第20話 丹坂の戦い(三) 夢解き、結末

「た、太平記の巻の二十にございます!」

「う、うん?」

「太平記の巻の二十に、殿が見た夢と同じものが書かれていると、純堯様が!」


 朝、静寂に包まれた陣中に駆け込んで来た使者は、ひざまずくと唾を飛ばしてそう報告する。


 しかし、義貞や居合わせた家臣達は、きょとんとしたまま固まっていた。

 使者は、純堯に百合岳に向かう様、催促のために派遣したのだが、彼の報告はそれとは全く関係の無いものだったからだ。


 それでも、夢解きにまつわる事となれば放っておく訳にはいかない。

 義貞は傍にいた家臣に対し、写本の中から太平記を探し、すぐ持ってくるよう命じる。


 その間、彼は回想していた。彼が見た夢とは、戦場にて敵と相対している時に、突然彼の身体が、数十丈の大蛇になって水辺に横たわっていた。

 その姿を見た敵は唖然茫然となり、すぐに逃げ帰っていったと言うものである。

 

 この夢について、老臣の安徳直治は、敵を打ち破ったのだから大きなる吉夢だろうと解いてみせた。

 一方、大村純忠は数十丈の大蛇とは龍ではないか。それが横たわる──つまり臥龍と解き、吉夢とは言えないかもしれないと告げていたのだ。


 やがて、太平記を持ってきた家臣は、義貞の目の前で頁をめくってゆく。

 そして、ある個所で手を止めると、その眼を丸くさせていた。

 彼の表情は如実に語る。凶夢であると。察した義貞は唾を飲み込むと、恐る恐る声を掛け。


「で、何がどう記してあるのだ……?」

「はっ、要約致しますと、数十丈の大蛇とは龍に他ならない。それが水辺に横たわっているとは、臥龍のことであると記載されております」


「そ、それで……」

「かつて臥龍と称された人物が一人おります。中国三国時代の蜀の丞相、諸葛孔明。彼は、天下泰平を望んだ劉備(※蜀の皇帝)の夢を受け継ぎ、敵国の魏と戦い続けましたが、果たすことなく死去。後に蜀も滅ぼされております」


「では、臥龍の夢とはやはり──!」

「はっ、作中では凶夢として扱われております。そして、その、真に申し上げにくい事ではございますが……」

「な、何だ、構わん。はっきり申せ!」


「夢を見た者は直後、戦いに敗れ自害に追い込まれており、その名が新田朝臣と──」


 寝所は静まり返っていた。

 自害した者が自分と同じ諱を持っている。これほど痛烈な御告げがあるのか。


 そして、よく読みこんでみると、龍は易学で言うところの陽(万物が動き出し、外へ生じようとする気)に向かってには威を振るい、陰(万物の動きが衰え、内に籠る気)の時には地中に閉じこもるという。

 なので、臥龍とは陰の時に他ならない。その様な時に戦を始めることは不吉であると断じられていたのだ。


 読み上げた家臣と使者は、すぐに深々と頭を下げる。

 夢とは神仏からのメッセージである。事の大きさを鑑み、すでに諦めの境地にいた彼らに出来たのは、同情の意を示す事だけだったのだ。


 だが、義貞の視線は虚空を彷徨ったまま。よろめきながら立ち上がろうとするが、すぐに両膝から崩れ落ちてしまう。

 慌てて駆け寄ってくる近臣達。彼らに介抱される中で、義貞は力なくつぶやくのだった。


「わ、わしは信じぬぞ。我らは一万にも及ぶ大軍。ここ横辺田にも兵はおる。負けるはずが無いのだ。さらに多久の純堯も動けば──」


 純堯──!

 そこではっとなった義貞は、上体を起こすと使者を睨みつけた。


「おい、純堯はこの夢を知って何と語っておった⁉」

「そ、それは……」

「我らの窮地は奴の好機だ。黙ったままでいるはずがあるまい。どうなのだ⁉」

「実はすぐに向かうと……」


「何ぃ、よく聞えぬ、はっきり申せ!」

「大笑いされ、明日にでも百合岳に軍勢を向けると申されました!」


 腹の据わった使者の返答が響く。

 刹那、その場にいた者達、皆が目を疑った。普段穏やかな義貞が、足元にあった脇息を蹴り飛ばしていたのだ。


「あの鼠賊がァ! よくも御館の使者に向かってぬけぬけとほざいたな!」 

「落ち着いて下さりませ、御館様!」

「奴は我らが負け、立ち行かなくなったところに乗り込み、軍勢全てを牛耳るつもりなのだ。叛意は明白! 落ち着いてなどいられるか!」


 へたり込んだ姿から一転、乱れた前髪を気にする事無く、義貞は激しく罵る。

 もはや歌集作りなどに興じている場合ではない。

 彼はすぐに残っていた将兵達に招集を掛ける。そして、自身も素早く戦直垂に袖を通し、本陣へと向かった。


 ここに残っている兵は、純堯が率いている兵よりはるかに少ない。

 ゆえに純堯の思いどおりに事が運んでしまえば、領国秩序は大きく揺らいでしまう。

 もう勝敗は二の次。まずは純堯より先に純茂達と合流し、軍勢全てを押さえるべしと判断したのだ。


 すぐに招集に応じて、家臣達が続々と本陣へと集まって来る。

 ところが、その最中に事は起こった──


「お、おおっ、何だっ⁉」 


 地面から突き上げてくる衝動。

 たちまち燭台が倒れ、積み上げられた写本が崩れ落ちる。

 陣周辺の樹々に留まっていた鳥達は一斉に飛び立ち、樹の下でむしろを纏って寝ていた兵達も、皆飛び起きて逃げだしてゆく。


 義貞も家臣達に守られながら幔幕の外へ。

 束の間ながらも、味わった事の無い恐怖に、真っ赤になっていた顔は一転、青ざめていた。


 運命の悪戯としか思えない。

 七月十九日、合戦の当日に、同年の阿蘇山噴火に伴う地震が発生。

 震源や規模、被害状況などの詳細ははっきりしない。しかし、天変地異は古代より人の悪業に対する報いと考えられていた。

 その認識の中にあって、戦の当日に地震が起こった事は、彼らに痛烈なメッセージを突きつけていたのだ。


「殿、御怪我ございませぬか⁉」


 家臣の一人がやってきてひざまずく。

 だが、義貞は虚ろな表情のまま座り込むと、首を振っていた。


「神仏が怒っておる……」

「はっ?」

「分からぬか! 夢も地震も、戦を起こすなとの神仏の御意志なのだ! ただちに撤兵させよ、わしの身を守るのだ!」



※ ※ ※ 



 しかし、義貞の判断は遅きに失していた。

 彼が向かわせた使者よりも先に、戦場を駆ける者がいた。島原純茂が前線の各隊に派遣した使番である。


 彼は優勢のまま東へ突き進む味方に追いつき、率いている将を探すべく、乱戦の中へと向かおうとする。しかし、その時だった──


「がはっ!」

 

 腰ほどの高さの草むらを通りがかった時、突如脇腹に覚える激痛。

 咄嗟に悲鳴を上げた彼は、脇腹を抱えうずくまる。しかし、馬上ゆえに体勢が取れず、もんどりうって倒れこんでしまったのだ。


 いったい何が起こったというのか。

 理解出来ないまま使番は、痛みを堪えつつ上体を起こそうとする。

 しかし、その動きは突如止まった。耳を突いてきたのは、味方のものとは異なる陣鐘の響き。

 そして、視線の先にあったのは次々と林立してゆく旗指物。そこには日足紋──龍造寺の家紋が印されていた。 

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