第26話 百合野の戦い(二) 夜駆け


 さて、その日の夕刻になって、鍋島信昌は隆信の元へとやって来た。夜駆け(夜襲)を直訴するためである。


 誘っていたものの、一遊軒は結局姿を見せずじまい。

 日没まで時間はあったものの、隆信の許可を取り付けた後に、多久の山々に赴き、現地の若者を徴募しなければならないのだ。

 しびれを切らした彼は、隆信のいた本陣、その幔幕の中へと踏み入れようとする。


 だが、入ろうとした途端、その脚は止まった。中から先客とおぼしき者の声が響いて来たためだった。


「何とぞ、その任務をそれがしにお命じ下され!」


 信昌は咄嗟に顔をしかめていた。

 その野太い濁声だみごえは、つい先程聞いたばかりのもの。

 やがて、隆信の許しを得て中に赴いたものの、思いは濁声の主も同じだった。信昌は彼からキッと睨まれる。


 しかし、二人の間で何があったのかを知らない隆信は、腕組みしながら濁声の主に尋ねていた。


「ふむ、夜駆けのう。良策と思うが、その前に現地の者達が必要であろう。今から集められる目途が立っておるのか、一遊軒?」

「それがしは多久の生まれにござる。辺りの有力屈強の者達を、すぐにでも揃えて御覧に入れましょう!」


 と、広橋一遊軒は胸を張る。

 一遊軒は肥後で生まれ、母と共に多久に移り住み、そこから佐嘉に流れて、龍造寺の下男として仕え始めたという経歴を持っていた。


 ただ、有力屈強の者を「今すぐ」集められるかは疑わしいところ。

 とは言え、武士にとって大事なのは、勝つこと、功を挙げることである。もし法螺であったとしても、この程度ならば些事にすぎない。


「ちょうど良い。信昌、そなたこの一遊軒の策、如何に思う?」

「はっ、実はそれがし、共に殿の元へ夜駆けの直訴に行かぬかと、一遊軒を誘っていたのですが──」


 と、告げ口と共に、信昌の苛立ち交じりの視線は一遊軒を突き刺さしていた。

 負けじと睨んだままの一遊軒。事の次第を理解し、両者の間に見えない火花を感じ取った隆信は、相好を崩して頷くのだった。


「成程。両人とも夜駆けが良策と踏んでおったのか。ならば是非も無し。共に向かうがいい」

『ははっ!』

「ただし、地理に通じている一遊軒が主体だ。現地の者を集め、しかと多久の山中を暴れて参れ、良いな!」


 隆信はそう釘を刺すと、すぐに諸将を集め軍議を開く。

 そして、掃討作戦の詳細を詰めた後、砥川方面にいる本隊に指示を伝えるべく、早馬を遣わしたのだった。



※ ※ ※ 



 七月十九日夜、広橋一遊軒は多久に住む者達六十余人を集め、信昌と共に山中へと入った。


 目的は、丹坂の戦いから逃れた後、多久山中および堤尾岳に潜んでいる、有馬残党を掃討することである。


 経路は、多久山中を北側から侵入し、残党を討ち取りつつ南下。

 翌日の夜明けまでに堤尾岳の北側へと至る。

 そこの高みから有馬勢を追い落とし、堤尾岳の南側から攻め上る龍造寺本隊との挟撃を目論んでいた。


 なので、未明までに多久山中を走破しないと、作戦は水の泡となってしまう。

 失敗は許されない。山中で有馬残党と出くわした一遊軒の太刀筋には、鬼気迫るものがあった。


「ぬおおおおっ!」


 雄叫びを上げ、敵に斬りかかってゆく。

 続けて、従う兵達の喊声も狭い山中に響き渡る。その場はたちまち阿鼻叫喚の修羅場と化した。


 己の大きな体躯と膂力に物を言わせ、鍔競り合いから敵を押し退けると、斬り上げ、拳を返し振り下ろす。

 刃向かって来る兵を物ともせず、圧倒してゆくその姿は、まるで戦をするために生まれて来たかの様。彼の独壇場であった。



 一方、信昌は小さく唸りながら敵に打ち掛かる。


「ぬうっ!」

 

 刮目したまま、遮二無二敵に挑んでゆく。

 辺りで味方の首が落とされようが、敵兵の腕が吹き飛ぼうが不乱。

 暗闇の中にあっても、心に留めるのは「死狂しぐるい」の二文字。

 彼が得意としたのは槍であったが、得物を打刀に変えても同じであった。流れる様な太刀筋で、次々に敵を葬り去ってゆく。


 従う兵達は大変である。彼は龍造寺一族に連なる者で、雑兵に討たれたとあっては一大事なのだ。最前線を突っ走る彼を守るべく、必死にその後を追い、敵に食らいついてゆく。

 

 すると南下してゆく途中、一遊軒と信昌の脚は急に止まっていた。


「ぬっ、臭うな」

「ああ、おそらく潜んでおるであろう」


 顔を見合わせ、わずかに言葉を交わした二人は、突如東へと進路を変えた。

 向かった先は、西以外の三方を高山に囲まれた麓とおぼしき場所である。山中を訪れた者達の目に付きにくく、身を隠すのに好都合。おそらく敵が多数夜を明かしているだろうと察したのだ。


 足音を消し、打刀を抜いたまま肩に担いだ姿勢で近づいてゆく。

 彼らの嗅覚は確かであった。まさかこの様な所まで追い駆けて来るはずがない。そう油断した数多の残党が、樹々の下で寝転んでいた。


 さて、どれだけ首級を挙げられるか。

 一遊軒も信昌も心中でほくそ笑むと、身を屈めて草むらに紛れ、足を速めてゆく。

 やがて甲冑の金具の擦れる音で、一部の敵が気付き跳ね起きるが、すでに時遅し。


 この有馬掃討における最大の激戦、百合野の戦いの始まりであった。


「敵じゃあ、出合え、出合えっ!」


 触れ廻る味方の声に、有馬の残党達は次々と飛び起きる。

 たちまち百合野は刃風渦巻く乱戦となった。怒号と絶叫が響く中、各所で血飛沫が噴き、首が飛ぶ。斃れた者は蹴られ、踏みつけられ、急峻な山坂に追い詰められ転がり落ちていく。


 しかし、侵掠すること火の如く。勢いに乗る龍造寺勢を、寝ぼけまなこの敗残兵がどうして止められようか。

 やがて有馬兵達は蜘蛛の子を散らす様に、峠を目指し南へ逃げてゆく。討たれた者は四十人余り。傷を負った者数知れず。

 戦は龍造寺勢の大勝に終わったのだった。


 



 



 

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