馬からの吉報が有馬諸将の元に届けられる。

 だが誰一人として驚く者はいない。敵は少数で、頼みの龍造寺本隊は佐嘉に残ったまま。勝って当然なのだ。

 

 彼らを驚かせていたのは、搦手、姫御前塚の方であろう。

 この地には、千葉家に味方していた峰一族という現地の地侍がいたのだが、彼らの抵抗に苦しめられていたのだ。


 姫御前塚の西の谷は、断崖の岩場である。

 結果から先に記してしまうと、百名足らずの峰一族は地の利を活かし奮戦。ついに有馬勢の侵入を許さなかったのだ。

 

「ふん、まあ良い。搦手に頼らずとも、もはや戦の趨勢は明らかなのだからな」


 次々に寄せられる報告を聞き、純茂は思い直していた。

 前線からの報告は優勢の二文字ばかり。有馬勢は山崎の地を抜け、さらに東へと敵を押し込んでゆく。


「殿、今のところあまりにも余裕の戦況にございます。これはもしや敵の罠ではございませぬか?」

「懸念は重々承知しておる。だが今さら援軍が来たり、奇襲を仕掛けたりしたところで、敵の形勢は立て直せるものではあるまい。それよりもだ──」


 すると、純茂は懸念する家臣から目を逸らし、近くにいた使番を呼び付けた。


「そなた今から前線の各隊に伝えて参れ。まもなく追撃に移る。進路は北東、小城(※郡ではなく郡内の一地域)だとな。今は焼け野原と聞くが、やはり千葉家の象徴たる地。まずはここを奪って、奴らの戦意を粉々にしてやる!」

「殿、いささか気が早うございますぞ、はっはっは!」


 純茂の決断に、有馬諸将から笑いが起こる。

 もはや敵の総崩れは時間の問題、これ程楽な戦があるだろうか。思いは居合わせた者皆同じであった。


 しかし、雪辱に燃える純茂はそれだけで満足していなかった。


「小城を押さえたら次に南部の芦刈、そして佐嘉だ。大殿(仙岩)は小城侵攻に難色を示されていたが、これ程の戦果を挙げれば、流石に両手を挙げて喜んで下さるだろう」


 と、すでに戦を制した気になっていて、その先を見据えていたのである。



※ ※ ※ 



 一方、同日の早朝、決戦の地より南、横辺田よこべたにいた義貞の寝所には──


「殿、一大事にございます!」


 と、西郷純堯の所へ遣わした使者が、夜を徹して戻って来ていた。


 叩き起こされた義貞は、怪訝な表情を浮かべたまま寝所に使者を迎え入れる。

 寝起きで機嫌が悪いのではない。純堯は家中の癌ともいうべき者であるため、今回の戦においては、百合岳にいた有馬勢と別経路で進軍させていた。


 その純堯からもたらされた一大事である。命令無視か、それとも背反か、義貞は危険視せざるを得なかったのだ。


 しかし、使者が告げた言葉に、義貞はきょとんとして固まってしまった。


「た、太平記の巻の二十にございます!」

「う、うん?」

「太平記の巻の二十に、殿が見た夢と同じものが書かれていると、純堯様が!」



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