第25話 百合野の戦い(一) 広橋一遊軒と鍋島信昌

 七月十九日、小城郡北部、山崎の地から端を発した丹坂の戦いは、ようやく終わりを迎えていた。


 隆信は陣内城周辺に留まっていたが、三千の龍造寺本隊は牛津川を渡り、杵島郡へと歩を進める。境目を西へ動かすと言う目的は、達成目前となっていた。

 

 そして、赴いた先では、彼らの進駐を歓迎する者達が出迎えて来たのである。


「あんた、あんたっ!」

「おおっ、おっかあ、お前達も無事だったけぇ! 良かった!」


 出迎えた妻や子供達に一人の兵が駆け出してゆく。

 そして家族は抱きしめ合うと、感極まって涙を流さない訳にはいかなかった。

 龍造寺勢は砥川の北側まで進出。龍造寺に味方して戦った、砥川の百姓達は念願の帰郷を果たしていた。


 ところが、再会も束の間、百姓達はすぐに軍へ戻って来る。

 戦はまだ続いており、砥川の南までは進出できていなかった。落ち延びた有馬勢の残党が、堤尾岳(※柳鶴の戦いの頃、有馬勢が陣を構えていた山)を目指し合流を図りつつあったのだ。



※ ※ ※ 



 そして夕刻、野営の支度に入ろうとする砥川の百姓達に、声を掛けてきた者がいた。


「おい、多久から来た者達とは、そなた等の事か?」


 いきなり尋ねられ、百姓達は面倒臭そうに振り向く。

 早朝から戦に加わり、餌兵として窮地を何度も凌いで生き延びたのだ。大小問わず傷を負ってない者などいるはずがなく、一刻も早く落ち着きたいというのが彼らの本音であった。


 しかし、尋ねた者の容姿がそれを許さない。

 百姓達は思わずたじろぐ。目の前にいたのは立派な甲冑に身を包んだ大男。しかも、顔には斬られた痕が幾つも残っており、表情の厳つさと相まって、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。


 そして、彼が己の名を口にした途端、百姓達はたちまちひざまずいていた。


「龍造寺家臣、広橋一遊軒だ。そなた達、あの山々に住んでおるのであろう。わしと共に夜駆け(※夜襲のこと)をせぬか? 褒美は弾むぞ」


 と、西の方角、多久の山々を指しながら一遊軒はにやけて見せた。


 広橋一遊軒信了のぶなりは龍造寺家の猛将である。

 龍造寺家には下男として仕え始めたが、やがてその武勇が隆信の目に止まり、近習に取り立てられる。

 さらに各地の戦に加わり頭角を現すと、永禄四年に行われた神代くましろ勝利との決戦、川上合戦では先陣に抜擢されていた。そのため、丹坂の戦いの頃には、すでに家中で一目置かれる存在となっていたのだ。


