第2話 境目百姓たちの寝返り(後)

「そんなにボンクラ、ボンクラと騒がずとも、屋敷の主はここにござる」

 

 屋敷の主である壮年の男は、一番最後にゆっくりと主屋から姿を現した。

 そして、前に進み出ると、役人を直視してふんぞり返り、そう宣告したのである。


 反省の色など微塵も見られず、不遜な態度と言わざるを得ない。

 役人は一時言葉を失っていたものの、すぐに憤りに任せ詰め寄ろうとする。


 しかし、彼の脚はすぐに止まった。

 主屋から出て来た男達を見回してみると、皆、籠手や腹当などの簡易な鎧姿に太刀を帯びている。明らかにこれから徭役(※領主から命じられる無報酬の強制労働)に向かう格好ではない。


 まさか刃向かう気なのか──役人は咄嗟に勘繰った。

 だが、武士とは面目を第一に考える者である。先程まで大声で屋敷の者達をそしっていた彼は、その威勢を鈍らせる訳にはいかなかった。


「お前が集落の乙名(※村落の有力百姓のこと)か。何だその態度は?」

「はい?」


「命令を無視し、わしにわざわざ足を運ばせ、あまつさえその無礼な態度、ただで済むと思うなよ! ひっ捕らえて、縄目のまま代官所まで連行してやる!」

「…………」


「だが運が良かったな、わしは寛大な心の持ち主だ。お前が頭を地べたに擦り付け、誠意ある謝罪を口にするならば、勘弁してやらんでもない」


 役人はそう口にすると、口元を歪め屋敷の主を睨みつける。

 そして、手にしていた馬の鞭を地べたに向け、バンバンと叩いてみせた。「ここに頭を擦りつけろ」という意味である。


 この辺りを取り締まる立場の者が、明らかに気分を害しているのだ。集落の誰が逆らおうというのか。たちまちその場は、前庭の木々がそよぐだけの、静かな修羅場と化した。


 ……はずだったのだが、屋敷の主は意に介していなかった。俯いて役人から視線を逸らすと、ふっと鼻で笑い出したのだ。そして──


「ふっふっふ……」

「うん?」

「はっはっはっは! 謹んでお断り申し上げる!」

「な、何ぃ!」


「徭役の命令には、もはや従わぬと申し上げたのだ! 我らは以前より、その負担軽減をお願いして参ったが、代官は一向に聞く耳を持たれぬではないか!」

 

「無礼な! 口の利き方をわきまえろ! 百姓が徭役をこなすのは当然であろうが!」


「徭役先の日野江ひのえ城は島原の南端近く! 行くだけでも数日は掛かる! それを年に何度も命じ、我々の労苦を斟酌しようとしない。そんな悪代官の命令に従う道理がどこにある!」


「貴様、代官たる高場新左衛門様を侮辱するか! 恐れ多くも西肥前四郡を従える、有馬御家中の重臣であらせられるぞ!」

「それがどうした? ただの役人ではないか」

「なっ……」


 役人の恫喝も何のその。屋敷の主は退屈そうに右耳をかっぽじって受け流す。

 そして指先に着いた垢をふっと吹き飛ばすと、真顔に戻って告げた。


「あいにく、ここ砥川とがわは川境の地にござる。上位と仰ぐ方が我々を苦しめるのならば、川向こうにある、もう一方の勢力に寝返るまで」

「もう一方の勢力だと、まさか──」

 

