第13話 有馬本隊の到着



 永禄六年(1563)六月中旬、有馬先遣隊、芦刈柳鶴にて大敗を喫す。


 その一報は、たちまち肥前各地にもたらされた。

 耳にした者は驚愕の声を上げたに違いない。質量ともに上回る有馬勢が、勝って当然の戦のはず。それが、まさか翻弄された挙句、総崩れになるなど誰が想像出来ただろうか。


 両家の境目付近の情勢は、大きく龍造寺に傾いた。

 制圧したはずの砥川百姓達は、再び砦に籠り龍造寺へと寝返る。

 加えて、馬渡もうたい信光や、佐留志さるしの前田志摩守など、近隣の有馬方地侍も龍造寺へ寝返ってしまっていた。ゆえに──



 柳鶴での汚名を何としても雪ぐのだ!


 そう意気込んだ有馬本隊が、柳鶴の敗戦から数日後、ついに杵島郡へと乗り込んできたのであった。

 総大将である当主義貞は、杵島郡の平野部、横辺田よこべたに本陣を構える。

 そして軍勢は東進し、堤尾岳にいた先遣隊と合流したのだった。


 

「寝返った者達を討ち、もう一度小城にて乱暴狼藉を果たさねば、我らの武名が廃るというもの。方々は如何に思われる?」


 早速、堤尾岳にて軍議が開かれる。

 上座から居並ぶ諸将に問い掛けていたのは、島原純茂という将であった。先遣隊に加わっていた将、島原兵部少輔の父である。


 島原氏はその姓から分かるとおり、現在の島原市付近に領地を持つ国衆で、家中において西郷氏に次ぐ威勢を誇っていた。

 ただ、純茂は老臣(有馬家中における最上位の家臣)ではない。

 にもかかわらず指揮権は彼が握っていた。戦場においては、その場にいる家中一の実力者が将兵をまとめる、と言うのが有馬家の方針であったためである。


 逆に、軍議には老臣である安徳あんとく直治や安富やすとみ貞直なども居合わせていたが、家の威勢が小さい彼らは、上座を純茂に譲らざるを得なかったのだ。


 すると純茂の問い掛けに対し、意見は割れた。


「再び小城芦刈に向かい、我らの武を見せつけるべきである」

「佐留志の前田や砥川の百姓など、足元で寝返った者達を討伐するのが先である」


 喧々諤々、まとまる様子はない。

 その中で家臣に命じて周囲の絵地図を広げさせ、扇子で指し示しながら進言してきたのは兵部少輔であった。


「今すぐにでも鴨打、徳島らの首を獲りに向かうべきでござる。されど徳島の降伏が偽りであった以上、奴らは万全の体制で待ち受けているはず。同じ進路で攻め込むのは危険にございましょう」


「ではどうする? 一度北に回ってから向かうのか?」

「はっ、この山を下り、少し北に進むと砥川大橋がござる。そこから牛津川を渡って、芦刈に雪崩れ込むのが宜しいかと」

「ふうむ……」


 純茂は腕組みしつつ考え込む。

 その間、諸将からは賛同の声が次々に上がっていた。

 小城には攻め込むなという仙岩の意向はどこへやら。憤怒渦巻く皆の頭の中は、復讐の二文字で一杯になっていたのだ。


 ただ、純茂自身は息子の提案に頷こうとしなかった。


「そなた、怪しいとは思わぬか? 橋はなぜ落とされていないのだ?」

「えっ?」


 純茂に直視され、兵部は思わず言葉を詰まらせる。

 当たり前だが、橋が掛かっていれば簡単に渡河できてしまう。そのため、戦時において橋を落とすというのは、守備側の常套手段であった。

 にもかかわらず残ったままなのだ。まるで渡ってこいと誘っているかの様にも思える。純茂の懸念はもっともであった。

 しかし──


「ち、父上は怖じ気づかれたのか?」

「何?」

「この機を逃せして留まれば、我らは腰抜け、腑抜け、間抜けと、世間の誹りを受けるのは必定! 躊躇している場合ではございますまい!」


「待て兵部、わしは戦うなと申している訳では──」

「大軍に兵法なし! 仮に待ち構えていたとしても、敵は所詮小勢にござる! さっさと踏み潰して、芦刈へ向かいましょうぞ!」 


 顔を赤らめた兵部は、口元を歪めていきり立つ。

 ただそれは返答になっていない。「怖気づいたか」と言う挑発めいた台詞は、面子に訴えかけて、話題を逸らす常套句である。

 

 兵部の頭にもこびりついていたのだ。粗末な甲冑をまとい、竹槍を握った地侍達の軍勢におちょくられ、追い立てられたことが。

 そして、ろくに食べる物も無いまま、泥棒の如く人目を忍んで、丸二日の逃避行を強いられたことが。


 有馬の下級武士ですら憤慨して当然の事態といえる。島原地方の名門、島原家の御曹司である兵部少輔ならば、尚更のことであった。



 やがて軍議の場は、兵部少輔に賛同する声に包まれる。 

 結果、純茂はそれら数多の声に押され、大橋を通っての侵攻を決定してしまうのだった。ところが──



※ ※ ※ 



「はっはっは! 馬鹿め、やはり現れおったか!」


 と、砥川大橋の向こうで大呼する者の姿を見て、兵部少輔は舌打ちしていた。

 そこには、龍造寺に寝返ったばかりの前田志摩守の姿があったのだ。


 志摩守の所領佐留志は、堤尾岳のすぐ南にある。

 軍議の翌日、有馬勢は北に向け進軍を始めた。その動きを志摩守は捉えると、龍造寺にアピールするべく、さっそく橋の防衛に駆けつけたのである。


 さらに、待ち構えていたのは前田勢だけではなかった。

 その傍には、簡易な具足に身を包んだ数十人の者達が、手にした竹槍をこちらへ向けていいる。

 彼らのみすぼらしい様に、兵部は再び舌打ちするしかなかった。砥川の百姓達までが、砦を抜け出して駆けつけていたのだ。


「兵部様、如何なされます?」

「分かり切った事を聞くでない! 一思いに踏み潰せ!」


 兵部少輔の下知を受け、前線の有馬兵は鬨の声を上げ襲いかかる。

 橋の上は大勢の者達でひしめき合う乱戦になった。急な事であり、前田勢や百姓達は満足な応戦体制が取れていない。それでも、むしろを並べて要害の体で構えた上、矢を放って応戦し続けたという。

 

「申し上げます! 敵勢しぶとく、度重なる攻撃にも崩される気配がありませぬ!」

「たわけ! 芦刈へ復讐に行くのだぞ! ここでつまづいてどうする!」


「し、しかし、御味方の被害が増えるばかりで、このままだと──」

「ならばどけ、わし自ら斬り込んでやる!」


 顔を真っ赤にした島原兵部は使者を押しのけると、抜刀して向かおうとする。

 だが、その動きは背後から聞こえて来た声に止められた。


「待たんか、兵部! 焦るでない!」

「父上⁉」

「わしに考えがある。急がば回れぞ!」

 

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