第28話 有馬本陣の焼き討ち


 さて、百合野の戦いが龍造寺の大勝に終わった結果、両家の勢力図は一変した。


 有馬義貞は杵島郡の東を放棄し、本陣を横辺田西部の猪熊山へと移す。

 そこで敗残兵たちや、後藤貴明たかあきら、平井経治といった、近隣の傘下国衆らの兵と合流し、龍造寺の西進を防ごうとしていた。 


 平井経治は杵島郡の中央、須古すこや白石(現在の佐賀県杵島郡白石町)に勢力を持つ国衆である。

 彼の領地は、杵島郡とその西、藤津郡との往来に必要な陸路を押さえていた。

 ゆえに、平井領の重要性を鑑みた有馬仙岩は、経治に娘を嫁がせ一門に迎えている。義貞や純忠にとって彼は義兄弟であった。


 一方、後藤貴明は猪熊山のすぐ西、武雄に領地を持つ国衆である。

 ただ、彼はいつ反逆に及ぶか分からない危険な存在であった。


 彼はもともと大村家先代当主、純前すみあきの実子である。

 しかし、有馬仙岩は大村家を掌中に収めるべく、子勝童丸(後の純忠)を純前の養子に送り込んだため、貴明は後藤家養子として追い出されてしまったのだ。

 この様な経緯があったため、貴明は有馬家の威勢を恐れ服従していたものの、大村領の奪回を虎視眈々と狙っていたのである。


 そして、有馬勢が態勢の立て直しを図りつつある中、龍造寺の陣では──



※ ※ ※ 



「何、この辺りで兵を引き揚げろだと?」

「はい。物見の報告によれば、義貞のいる猪熊山周辺には少なくとも三千の兵がいるとのこと。兄上、これ以上の有馬領内への深入りは危険に思われます」


 本陣にいた隆信の元へ意見を申し出てきたのは、長信と宿老の納富のうとみ信景である。

 すでに龍造寺勢は有馬の大軍を打ち破り、杵島郡の東半分を押さえるという大戦果を挙げている。加えて、近隣の地侍達の多くが馳せ参じており、その地盤は揺るがないものとなっていた。


 隣にいた信景も、長信の進言に頷きながら後に続く。


「殿、有馬には余力がまだ残っていると思われまする。おそらく刃を振り下ろす気はございますまい。ただ、逆襲に及ぶつもりもなく、我らのこれ以上の西進を防ぎたいだけかと推察致します」


「ふうむ……」

「と、言う訳で兄上、このあたりで和睦を結んでは如何にございましょう?」


「和睦⁉ なぜ勝った我らが申し出ねばならんのだ?」

「境目をはっきりさせ、奪った土地の支配を確立させる事が出来ます。一方、義貞からすれば、起請文を交わし、我らの撤兵を見届けた後に自分達も引き揚げる。そうすれば退けた格好になり、面目が立ちましょう」


 長信は和睦の利点を力説し、自信を覗かせる。

 だが、隆信は腕組みしたまま視線を逸らし、言葉を紡ごうとしない。その時だった。


「申し上げます。猪熊山にて、鉄砲を多数所持した一隊が合流した模様」

「何っ、どこの軍勢だ?」

「はっ、旗差の形状と家紋からして、おそらく平戸勢と思われます」


 平戸勢とは、松浦まつら党(肥前の北や壱岐に広く存在していた海の武士団)を束ねた国衆、松浦家の分家のこと。平戸に本拠を置いていたため、平戸松浦家と呼ばれていた。


 その当主である松浦隆信は、早くからポルトガルとの貿易を行い、鉄砲を始めとする火器や玉薬を集め、鉄砲の国産化も始めていた。

 彼自らの来援に、義貞は際限なく喜んだと伝わっている。この時の松浦隆信が率いていたのは、五百の兵と鉄砲百挺から成る、当時最新鋭の鉄砲隊だったのだ。


 しかし、(龍造寺の)隆信は、だからどうしたと言わんばかりに鼻息一つ付くと、おもむろに口を開いた。


「わしは──」

「はっ」

「わしは義貞と言う男がよく分からん」

「えっ……?」


 長信は思わず素っ頓狂な声を上げていた。

 すると、隆信は家臣の一人に横辺田周辺の絵地図を広げさせると、立ち上がり扇子で指し示しながら、自身の見解を口にし始めた。


「あのな、もし義貞が、丹坂での敗北を知って堤尾岳まで出向いていれば、そこで敗残兵を迎え入れて対峙し、後に平井、後藤、松浦らと合流していたはずだ。我らの西進はままならなかったであろう」