 訝しむ役人の前で、主は横で侍っていた家人に目配せをする。

 それを受けて、家人は懐から一通の書状を取り出すと、広げて屋敷全体に聞こえる様に読み上げ始めた。


「砥川六集落の乙名、百姓地を差し出し、徭役を果たす事により、当家傘下の地侍に加えること、承り候。 龍造寺山城守隆信」


 そして、読み上げた起請文を役人の前に堂々と見せつける。

 こんなふんぞり返った態度の寝返りがあってよいのか──

 配下の者達と共に、役人は一瞬唖然としていたが、やがて鬼の形相と化して声を荒げ始めた。


「砥川の集落が六つも寝返りだと!」

「そうだ! そしてわしは、これより森田の姓と越前守を名乗り、龍造寺の地侍として生きる事としたのだ!」 


「馬鹿め! それらを合計すれば五百町近く(※1 約五千石近く)にもなる。御館様が放っておくはずがあるまい! この地は間違いなく大戦おおいくさになるぞ!」

「全ては覚悟の上よ! ゆえにそなたの脅しなど、もはや寝言に過ぎん!」


「ぬうう、ほざいたな、百姓ごときがァ!」

「おう、抜くか! 掛かって来いや、小役人がァ!」


 鯉口を切り間合いを詰めてゆく役人と、応じて同様の態度をとる越前守。

 そして代官配下の者達と屋敷の家人達、それぞれの取り巻きも、太刀や竹槍を構え間合いを詰めてゆく。


 数はほぼ互角であり、このままだと凄惨な斬り合いになる。

 と、思われたが、そうはならなかった。咄嗟に越前守が左手を上げ、家人の一人に鐘を鳴らさせたのだ。すると──


「これは……⁉」

「お主ら代官所の者達の考える事など、とうにお見通しよ! あらかじめ集落で備えておったのだ!」


 鐘が鳴り響くや否や、集落のあちこちから数十の男達が鬨の声を上げ、屋敷の周囲に集まって来る。しかも、皆その手に竹槍を持ち、貧相ながらも鎧を身に着けていた。


 対峙してから僅か数分、これ程短時間に取り囲まれるなど、想定外としか言い様がない。真っ赤になっていた役人の顔は、たちまち青ざめてゆく。


「お、おのれ、小賢しい真似を!」

「何を申すか。囲まれる前に逃げ出す事も出来たのだぞ、屋敷の裏の煙を見た時にな」

「煙⁉」


「あの煙をそなたはかまどからのものと思ったはずだ。だがな、竈で使う薪の煙は白く、風に煽られてしまう。今回の様に黒くて、真っすぐ立ち昇るものとは違う」

「……あっ!」


「分かったか、あれは狼煙よ。集落の者達に異変を伝えるためのな! 武士たる者がこの程度の事を見抜けぬとは、ちゃんちゃらおかしい! お主こそ真のボンクラであろうが!」


 越前守はそう啖呵を切ると、集落の者達と共にじりじりと包囲の輪を縮めてゆく。

 対して、役人は言い返そうにも、口を衝くのはうわ言ばかり。じりじりと後退し、屋敷の外へと追いやられてゆく。


 もはやどちらが優位かは、誰の目にも明らか。

 察した越前守は、屋敷の外に押し寄せていた百姓達に、代官所に通じる道を開ける様指示すると、再び役人達を睨みつけた。

 

「さあ、逃げ道は確保しておいたぞ! 後はお主らの判断次第。ここで戦って犬死するか、尻尾を巻いて逃げ帰るか、好きな方を選ぶがいい!」

「おのれ、おのれェ……」

「さあ、さあさあ、返答や如何に!」


 越前守の恫喝に、役人はすっかり腰が引けてしまっていた。

 出来たのは、抜刀したままの姿勢で後ずさり、配下の者が連れてきた馬にあたふたと跨るだけ。


 そして顔面蒼白のまま、小者に相応しい捨て台詞を残すと、馬腹を蹴って逃げ帰っていったのだった。

 

「この様な真似をして無事に済むと思うなよ! 必ず御館様の軍勢が討伐に参られる! 貴様らの命はあと一月もあるまい!」



※ ※ ※ 



 役人たちの姿が小さくなるまで、屋敷の前は静寂に包まれていた。


 しかし、有馬や代官所に対する、これまで溜まっていた鬱憤をようやく晴らしたのだ。

 役人達の姿が見えなくなった途端、どっと集落の男達から歓声が沸き起こる。

 それを耳にして、周辺の民家に潜んでいた女性、子供、老人達も駆け寄り、歓声はより大きなうねりを生んで、空へと轟いていた。


 越前守はその中で刀を収めつつ、皆の前に進み出る。

 周囲をうかがい、誰一人犠牲を出さずに済んだことを確認すると、傍にいた家人に耳打ちするのだった。 


「よし、万事上手く運んだな。この一件、すぐに龍造寺に報告するのだ」

「はっ」

「あと砦の建設を急がせよ。有馬の軍勢は十日も経たぬうちにやってくるであろう」

「心得ました」


 家人は一礼してその場を去ってゆく。

 それを見送った後、騒めく百姓たちを前にして、越前守は意を同じにするべく宣言する。


 その宣言こそが、集落の、砥川の、そして肥前一国の政情を一変させる、大戦の始まりであった──



「さあ皆の者、これで賽は投げられた! 勝つぞ、必ず勝つぞ! 勝って龍造寺と共に集落の未来を切り拓くのだ!」   





※1 五千石

歴史書「大曲記」によると、砥川の集落はそれぞれ八十町ほど。

それが六つあるので四百八十 →五百町近くと表現


また一町=十反、一反の土地から約一石の米が取れる事から換算。

ただし一反当たりの米の取れ高は江戸時代を参考にしており、地域によって基準にばらつきがあるため、参考程度に考えて下さい。

   

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