第11話 柳鶴の戦い(三) 多重の罠
六月半ば、砥川を制圧した有馬先遣隊は再び動き出した。
そして、津に停泊させていた島原民部少輔の船団に兵を乗せ、海から牛津川へと漕ぎ入ったのだ。
目指すは芦刈の地侍、
鴨打氏は芦刈東端に領地を持ち、龍造寺と長らく
船団は蛇行著しい牛津川を遡上してゆく。
この時代の人々は基本的に泳ぎ方を知らないため、溺れてしまえば命取りになりかねない。
しかし、その日の川は穏やかで、天候にも悩まされずに済んでいた。ゆえに兵達は安心して進むことが出来たのだった。
やがて船団は、芦刈の
「矢は
と、兵達に命じつつ東進させる。
道中、彼らは降伏を持ち掛けてきた、徳島氏の領内に差し掛かっていた。
徳島勢とは、鴨打城を包囲した後に、合流する手筈になっている。だが、降伏が偽りであった場合、ここで襲撃してくる恐れがあったのだ。しかし──
「安徳様、徳島領内は無事通過しました。やはり降伏は間違いないかと」
「よぉし!」
報告を受け、直治の心には僅かな余裕が芽生えていた。
降伏はおそらく真実に違いない。加えて堤尾岳の高台で見たとおり、今日も芦刈の集落は静まり返ったまま。やはり現地の百姓達は、恐れをなして逃げ出したとしか思えなかった。
やがて彼らは、鴨打城に辿り着き、すぐに包囲へと取り掛かる。
後は馬渡、徳島両勢と合流し攻め落とすだけ。そう皆が思っていた時だった。
(あれは狼煙か……⁉)
北にある小さな山に、直治は目を奪われていた。
その頂からは、黒煙が真っすぐ立ち昇っている。彼は道案内として、そして人質として軍勢に加わっていた、馬渡俊光の一族、野田右近を呼び付けると、怪訝な眼差しを浮かべ尋ねた。
「おい右近、あの山は何と申すのだ?」
「牛尾山にございます。四方に眺望が利き、小城の各地が見渡せまする」
「では、あの黒煙はやはり狼煙か!」
「はっ、おそらく近辺の土豪達が上げているのでございましょう。百姓達に安徳様をお出迎え致せと」
「何だ左様か、心配したではないか」
「閻魔大王の元に送るべく、手荒にお出迎え致せと」
「な……に……?」
はっとなった直治に、ニッコリ笑みを返す右近。
刹那、二人の近くで直治の側近一人が、こめかみに矢を受け仰向けに倒れ落ちた。
たちまち有馬兵からどよめきが起きる。広がってゆく。
その様を見て右近は嗤い始めた。次第に声を張り、狂ったかの様に──
「がははははっ‼ 大願成就なり! 思い知れ、有馬の弱兵共ォ!」
嗤い声は止まらない。次第に奇声に変わってゆく。
その間に迫り来る軍勢。槍先をこちらに向け、喊声を揚げて押し寄せる。
敵襲── 直治は軍勢の旗印を確認した途端、抜刀していた。そこには馬渡家の家紋が印されていたのだ。
「謀りおったなァ、右近!」
「おう、斬れ斬れ! 民の逃散も、我らの投降も偽りよ! お主らが慌てふためく様を、地獄にてしかと言い触らして来てやる!」
死を恐れる様子など微塵も見せず、右近は縄目のままふんぞり返る。
対して、直治は怒りに任せ、一刀の下に右近を斬り捨てるべく近寄ってゆく。
だが──
「安徳様、城から鴨打勢が!」
「何っ!」
直治の太刀はすんでの所で止まっていた。
包囲していたのは我らのはず。しかし、すでに立場は逆転しており、自分達は包囲されてしまっていた事に、ようやく気付いたのだ。
馬渡勢の襲撃に続き、城から鴨打勢が撃って出る。さらに混乱の中、背後から徳島勢がやってきて襲い掛かる。
話が違う。これから
余裕を見せていた有馬兵の表情は一転、恐怖でひきずり始めた。
「た、たわけ、敵は小勢ぞ! 狼狽えるでない!」
直治が声を荒げるが、味方の動揺は静まらない。
たかが地侍と侮っていた威勢はどこへやら。兵達はつぎつぎに、地侍達がくり出す竹槍の餌食となってゆく。そしてその悲鳴は響き渡り、軍勢全体に動揺をもたらしていった。
もはやこれまで──
船を停泊させていた柳鶴の入江を目指し、有馬兵は我先にと敗走を始める。
だが、辿り着いた途端、そこで目の当たりにした光景に、誰もが目を疑った。
「か、川の水はどうしたのだ……⁉」
川底には小さな水溜まりが点在していただけ。渇水していたのだ。
牛津川は下流にて六角川と合流し、有明海に通じる河川である。
そして、海が満潮時を迎えると、海水による逆流現象が起きると言う特徴を持っていた。
海水は川の水より重いため下に潜り込む。すると海面が上昇し、川の水は上流へと押し流されるのだ。
逆に引潮の時間帯になると、川の水は潮と共に海へ流されてゆく。ゆえに川は渇水してしまう。
馬渡や鴨打ら地元の地侍達は、この時間帯を利用し、有馬勢を船で帰らせない様仕向けていたのだ。
船が襲われるのならともかく、川の水が無いなんて誰が想定できただろうか。
混乱に拍車が掛かった有馬勢は、ついに川沿いに潰走を始めた。
直治は、「止むを得ん。走って南へ逃げろ!」と下知し遁走する。
一方、島原兵部少輔は、「南は敵が待ち構えておるかもしれぬ! 北へ逃げよ!」と下知する。
もう指揮系統はバラバラ。阿鼻叫喚の
だが、南北どちらに逃げても、待っていたのは地獄だった。
「来たぞ、矢の雨を馳走してやれ!」
西の対岸から伏兵が突如現れる。
そこから降り注ぐ数多の矢を受け、南へ向かった有馬勢は、断末魔の悲鳴を上げ斃れていく。
馬渡、鴨打、徳島らと連携していた、龍造寺方の地侍、野田、
そして混乱の最中、鴨打、徳島らの兵が追いつき、東から竹槍で突き倒してゆく。もはや一方的な殺戮。無惨、有馬兵はこの戦いで百余人の死者を出してしまう。
そして北へ逃げた兵には──
「その首置いてゆけ、島原兵部!」
鴨打勢の追撃が押し寄せる。
こちらの方面は激戦となり、鴨打兵五十余人、有馬兵四十余人と、共に多くの戦死者を出した。
その犠牲の上で、兵部少輔は川の上流に向け、命からがら遁走したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます