第4話 龍造寺家の憂鬱(後)


 隆信は懐から一通の書状を取り出し、ちらりと見せた。

 長信は咄嗟に「あっ」と声を上げる。それは、長信を取次として龍造寺に寝返りを申し入れてきた、砥川の乙名達からのものだった。


 土地を差し出し、徭役を果たす替わりに、地侍として傘下に加えて欲しい。


 書状にはそうしたためられていた。無論機密事項であり、周囲の者達には知られる訳にはいかない。

 二人は斜面を下り、家臣達から距離を取ると小声で話し始める。


「本当の目的は、この周辺の地理をじかに確認する事よ。梅見はそのついで。そなたは、わしが梅見だけで来たと思っている様だがな」

「いえ、決してその様な事は…… はははっ」


「ふん、まあ良いわ。で、眺めてみてどうだ?」

「……何の話です?」

「有馬の大軍が再び攻めて来た場合についてだ。どこか守るに適した地形は見当たらぬか?」



 実は前年の三月、龍造寺と有馬は一触即発の事態に陥っていた。

 有馬が突如、小城郡へと侵攻。両勢は牛津川を挟み、長らく見合う事態となっていたのである。


 ただ、有馬がなぜこの時を狙って出兵したのか。その思惑について、隆信や龍造寺諸将は推し測ることが出来なかった。

 龍造寺家臣団や傘下の国衆、地侍達から、有馬に寝返った者は確認出来ない。

 また、有馬と共に挙兵し、挟撃の動きを見せた敵対国衆もいない。

 外交や調略などの下準備が無いまま、有馬はなぜか数を頼みに押し寄せて来ていたのだ。


 そのため、隆信は万全の体制を整えて迎え撃つ事が出来た。

 当然、戦況は膠着する。結果、暫くして有馬は兵を退かざるを得なかったのだ。

 


 長信は進み出て周辺を見渡してみる。しかし──


「付近に頼みとする地形は見当たりませぬ。やはり去年同様、川を挟んで対峙するしかないかと」

「となると、川の向こうにある砥川は孤立してしまう。守るのが至難と分かれば切り捨てねばならん。そうだな?」

「やむを得ぬかと」


 隆信は長信の意見に頷きつつ、自身も再び周囲を見渡してみる。

 山の斜面は、南から西、そして北の細かい所まで眺望が利く所である。

 だが、遠方までいくら目を凝らしても、大軍を阻める程の要害はやはり見当たらない。

 隆信は思わず溜息を零すと、牛津川の西を指差した。

 

「砥川はあそこか。裕福な土地柄と聞く。惜しいな」

「致し方ございませぬ。境目百姓達は草木のなびき。土地と安全を保障してやらねば、いつ再び寝返るか分からず、今は受け入れられますまい」


「まずは東へと勢力を広げるのだ。有馬と伍して戦えるようになるまでは、川より西へは手出し無用、よいな」

「心得ました」


 返事を受けて、隆信は斜面を後にする。

 しかし、酒を吞んで気分を良くしていた、先程までの威勢はどこへやら。その背中は丸みを帯び、足取りも重そうに見えた。


 兄の心情は長信も察する事ができた。

 これまでの龍造寺と有馬の力関係は、有馬が一方的に龍造寺領内を脅かすと言うものである。

 そのため、寝返りの申し出は、有馬領国に楔を打ち込み、長年の屈辱を晴らす機会になるかもしれないと期待されていたのだ。隆信が愕然としているのも無理も無いだろう。

 

 やがて下山するべく、隆信一行は再び山道へと踏み入れる。

 だが、隆信自身の足取りは鈍いままで、先導する家臣や牛尾別当坊の山伏達が、時折立ち止まって振り返るほど。皆が案じていた、その時だった。


(うん、あれは……?)


