第21話 丹坂の戦い(四) 隠密行軍と釣り野伏

「がはっ!」


 突如唸り声を上げ、有馬の使番は仰向けに倒れ落ちる。

 そして、彼が乗っていた馬も大いに嘶くと旋回し、一目散にその場を離れていったのだった。


「へっ、草むらで落馬するとは情けない奴よのう!」

 

 落馬の様子は、近くにいた有馬兵の嘲笑を誘っていた。そのうちの一人は、使番の顔を一目見ようと、わざわざ傍へと駆け寄ってゆく。


 ところが、彼もまた絶叫を上げると、草むらの中へ斃れ落ちる。

 替わりに姿を見せたのは複数の切先。追撃に夢中だった有馬兵は気付いていなかった。腰まで伸びたその草むらは、兵を伏せるのに適していた事に──


「なっ、何だ⁉」


 突如東の方角より、味方のものとは異なる陣鐘の音が響く。

 そして、草むらから龍造寺の旗差が林立すると同時に、伏兵が喊声を上げながら、湧き出てきたのだ。


 不意を突かれた前線の有馬勢は、その足を止める他ない。

 敵はもはや成す術無く、功を挙げるのは思いのままだったはず。深入りしていた彼らは慌てて槍を構えるが、続々と姿を見せる敵兵に浮足立っていた。


「よぉし、合図の鐘じゃ! 皆の者、倍返しにしてやれぃ!」

『おおおおっ‼』


 さらに、それまで押されていた龍造寺(小田勢)、千葉、そして小城の地侍達の軍勢が、態勢を立て直し再び攻勢に転じる。

 示し合わせた様な動きに、有馬勢は悟らざるを得なかった。彼らは、自分達を草むらまでおびき寄せるための餌兵だったのだ。


「おのれ、またしても謀りおったなァ、龍造寺!」


 前線に身を投じていた島原兵部少輔は、思わず顔を歪め吐き捨てる。

 餌兵による釣り出しからの、野伏りによる包囲殲滅──いわゆる釣り野伏を鮮やかに決められ、眼前の光景は一変していた。


 浮足立った最前線の兵は次々に討ち取られてゆく。

 残っていた兵達も懸命に足掻くものの、敵の怒涛の攻勢の前に防戦一方と化していた。

 もう数の優位は意味を成さない。龍造寺伏兵の強烈なカウンターパンチに、有馬勢は態勢を立て直せないまま、西へと押し込まれてゆく。


(ええい、何故だ⁉ 何故この程度の伏兵、見抜けなかったのだ⁉)


 兵部少輔の内心は穏やかではなかった。

 東進してきた有馬勢の場合、山崎(※丹坂山の南麓から牛尾山の北麓に広がる平野)を抜けると、視界の両端から丹坂山と牛尾山が消える。  

 そこから先は視界を遮るものは無く、小城北部の平野が広く見渡せた。ゆえに、敵の動きは手に取る様に分かっていたはずなのだ。


 何か仕組まれていたとしか考えられないが、解き明かす余裕は無い。

 今は御家の命運を左右する決戦の最中である。一軍を率いる将として、このままのこのこ引き下がれようか。乱戦の中、彼は頭を切り替え、槍を振るい続ける。


「度重なる恨み、ここで晴らさでおくべきかァ!」


 懸命に、ひたむきに──


「ここで退くとあっては武士の名折れェ!」


 有馬大身の国衆、島原家の一族。その名誉に賭けて──


「狂えや、者共ォ、ここが正念場ぞ!」


 後続の味方が、必ず駆けつけてくれると信じて──



 ……そして気がついた時には、周りに味方は一人もいなかった。


「た、たわけっ! 主をしんがりにして逃げていく兵がどこにおる! 待て、待たんかっ!」


 と、味方に毒付きながら、敵からの弓や槍を交わしつつ、ほうぼうの体で逃げ出すのだった。



※ ※ ※ 



 もし、人が見知らぬ土地にやって来て、災害や事故に遭ったらどうするだろうか。 

 おそらく、元いた安全な場所に戻ろうとするだろう。


 その心理は、この時の有馬兵も同じであった。

 前線の動揺はやがて軍勢全体へ波及する。結果、多数の逃亡兵が生まれ、彼らは辿って来た道を逆走。山崎方面へと退いてゆく。


 だが、その中には逃げるのに必死のあまり、道に迷い、はぐれてしまった者たちも出て来る訳で──


「はあ、はあ……、ええい、牛津川が一向に見えぬではないか!」


 と、小さな山を前にして、はぐれた数人の有馬兵は愚痴を零していた。

 地元の者ならば、そこが丹坂山の北麓だと知っている。しかし、西肥前からやってきた彼らは土地勘がなく、どこか山越えできる道はないかと右往左往するばかり。


 そんな状況下にあって、一人の兵が痺れを切らしていた。

 

