第1話 境目百姓たちの寝返り(前)

※主人公、龍造寺隆信の登場は三話からになります。



 中世戦国とは自力の世界である。


 小氷河期にあたるこの時代、度重なる天候不順から飢饉に陥った人々は、食糧を巡り抗争を繰り返していた。農耕による自給がままならず、よその土地に行って略奪した方が手っ取り早いためである。


 そして、略奪に出向いた者達は、己の物欲と性欲に従い、食糧だけでなく金品や人までも強奪し、女性を犯す蛮行──いわゆる乱暴狼藉を働くのが常だった。

 ゆえに己の生命財産を守るべく、人々は武器を手に取り、集落の者達と合力して立ち向かわなければならなかったのだ。


 ただ集落という小さな力で、あらゆる侵略者たちに立ち向かうというのは、至難と言わざるを得ない。

 そこで人々は、庇護してくれる上位の権力者を求めた。労働力、土地、金銭などを差し出して権力者の傘下に入り、その名声と武力を盾に、侵略者たちから身を守ろうとしたのだ。

 百姓や地侍は国衆の傘下に、国衆は大名の傘下にといった具合である。


 だが、逆に上位の権力者が、己の意にそぐわぬ働きをするものなら、人々は遠慮なく離反し、異なる上位の者を求めた。 

 上位の者からすれば、自領の体制秩序を揺るがしかねない行為である。

 当然放っておく訳にはいかず、離反した者と寝返った先の勢力を敵視し、時には彼らと刃を交えようとする。



 戦国乱世におけるこうした動向は、この話の舞台となる肥前(※壱岐、対馬を除く現在の佐賀県と長崎県)においても同様であった。



※ ※ ※ 



 永禄六年(1563)五月──

 有明海の北西沿岸にある肥前国杵島きしま郡、その東部に横辺田よこべたという地域があった。

 当時、肥前最大の在地領主であった、有馬家の勢力下に置かれていた所である。

 その東端にある砥川とがわ(※1)という地で、一つの騒動が起こった。


「どけっ、どけどけっ!」


 砥川のとある集落に押しかけて来たのは、十人ほどの男達であった。

 平時にもかかわらず皆鎧をまとい、長柄の得物や捕縛縄など、人を取り押さえるための物を手にしている。

 その中で彼らを束ねる役人が、往来していた人々を馬上から威嚇しながら街道を進んでいた。


 やがて、男達はとある屋敷の前に辿り着くと、躊躇することなく中へ入ってゆく。

 出迎える前庭を素通りし奥の主屋おもやへ。するとそこで、馬草を抱えて運ぶ下男と下女を見つけ、役人は声を掛けた。


「代官所の者である! 集落の長である乙名おとな(※村落の有力百姓のこと)の屋敷を探して参ったが、ここで相違ないか?」

「へえっ、確かにこの屋敷でございます。只今主は中にいますが、如何なる御用向きにございましょう?」


「何っ、中にいるだと!」

「へえ……?」


 何故この役人は目を見開き、眉を吊り上げているのか。

 まるで心当たりのない下男は、ひざまずいたまま、思わず生返事をしてしまう。

 しかし、それは役人の癪に障っていた。彼は一層顔をしかめると、手にしていた馬の鞭を下男に突き付ける。


「忘れたのか! 今日は島原での徭役(※領主から命じられる無報酬の強制労働)のため、早朝に代官所に集まる様、命じておいたではないか!」

「えっ、真にございますか⁉」


「わざわざここまでやって来て、偽りを申す奴がどこにいる! この屋敷の者達だけでなく、集落の男共皆集まっておらん! 代官である高場新左衛門様はいたく御立腹、すぐに連れて参れと仰せである! とにかく急ぎ主と家の男共を呼んで参れ!」