 一遊軒は笑みを浮かべ、ずいと顔を寄せて来る。

 思わず一歩退く百姓達。体格に圧倒されたことに加え、鼻が曲がる程の体臭を彼は漂わせていた。

 何とか穏便にこの場を去ってもらえないものか。百姓の一人は作り笑いを浮かべ小声で訴える。


「その、如何なる御用向きにございましょう? 我らは川の近くに居を構えておる者ばかりにございますが」

「何だ、山に住む者を五、六十ほど募りたかったのだが違うのか。ならば、有馬が潜んでいると言う堤尾岳の場所を教えてくれんか」


 と、一遊軒は懐から地図を取り出し、百姓の一人に渡してきた。

 受け取った百姓は息を止め覗き込む。しかし、懐に入っていて汗で滲んでいたため、目を凝らしてもよく分からず、顔をしかめてしまう。


 しかし、これが悪手だった。一遊軒はムッとすると、彼の隣に寄って来て、あれこれ指差しながら教え始めたのだ。

 結果、百姓はようやく地図の内容を理解したものの、その顔は次第に蒼白になってゆく。


 迫る身の危険。周囲の百姓達は固唾を飲んで見守る。

 すると、会話が途切れた頃を見計らって、背後から尋ねてきた者がいた。


「これ、その方達、多久から来た百姓ではないか?」


 声のした方へ振り向くと、そこに居たのは若い騎馬武者であった。

 一遊軒に劣らない立派な甲冑をまとい、引き締まった毛並みの良い馬に跨っている。そこからひらりと下馬する様は、涼し気で気品漂う。百姓や地侍とは違う家の者であることは明らかであった。


 まさに暗闇の中に差し込んだ希望の光。百姓達は顔を綻ばせると、次々と若武者の元へと集まってゆく。

 対して、交渉の邪魔をされた一遊軒の目つきは険しくなってゆく。

 それでも若武者は意に介する事無く、溌溂とした表情で百姓達に問い掛けていた。


「その方達、わしと共に夜駆けをせぬか? 道案内を頼める山の者達を五、六十程探しておるのだ」

「え……?」


 百姓達は皆目を丸くし、思わず一遊軒と見比べてしまう。

 その動きを若武者は不審げな眼差しで見つめる。

 しかし、百姓達が先程と同様、自分達は川近くに住んでいるため、山の事はよく分からないと述べると、彼は地図を差し出した。


「では、山近くの集落から募るとしよう。その前に、有馬残党が潜んでいると言う堤尾岳がどこにあるか、この地図で教えてくれぬか?」


 若武者の差し出した地図は、百姓の表情をぱっと明るくさせるものだった。

 地元でない故、所々間違いはあるものの、地図には山や河川が細かに記されている。

 しかも汗で滲んでいない。相手に何かを伝える事とは、上手く理解してもらえるかで決まるもの。当然、会話は弾んでゆく。


「よし、これだけ知れば充分だ。世話になったな」

「いえ。その実は、こちらの御方も同じことを申されておられまして」

「何⁉」


 若武者はそこでようやく一遊軒に視線を送る。

 その間一遊軒はずっと睨みつけたまま。しかし若武者は、ふっと笑みを零すと挑発するかの如く告げたのだった。


「何だ一遊軒、そなたも同じことを考えていたのか。ちょうど良い。後でわしの所に参れ。共に殿の所へ夜駆けの提案をしに行こうではないか」


 若武者はそう誘うと颯爽と去っていった。

 己一人の手柄に出来る筈だったのに。対して、一遊軒の表情には苛立ちが残ったまま。文句の一つでも言いたそうに、うわ言を繰り返すが、結局若武者が見えなくなるまで、ついに声を荒げる事はなかった。


 そんな様子を訝しみ、百姓の一人は思わず声を掛ける。


「あの、先の御方はどちら様でございましょう?」

「……信昌様だ」


「信昌様? とは、どちらの御家の?」

「鍋島の御曹司にして、御家(龍造寺)の貴公子にして、千葉の箱入り養子だった方だ!」


 そう吐き捨てて一遊軒もまた去っていった。

 おおっと背後から歓声が沸き上がる。信昌は母親(華渓)が隆信の叔母に当たり、龍造寺の血を引く者であった。


 そして四歳の時、当時の政局によって千葉胤連に養子入りし、当主となるべく英才教育を施されていた。

 後に胤連に実子が生まれたため、養子関係は解消されたものの、胤連は信昌を大層可愛がり、去り際に家臣十二名と所領を分け与えている。


 そのため、小城周辺に住む者達の間では、信昌の名は広く知れ渡っていた。砥川の者達が驚くのは無理もなかったのだ。



 さて、下男から成り上がり、龍造寺重臣への階段を登ろうとする広橋一遊軒信了。

 かたや貴公子にしてエリート、その名が知れ渡っていた鍋島左衛門大夫信昌。

 二人が企む夜駆けの結果はいかに?




 


  

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