第6話 乙名達の直訴(後)


「ひゃっひゃっひゃぁ! 火を放て! 百姓共は家から炙り出して皆殺しだァ!」



 小城おぎ郡や佐嘉郡の者達にとって、有馬は憎き仇敵であった。

 度重なる侵攻により、村々を焼かれ、女性は犯され、食糧や金目のものは略奪される──いわゆる乱暴狼藉の恐怖を、繰り返し味わってきたためである。


 有馬が初めて小城郡に攻め込んできたのは、天文三年(1534)のこと。

 以後同九年、十二年、十三年、十四年、十八年、二十年、二十一年と再三侵入を許している。


 特に十四年の場合、少弐冬尚の龍造寺粛清に加担し、佐嘉城や水ヶ江城などの龍造寺本拠まで押し寄せていた。

 結果、龍造寺は一族重臣を多数失い、没落を余儀なくされてしまう。


 さらに天文二十年(1551)には、龍造寺の御家騒動に付け込んで、反隆信派に加担。再び佐嘉城まで押し寄せ、惣領になって間もない隆信を、筑後へと追いやっている。


 その後は龍造寺の再興と台頭があり、侵攻はしばらく鳴りを潜めていた。

 だが、去年、突如として牛津川の手前まで、軍勢を差し向けてきたのだ。

 幸いにして犠牲は出なかったものの、小城や佐嘉に暮らす者達にはトラウマが蘇っていたはず。

 恐怖に怯えながらの生活を、彼らは今日まで余儀なくされていたのだった。

  


 ※ ※ ※ 



「このままだと、御家も、佐嘉や小城に暮らす者達も、いつまでも有馬の乱暴狼藉に怯えるまま! それで良いのでございますか!」

 


 隆信を直視して訴える泉の乙名の態度は、無礼と受け取られかねないものであった。だが彼は怯まない。なおも声を張って訴え続ける。

 

「恐れながら、今こそ西へ進出なさるべきでございます!」 

「川を越え、杵島郡全体に勢力を扶植せよと申すか!」


「はっ、この悪しき情勢を打ち破るには、境目を西へ西へと動かすしかございません! 好機は苦境の顔をしてやって来るもの。なれば、今こそ有馬との対決に及ぶべきでございます!」


 泉の乙名は、おもむろに地面に頭をこすりつける。

 すると、その隣にいた乙名も意を決し進み出ると、同じく平伏して訴える。


「そ、それに今の有馬は盤石ではございませぬ!」 

「ほう、これは異なことを聞く。隠居したとはいえ、家の繁栄を築いた仙岩が未だ健在であろうに」


「す、すでに老齢となり、その名声は過去のもの! そして当主義貞は彼の傀儡に過ぎず、家中をまとめ切れておりませぬ!」


 緊張から時折裏返る彼の懇願は、嘲笑されかねないものだった。

 だが誰一人として笑う者はいない。自らの意志と力で境目の状況から脱してみせる。乙名である彼からも、集落の百姓達の意志が乗り移ったかの様に見受けられたのだ。


 その場は静まり返っていた。

 百姓は日和見が常、強い者につくのが常、草木のなびきである。

 だが、彼らは示した。自分達の意志で大いなる逆風に立ち向かい、未来を切り拓くつもりだと覚悟を示してきたのだ。

 隆信にとって初めての事だろう。こんな腹の据わった百姓達と相対するのは──


(いや、違う! わしは、あの時も……)


 隆信は、はっとなって固まっていた。

 頭に浮かんでいたのは在りし日の情景である。彼は身を以て経験していたのだ。苦境の時に手を差し伸べてくれる者達こそ、真に頼みとするべき事を。

 

 俯いたままであったが、隆信はやがてふっと笑みを零すと、静かに語り出した。


「……わしとした事が迂闊であったわ」

『えっ?』

「思い出したのだ、そなた達の表情を見てな。昔、わしが御家騒動で筑後に逃れた際に、帰郷を手助けしてくれた佐嘉の地侍や百姓達がおった。皆、恩義ある龍造寺を助けんと、勇ましく腹の据わった顔をしておった」

『…………』


「今でも鮮やかに思い返す事が出来る。その期待と覚悟がわしを大いに後押しし、家の再興へと導いてくれた。今のそなた達と同じ表情をしておったのだ。そなた達とここで出会ったこと、もしかすると神仏の御導きかもしれぬ」


 そこで隆信は真顔に戻り、立ち上がって乙名達の眼前に近づいてゆく。


「今一度尋ねる。そなた達の命の保証は出来ん。それでもなお有馬と戦うか」

「覚悟の上にございます! 砥川の未来のため、殿の来援まで砦を死守して御覧に入れましょう!」


 腹の据わった一人の乙名の返答が響き渡る。

 対して、隆信は返答せず直視したままだったが、やがて足早に幔幕の外へと飛び出していった。


「あ、兄上⁉」


 背後で呼びかける長信の声にも脚を止めない。

 そして本陣近くに立てられていた軍旗に近づくと、留めていた縄をおもむろに脇差で切り離しす。

 やがて追いついてくる長信と乙名達。その姿を見て、隆信は乙名の一人に軍旗を手渡した。


「これを与える。挙兵した時、砦に掲揚するがよい」

「龍の字が書かれた大幟おおのぼり。それでは殿は──」


 受け取った乙名の顔は思わず緩んでいた。

 それにつられて隆信も相好を崩したが、すぐに乙名全員を見渡し力強く宣言するのだった。


「砥川の命運、この龍造寺がしかと預かった!」



※ ※ ※ 



「兄上、よく御決断下さいました」

「…………」

「兄上?」


 対面の後、隆信兄弟はそのまま本陣に残っていた。

 乙名達に対しては、起請文を交わした上で、地侍に相応しい姓と通称を与え、ただちに帰郷させる。


 こうして砥川への処置を決め、一息ついていた時のこと。

 隆信は長信を呼び止めた上で、人払いを命じていた。


「如何なされたのですか?」

「のう、長信。わしは確かに境目を西へと動かすと約束した。であるならば、有馬の勢力範囲を大きく後退させねばならん」


「はい。ゆえに砦に籠る砥川の者達と連携して立ち向かうと──」

「それだけでは足りん」


 隆信は他言無用と釘を刺したうえで、小声になって告げる。


「必要なのは有馬の大軍よ」

「……仰ることがよく分かりませぬが」


「敵が少数では駄目だ。大軍を打ち破ってこそ、威勢に大きな傷をつける事ができ、傘下の者達の離反を促せるのだ。怒りでもよい、利に釣られてでも良い。とにかくまずは何らかの動機を以て、有馬の大軍を引っ張り出さねばならん」


「し、しかし、大軍の襲来となると砦は……⁉」

「約束を反故にするつもりはない。砥川の地は必ず守るつもりだ。だがな──」


 より顔を近づけ、より小声になって。隆信は平静を装っていたが、その口ぶりには悲壮が零れていた。



「その約束を果たす前に、砦に籠った者達には死んでもらわねばならん」

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