「へ、へえっ、ただいま!」


 下男は平伏すと主屋の中へと足早に消えてゆく。

 その慌てふためく様に、役人は表情を一転させ嘲笑を浮かべると、腕を組んでふんぞり返った。

 大人しく出てくれば良し。出て来なければ押し入ってひっ捕らえるまで。まずは威圧しつつ、主屋の前で相手の対応をじっと待つ。


 ただ、男達がすぐに出て来るとは限らない。

 加えてぐるりと見渡したところ、ここは一般的な乙名の屋敷よりも広そうである。

 なので、暇を持て余した役人は、時間を潰すべく、屋敷の周囲をうろつく事にしたのであった。

  


※ ※ ※ 



 その屋敷の敷地は、百姓としては広大なものであった。

 門こそ、左右の門柱の上に冠木かぶきを通した、いわゆる冠木門と質素なもの。 

 しかし中に入り前庭を抜けると、主屋とその離れに加え、土蔵に馬小屋と様々な建物が視界に入ってくる。

 

 そして、主屋の右に回ると縁側があり、まめに雑草が取り除かれていた花壇と竹林、さらに池が風情のある庭を成していた。


 また奥には裏山が窺える。おそらく四季折々の風景を楽しみながら、あそこで酒盛りでもしているのだろう。そう想像した途端、役人は再び表情を曇らせた。


(何だここは…… 本当に百姓の屋敷なのか? わしより立派なところに住みおって、許せん!)


 嫉妬心を足音に乗せ、ズカズカと大股で主屋の正面まで戻って来る。

 しかし、耳を突くのは、屋敷の外ではしゃぐ近所の童たちの声と、馬小屋からの嘶きだけ。主屋からは人の声どころか、物音一つ聞こえて来ない。


(ええい、遅い! いつまで待たせるのだ!)


 募る苛立ちが彼を主屋へ誘おうとする。

 ところがその時、思い掛けないものを見た彼は、目を丸くすると居残っていた下女に問いただした。


「おい! あれはどう言う事だ⁉」

「はい?」

「主屋の裏から煙が立ち昇っておるではないか!」

「あらまあ、確かに。おそらく誰かがかまどを使っているのでございましょう」


「おかしいとは思わぬか! 今すぐ出て来いと申しておるのに、なぜ朝餉の支度が始まるのだ⁉」

「いえ、今は巳の刻(※午前十時頃)にございます。すでに朝餉は済ましたゆえ、あれは何でしょう、もう夕餉の支度を始めているのかも──」


「阿呆! その様な事を聞いてはおらん! とっとと主屋に戻って、男共を引きずり出して参れ! さもなくば縛り上げて代官所まで連行するぞ!」

「へ、へぇ、しばしお待ちを……」

「しばしなど待てるか、このボンクラが!」


 馬の鞭を振り回し、役人は下女を主屋へと追い立ててゆく。

 だが怒りは収まらない。鞭の先を庭の雑草へと変え、屋敷の周囲に響き渡る程の大声で当たり散らす。


「全く、この屋敷はどうなっておるのだ! 主もボンクラなら、下人もボンクラ! 揃いも揃ってボンクラしかおらんのか!」 


 代官の代理として催促に来たのだ。舐められる訳にはいかない。

 威厳を見せつけるべく、役人は顔を紅潮させ、大仰に腕組みしてふんぞり返る。


 また、その様に彼が振舞っている時はどうすればよいか、配下の者達はよく心得ていた。

 上司危うきには近寄らず。無用の軋轢を避けるべく、皆役人から目を逸らしたまま、姿勢を正して事の成り行きを見守っている。


 すると、その時だった。

 主屋の戸が開き、土間から数人の男達が次々に姿を見せる。

 そして最後に出てきた壮年の男が、役人の非難に受け答えたのだった。


「そんなにボンクラ、ボンクラと騒がずとも、屋敷の主はここにござる」




(※1)砥川は川ではなく地名です。

    今後もよく出て来るので、混乱しない様にお願いします。


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