「た、確かに」


「だが、奴は横辺田西部まで後退して、山に籠もる事を選択した。しかも平井の軍勢を奪い手元に置いているのだ。おかげで我らは難なく軍を進められ、平井の本城須古は逆に孤立状態に陥っている。これが戦意ある者のする事なのか? わしには到底理解出来ん」


 居合わせた者達は皆唸るしかなかった。場はやがて無言となり、重苦しい雰囲気に包まれる。

 そんな中、隆信は床几に腰を下ろすと、しばらく腕組みしたままでいたが、やがて意を決して口を開いた。


「よし、ならば奴の真意を確かめてやるとするか」

「如何なさるのです?」

「なァに、少し脅してやるだけだ。長信」

「はい」


「我が軍の中から適任と思われる者を探して参れ。夜目が利き、足腰がしっかりしていて、敵陣に潜り込む度胸があり、猪熊山周辺の地理に詳しい者だ」


 耳にした途端、長信は心の中で思わず舌打ちしていた。

 そんな都合の良い者が、容易く見つかると思っているのか。提案した兄自身が責任もって行えば良いではないかと。


 一瞬頭をよぎったのは、探したけど見つかりませんでしたと、体よく報告してしまう事。

 だが親と主人は無理を言うもの。機嫌が悪くなり、後が面倒になる事を知っていた長信は、しぶしぶ承諾して引き下がるのだった。


 そして翌日──



※ ※ ※ 



「御尊顔を拝し恐悦至極にございます。それがしゆずりは越後守と申します」

「おう、よくぞ参った。成功のあかつきには、しかるべき褒美を与える。心して当たるがよい」

「ははっ」

 

 二人のやりとりを聞き、長信は表情を曇らせていた。

 適材がすぐに見つかったのは喜ばしい事である。しかし、越後守は褒美と聞き、伏せていた顔をおもむろに上げ、その眼を輝かせている。おそらく褒美に目が眩んで名乗りを上げたのだろう。

 果たして、意欲に見合う程の力量を持ち合わせているか。長信の胸中にはずっと疑念が渦を巻いていたのだ。 


「して、どの様な御下知にございましょう?」

「そなたに兵をつける。猪熊山にある義貞の陣に火をつけて参れ。陣全体を焼き払わなくてもよい。出火した様子が義貞にはっきりと伝わる程度で構わん」


 当時、猪熊山には義貞と後藤勢が陣を構えており、平井、松浦の軍勢は付近の山に滞在していた。

 なので、山の麓まで近づけば、後は風上に立ち火矢を放つだけ。問題は諸軍勢が見張る中、どうやって麓まで近づくかであった。


 そこで数日後、越後守は風向きを確認した後、数人の兵を率い闇に紛れて出立していった。多久の山中を駆け抜け、猪熊山の麓に辿り着いた彼らは、当たりをつけていた義貞の陣目掛け、火矢を放ったのである。


 すると、その翌日、龍造寺の陣に想定外の報せが舞い込んできた。



※ ※ ※ 



「何っ、有馬勢の姿が消えただと!」


 物見からの報告に、長信も諸将も目を丸くしていた。

 言うまでも無く平井、松浦の軍勢は無傷のまま。また同じ山にいた後藤勢にも被害は出ていない。

 そして、後になって分かった事だが、越後守が放った火矢は、すぐに消し止められてしまっていた。焼き討ち出来たのは、有馬の陣のほんの一部に過ぎなかったのだ。


 おそらく火の不始末をしでかした者がいたのだろう。有馬の陣から立ち昇る小火ぼやと煙を窺い、諸勢はそう思っていたはずだ。


 違っていたのは有馬義貞一人だけ。

 彼は龍造寺の軍勢が夜襲を仕掛けて来たと思い込み、慌てて山から逃げ出し、本拠日野江城を目指し遁走していったのだった。

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