最終話 傘なき明日を睨んで


 翌日、龍造寺勢は陣を払い、横辺田の地を後にする。

 平井勢の追撃が無い事を確認した後、杵島郡内の地侍達と別れ、砥川から小城、そして本拠佐嘉へと向かったのだ。

 


 景色の移り変わりを目の当たりにしながら、兵達は街道を進んでゆく。

 すでに新暦で言うところの九月に入っており、照り付けていた日差しは幾分和らいでいる。そして、周辺の野や沼地に広がる稲穂も、徐々に色づき始めていた。


 ただ、その中にあって、長信は一人家の将来を案じ、馬上にて虚ろな表情を浮かべたまま。昨晩の隆信の言葉が、未だに頭に引っ掛かっていたのだ。


(今後、大友が我らの威勢を潰すべく、周辺国衆達に調略を仕掛けて来るかもしれん。西肥前におけるその動向を、そなたには良く見張っていて欲しいのだ)


 大友家との関係はこれまで良好と思われていた。

 龍造寺は大友の意向に従い、少弐家を滅ぼしたり、大友に敵対した東肥前の国衆、筑紫惟門の討伐に赴いたりしている。

 特に筑紫討伐においては、大友は感状を送って来て、龍造寺の働きを褒め称えていたのだ。


 その関係が崩れるかもしれない。

 大友は豊前や筑前で毛利と抗争を続けていたため、今まで肥前に目を向ける余裕が無かった。なので、自分達が国衆達と戦を繰り返してこれたのも、ただ見逃してもらっていたからに過ぎないのだ。


 逆鱗に触れ、敵と観なされないか。今後はより注視していかねばならない。

 もし討伐の対象になってしまえば、瞬く間に潰されてしまうのは目に見えているのだから。

  


 長信がそう案じている内に、軍勢は横辺田東端の砥川に差し掛かる。

 牛津川、そしてその支流からもたらされる水の恩恵を受け、稲穂が野や沼を埋める風景はより広大なものになっていた。


 彼も思わず顔を上げ、唸る他ない。

 戦前から佐嘉にまで砥川の名声は伝わっていたのだ。「裕福な土地柄である」と。 

 しかも、戦時で多くの男手を欠いた中にあっても、百姓達は変わらず田を守り続けていた。彼ら彼女らの辛苦を思えば、敬意を抱かずにはいられなかったのだ。



 そして、牛津川の手前までやって来た時、彼の表情は、より晴れやかなものに変わっていた。


「殿、川の北側を御覧下さりませ!」


 と、家臣の一人が隆信長信に呼び掛け、遠方を指差している。

 その方向に目をやると、数人の百姓達が集落から抜け出し、こちらに向かって手を振りながら、並走してくる姿が窺えたのだ。


「百姓達の見送り受けるとは珍しい。はて、どういうつもりだ?」


 龍造寺将兵達は、怪訝な眼差しを向けながらざわつき始める。

 だが百姓達の足は止まらない。やがて田を挟んで龍造寺勢に追いつくと、追い越し、崩れかかった砦の中に入ってゆく。

 

 やがて砦の南の土塁に立ち上った彼らは、声を一つにして勝鬨を上げてみせたのだ。こちらを凝視しながら懸命に。まるで誘っているかの様に。

 そして──


「あやつらめ……」


 隆信は思わず相好を崩していた。

 百姓の一人が咄嗟に掲げたのは、かつて手渡した「龍」の字が印された大幟おおのぼり

 戦に敗れた際、慌てて持ち出したのだろう。所々が破れ、泥と血で黒ずんでいたものの、風に煽られ、大きく高く威風堂々と翻っていたのだ。


 隆信はようやく理解出来た。

 その砦こそが、百姓達が立て籠もった雁津がんつの砦だったのだと。

 百姓達は伝えたかったのだ。勝ったのは我々であると。勝ったのは龍造寺であると。

 

 彼らからしてみれば、砥川の地を解放してくれた事に対する、精一杯の御礼のつもりなのだろう。

 しかし龍造寺勢は新参者である。よく知らない者だって少なくないはずだ。

 にもかかわらず、集落の者達に、この様な形で感謝を告げられるとは──


 隆信はふっと笑みを零すと、隣にいた長信に訴えかけていた。


「のう、長信!」

「はい!」

「我らも砥川の百姓達に倣い、新たな道を拓いてみるか!」

「ええっ! それはまさか──」


 大友という傘から離反するつもりなのか。

 青ざめる長信の表情を窺い、隆信はかぶりを振った。


「我らは朝廷とも幕府とも縁がない。その中でもし傘を失う事があれば、頼れるのは己の武だけだ! ならば領土を守り抜けるほどの、確かな武を手に入れようではないか!」 


 おそらくいつの日か、はやって来るのだろう。

 隆信の様子は昨日とは違っていた。その声に力が漲り、その眼差しには活力が満ち溢れている。傘なき明日を睨み覚悟を固めたのだ。


 長信は応じて深々と頷いてみせる。

 確かに大友を敵に回さぬ様、最善は尽くさなければならない。

 だが、これまで幾多の窮地をくぐり抜け、弱小国衆からのし上がってこれたのは、兄の領国経営の手腕によるものなのだ。

 そこに絶大な信頼を置いていた彼もまた、共に同じ道を進むと覚悟を決めたのだった。

  


※ ※ ※ 



 中世戦国とは自力の世界である。


 百姓達は武器を手にする。危難に備え、家族とその日常を守り抜くために。

 境目の集落は揺れ動く。接する幾つもの勢力を天秤に掛け、均衡を保ちながら。

 国衆達は頭を悩ませる。庇護せねばならない下位の者と、庇護してもらいたい上位の者との狭間で。


 その道理は肥前も龍造寺も同じこと。

 ゆえに、この先の領国経営も決して順風満帆とはいかないであろう。


 だが、危機に陥っても立ち直れるはずだ。

 自分達はすでに経験している。そして忘れてしまっても、この景色が思い出させてくれるだろう。


 成功への鍵は諦めないことにあると。

 民と上位の者達が心を一つにして、知恵を振り絞れば、大きな困難を乗り越えられるかもしれないと言うことを。

 


 潮の匂いが混じる南風が、より強く吹き抜けてゆく。まるで自分達の心意気を後押ししているかの様に。

 気分を高揚させていた隆信と長信は、百姓達に手を振り返しながら、砥川の地を後にしていったのだった。 



(了)

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丹坂の戦い 龍造寺隆信、肥前の大勢力有馬に挑む 浜村筆心(ヒゲ園児) @noutore

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