第14話 雁津の戦い


 砥川大橋にて激戦は続いていた。

 数に任せて、遮二無二押し通ろうとする有馬勢は、前線へ次々に兵を送り込んでゆく。

 だが、橋の上は狭く密集してしまうため、その数的優位は活かし切れなかった。

 小勢であっても橋の防衛だけに注力すればいいのだ。そんな思惑の、前田勢や砥川の百姓達などの抵抗に苦しめられ、一進一退を繰り返す状況に陥っていたのである。


「不甲斐ない兵どもめ、ええい、退くでないと言うに!」


 有馬諸将は声を荒げ、苛立ちを隠そうとしない。

 有馬の威信を掛けた芦刈攻めの前哨戦である。敵は少数と言うだけでなく、満足な防御態勢を取れていない。難なく踏みつぶして当然なのだが、将達は現実を受け入れられなかった。


 一方、前田勢や砥川の百姓達にしてみれば、上々の戦況といえた。

 特に前田志摩守は、有馬を翻弄した近隣の馬渡、鴨打、徳島らの武勇伝を耳にしていたはず。同じ川沿いの地侍として負けてなるものかと、対抗心を抱いていたのは、想像に難くないだろう。


 そして、このまま凌ぎきれば、龍造寺に胸を張って報告できる戦果が手に入れられる。

 そう思っていた矢先だった。彼らは思い掛けない光景を目の当たりにしていた。


(攻勢が止んだ……⁉)


 敵勢後方から陣鐘が響き渡ると、やがて有馬勢の攻勢が止んだのだ。

 そして橋の上で戦っていた兵達も、追撃を気にする素振りを見せながら、ゆっくりと南へと退いてゆく。


 橋を守っていた者達は皆、首を傾げるしかない。

 有馬本隊にとってはこれが緒戦であり、裏切者を始末する好機でもある。諦めるには早過ぎる。


 だが、撃退したのは事実。小勢の自分達でも有馬に一泡吹かせる事が出来たのだ。

 感極まった一部の前田勢や百姓達から、やがて歓声が沸き上がろうとする。その時だった。


「志摩守様、一大事にごぜえます! 有馬勢は南に進路を変え、佐留志や雁津がんつの砦に向かっておりますぞ!」

「何じゃと!」


 物見の報告は歓声をどよめきに変えていた。

 佐留志は前田勢の本拠地であり、雁津には百姓達が築いた砦があった。そこを奪われてしまうと、彼らは頼るべき拠点を失ってしまうのだ。

 

 志摩守は進み出て大橋の状況を窺う。

 有馬勢の姿はもう視認出来ず、どれだけの距離が開いてしまったのか分からない。だが諦める訳にはいかなかった。


「野郎ども、取って返すぞ! わしに続け!」


 志摩守は号令を下すと、一目散に駆け出した。

 大橋の守りは近隣の地侍達に任せ、配下の兵と砥川の百姓達がその後に続いてゆく。 

 

「と、殿! 突出しすぎにございます! 後続の味方をお待下され!」

「出来るか! 一刻も早く戻って守りを固めねば!」


 志摩守の直感は危機を告げていた。

 大橋から雁津、佐留志までは障害となるものがなく、なだらかな平地が続くだけ。いくら地理に明る彼らでも、襲われる前に追いつくのは厳しいだろうと。

 海から吹き抜ける風が音を立てて荒ぶ中、彼は真一文字に南下してゆく。


 やがて見えて来たのは雁津の砦である。

 目を凝らしてその様子を窺った志摩守は、思わず安堵の息を漏らしていた。

 砦には「龍」の大幟おおのぼりが翻っている。と言う事は、より遠方にある佐留志も無事であるはずだ。


 そう、砦は確かに無事だったのだ。囮として──


「哀れよのう、この程度の策に引っ掛かりおって」


 有馬勢の狙いは砦の陥落であったはず。

 だが、そこで志摩守が見たのは、軍を反転させ、彼らを待ち受けていた有馬勢と、その中で、喜悦に耽って独りちる島原純茂の姿だった。


 志摩守は慌てて声を荒げ、進軍を押し留めようとする。

 しかし判断は遅きに失していた。純茂が掲げた軍配を見て、有馬勢の各隊が、ただちに前田勢と百姓達を包囲してゆく。

 そして鳴り響く、懸かり太鼓に鬨の声。勝敗は始まる前から明らかであった。


「者共、今までの恨み晴らさでおくべきか! 虫けら共をたっぷりと可愛がってやれ!」



※ ※ ※ 



 一方その頃、隆信率いる龍造寺勢は東、三根みね郡での城攻めを終え、本拠のある佐嘉郡まで引き返していた。

 

 ただ、本拠佐嘉城には戻らず、城から1kmほど西に離れた、郡内の嘉瀬かせという地域に赴いていた。


 小城芦刈にて、鴨打徳島らの地侍達が敗れた場合、有馬勢は佐嘉城まで押し寄せて来る可能性がある。

 それに備え、佐嘉郡を南北に流れる嘉瀬川を前に、有馬勢を迎撃するべく陣を構えていたのだ。


 その陣に不意の来訪者が現れたのは、数日後の事だった。


「お主ら……」


 対面に及んだ隆信は言葉を失っていた。

 やってきていたのは砥川の百姓達である。皆、体のどこかに傷を負い、どこの切れ端か分からない、黒ずんだ布で患部を巻いていた。

 戦いが行われた砥川大橋は小城郡の西の端にある。そこから、彼らは手当ても程々に、痛みと格闘しながら、わざわざ佐嘉郡まで歩いてきたのだ。


「砦は陥落、前田志摩守様は御討死。多くの仲間が亡くなりました」

「そうか……」

「お力添えをッ! 有馬を討つためのお力添えを、ぜひ賜りとうございます!」


 百姓達は声を詰まらせ、肩を震わせ懇願する。

 そしてもう感情の昂ぶりを押さえられなかった。

 一人が漏らした嗚咽が次々に伝染してゆく。その様子は、ここまでの逃避行がどれだけ苦しかったかを如実に物語っていた。


 隆信も沈痛な面持ちにならざるを得ない。

 彼もその身で味わっていたのだ。惣領になって間もない頃に起きた御家騒動において、敗れて故郷を追われてしまう苦しみを。

 ゆえに口から付いてきた言葉は、龍造寺惣領としてではなく、個人としての衝動だった。

 

「案ずるな。そなた達との約束、この隆信忘れてはおらん。仇を討ち、砥川も必ず奪い返してやる」


 隆信はそう慰めると、彼らに陣に留まり療養するよう命じ、退出させる。

 そして後に、彼らを小城の地侍達に預け、身の安全を図ったのであった。



※ ※ ※ 



 だが、対面の後、隆信は思わず溜息を零していた。

 その様子を不安視した弟長信は、隆信の傍まで詰め寄って来る。


「良いのですか兄上、期待を持たせる様な言葉を掛けて。今、有馬に攻めかかるつもりは無いのでございましょう?」

「そうだ。この戦、先に仕掛けた方が負ける。戦うのであらば、奴らが小城に入って来てからだ」  


 境目を西へと動かすと約束したのだ。

 そのための決戦に持ち込み、勝利を収めるには機がまだ熟していない。

 有馬の動きを睨み、じれったい想いを抱えつつも、隆信が動く事は無かったのだった。


 

 

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