 下山の途中、隆信の脚は急に止まった。

 雑木の隙間から、山の北側の景色がちらりと視界に入ったのだ。


「如何なされました、殿?」


 先行する家臣が振り向いて問い掛けるものの、隆信は無言のまま。北に向きを変え、雑草の中をズカズカと分け入ってゆく。


 理由はない。だが、何か訴えかけてくるものがあったのだ。

 長年多くの戦場を転々とし、修羅場を潜り抜けてきた、いわゆる彼の第六感。それに従い、ひたすらに進んでゆく。


 やがて見えていたのは、麓を流れる牛津川の支流である。

 そして、その先に目をやると小さな山があった。隆信は振り返ると、追い掛けてきた山伏の一人に尋ねる。


「おい、あの小さな山は何と申すのだ?」

「赤土(丹)の一帯がある事から、地元の者達は丹坂にざか山と呼んでおりますが」

「丹坂山……?」


 佐嘉も小城も北部は山岳地帯である。

 なので、当然隆信も現地の山を幾つも知っているのだが、丹坂という名前は聞いた事がなく、首を傾げるしかない。


 さらに目を凝らしてみると、そこは山と言うより、雑木に覆われた丘陵の様に見えた。陣を張るのは言うに及ばず、迎え撃つにしても適した所とは思えない。


「兄上? 如何なされたのです?」

「……いや、あの山が使えるのではないかと思ったが、見当違いだったようだ。戻るぞ」

 

 背後から聞こえてきた長信の問い掛け。

 それにはっとなった隆信は、平静を取り戻すと、やがて踵を返し、再び麓へ歩を進めていった。


 ただ、ためらいが残らなかった訳ではない。

 これまで彼は、佐嘉や小城の山々で現地の国衆、神代くましろ氏と何度も刃を交え、山岳戦の難しさは身に染みている。


 その知識と経験に裏打ちされた直感が、訴えかけてきたのだ。あの山は使えると。

 だが、一方で視覚は頼りにならないと訴えてくる。

 なぜこんな不一致が起こるのか。下山の最中、隆信は得体の知れない違和感を拭いきれずにいた。

 

 この時の隆信は気付いていなかったのだ。

 鍵を握っていたのは、丹坂山だけではなく、自分が今いる牛尾山、そしてその間の平野──現地の者が山崎と呼ぶ一帯であることに。


 この広域の地形を活かし、有馬勢を迎え撃つ。

 やがて訪れる決戦の数か月前のこと、当時はその戦術を、頭に描く事が出来なかったのである。

 

 

※ ※ ※ 



 それからしばらくして、隆信は軍を起こし東に向かった。

 肥前の東端近く、三根みね郡に勢力を張る、馬場鑑周を攻めるためである。 


 馬場家は、かつて龍造寺家と共に、大名少弐家の傘下にいた国衆であった。

 歴史上最も著名なのは、鑑周の祖父にあたる馬場頼周だろう。

 天文十四年(1545)少弐当主であった冬尚と共に、拡大著しかった龍造寺家の威勢を削ぐべく、その一族家臣達を多数粛清した人物である。


 しかし同年、頼周は隆信の曽祖父である家兼や、佐嘉、小城の反少弐勢力の逆襲を受け、討ち取られてしまう。

 さらに紆余曲折を経て、永禄二年(1559)に少弐家が滅亡する。

 その四年後の今、少弐方の中心として存在感を示していた馬場家も、もはや東肥前の弱小国衆の一つに過ぎなかった。


 鑑周はその本拠、中野城に籠って待ち受ける。

 対して、隆信は城を十重二十重と囲んで締め上げる。


 後は音を上げるのを待つばかり。さて、その後如何に馬場家を処すべきか。

 思案しようとした矢先、陣屋の中に入って来た長信が、思いがけない事を告げたのだった。


「兄上、使いの者が参っております」

「何っ、もう音を上げたのか?」


 さすがに早過ぎる。敵の内部分裂か、それとも逃亡か。

 急変に驚いた隆信は寝所を抜けると、すぐに本陣へと赴く。 


 ところが、彼の目の前に現れたのは、戦場にもかかわらず肩衣かたぎぬに袖を通した複数の者達であった。


「うん? そなた達は……」

「御目通り叶い恐悦至極。それがし、並びにここにいる者達、砥川六集落の乙名にございます」



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