「おい急ぐぞ、龍造寺の兵は何を企んでいるか分からん。何せ隆信はおっかねえと評判だからなァ」

「おっかねえってのは何だ? 見つかったら皆殺しにされてしまうのか?」


「当たり前でねえか。隆信ってのはな、厳つい顎髭をたくわえた熊の様な大男だそうな。そんな風貌の奴、狂暴で残虐に決まっておろうが!」


「ひえっ、じゃあ早くずらからねえと!」

「おうよ、だが熊と言うくらいだから、おそらく愚鈍に違げえねぇ。日が暮れるまでにさっさと川を渡ってしまうぞ」

「んだ、んだ」


 兵達は噂話に興じつつ、麓に沿って山越え出来そうな道を探し続ける。

 もう龍造寺勢に見つかっても、有馬勢に見つかっても、ロクなことになるはずがない。足音を消し、盗人の如く周囲に注意を払いながら、茂みの中へと踏み入れる。


 そして、用心深く進んでいた甲斐があった。

 目が合ったのだ。茂みの中に潜んでいる兵と。不意の槍一閃を喰らわずに済んだのは僥倖である。しかし、安堵したのも束の間、彼らは進路を塞がれてしまうのだった。

 

「狂暴だの愚鈍だの、よくも好き勝手にほざいておったな、お主ら」

「え……?」

「刮目せよ。そして帰って広めるがいい。この山城守隆信の姿をな」


 有馬兵は皆目を丸くしておののいていた。

 彼らに語りかけて来たのは、潜んでいた兵の中でも、一際立派な甲冑をまとった男である。

 甲冑のせいで身体周りはしっかりしているが、決して肥太っておらず、腹も頬もたるんではいない。加えて巨躯であり、もみあげまでつながった立派な顎髭を蓄えていたのだ。

  

「あ、ありえねぇ⁉ 龍造寺はまだ東で戦っているはずだ。お、おめえは隆信の影武者であろうが!」

「おお、そうだな、確かに我が手勢は東で戦っている。だがなァ──」


 隆信は手にしていた采配を高く掲げる。

 すると、彼の後方の草むらから、続々と兵が姿を現してゆく。その数五百人。とても偽者とは思えなかった。


 有馬兵達は悲鳴を上げ、元来た道へ戻ろうとする。

 だが、その脚はすぐに止まった。隆信の後方にいた兵に先回りされ、すでに退路は塞がれており、彼らは固まっておののく他なかったのだ。


 ところが、隆信は塞いでいた兵達に対し、道を開けるよう指示を出す。


「ふん、今さら逃亡兵を討っても仕方があるまい。ついでだから良いことを教えてやる。どうして山城守隆信が丹坂山の北麓にいるのか。それは隠密行軍をしてきたからだ」

「隠密……? ま、まさか夜に──」


 有馬勢は知る由もなかった。

 前夜、隆信は兵三千五百を率い、闇に紛れて佐嘉郡嘉瀬を出立。

 北西の方角にあった山崎の地へは直接向かわず、まず大きく北へ迂回し、川上(※1)の地に達する。(※筆者推測で9km程度)


 続いて佐嘉郡、小城郡の山々の麓を一気に西進し、千葉家が治める晴気はるけ峠へ。そこで南に切り返し、丹坂山の北麓近く(※2)に進出してきたのだった(推測で9.5㎞程度)。

 つまり、隆信と龍造寺勢は、20㎞近い距離を一夜にして走破したことになる。

 そして、夜、麓の樹々に隠れて進軍してきたため、百合岳にいた有馬勢の目に止まる事は無かったのだ。


 丹坂山の北麓に達した後、隆信は軍勢を二つに分ける。

 一つは山崎の東にあった草むらに向かい、有馬勢を待ち伏せさせた。

 率いていたのは龍造寺信周(隆信弟)、龍造寺鑑兼(義兄)、龍造寺家直(一族)、納富信景(宿老)、賢景(信景の子)。兵は三千である。


 そして、もう一手は隆信自ら五百を率いて、別行動を取る事としたのであった。


「どうだ、一夜にしてそれ程の距離を走破するなど、熊のごとき動きの鈍い者には出来ない芸当よ! 分かったのなら、帰郷して今の話をしかと広めて参れ、良いな!」

「へっ、へえええっ!」


 隆信の啖呵を耳にして、有馬兵達たちはあたふたと駆け出してゆく。

 その様子を見て隆信はほくそ笑むと、家臣が連れて来た馬に跨り、五百の兵を前に声を張った。


「よし、今より我らも作戦どおりに動くぞ! 先程地震があった。! 恐れるな、この一戦にて肥前の情勢をことごとく覆すのだ!」




※1 川上

佐嘉郡川上のこと。北部の山岳地帯、山内さんないの麓に広がる平野


※2 丹坂山の北麓近く

当時は黒原(小城町栗原)と言ったそうです。

 



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