第7話 西肥前の巨大勢力 有馬(前)
戦国時代の肥前、そのおおよそ前半は、北九州の有力大名たる大内家と少弐家の対決の場であった。
両家は長年に渡り抗争を繰り返す。
結果、勝利した大内家は威勢拡大の一途を辿り、敗北した少弐家は、衰退から滅亡、やがて再興を繰り返す弱小勢力へと転落していったのだった。
そして、抗争の最中にあって、密かに西肥前に勢力を拡大していったのが、他ならぬ有馬家である。
もともと有馬家は、島原半島の南端近くに領地を持つ、小さな地頭職にすぎなかった。
それが、戦国時代の初期に有馬貴純という当主が現れる。
彼は、時の少弐家当主政資に接近し、各地の戦に加わって武功を挙げ、恩賞として肥前各地に所領を獲得していったのだった。
これが有馬家の発展の契機となった。以降、有馬家は近隣国衆達との抗争に打ち勝ち、政略結婚を進め、次第に威勢を北へと伸ばしてゆく。
貴純の嫡子、純鑑(
その威勢は幕府にも知れ渡っていた。
賢純は五十六歳で家督を相続した後、使者を上洛させ、将軍足利義晴から「晴」の一字を賜り、諱を晴純と改めている。
また、幕臣大舘常興の日記には、その時晴純が肥前守護職を賜ったと記されている。
しかし、肥前守護職としての権限を、晴純が行使した形跡は見当たらない。
それでも、そう
天文二十一年(1552)、晴純は隠居して仙岩(仙巌)と号し、嫡男義貞に当主の座を譲る。
だが、実権は相変わらず彼が握ったまま。永禄六年(1563)当時も、家の威勢はなお健在であり、龍造寺にとって最も恐るる存在であったのだ。
※ ※ ※
さて、砥川にて寝返り騒動が起きた直後のこと。
有馬家の当主である義貞は、島原半島の南端近くにある本拠
「ごほっ、ごほっ、酷い有様よのう。普段からもそっと手入れをしておかぬか」
「も、申し訳ございませぬ」
と、彼の姿は、城郭の端に置かれた土蔵の中にあった。
そこは至る所が蜘蛛の巣に覆われ、少し歩いただけでも埃が舞い上がる不快な場所である。
とても有馬家の当主たる者が訪れる所ではないのだが、彼は意に介さない。
苦言を呈しつつも、棚に積まれた写本を手に取り、気になったものから近臣達に手渡すという事を繰り返していた。
そんな中にあって、一人の家臣が土蔵の板戸を開け駆け込んでくる。
「おおっ、殿! まさかこの様な所におられるとは! ……で何をされておられるので?」
「見てわからぬか。典籍の写本を読み漁っておるのだ。夢を見たのでな」
「夢……にございますか?」
「そうだ。戦場にて敵と相対しておる時にな、突然わしの身体が数十丈の大蛇になって水辺に横たわっておったのだ。姿を見た敵は唖然茫然、すぐに逃げ帰っていった。どうじゃ奇怪であろう?」
「ううむ、確かに怪しゅうございます。しかし敵を駆逐なされたのであらば、それはおそらく吉夢ではございませぬか?」
「わしもそう思ったのだが、以前似た様な話を、何かの典籍で読んだ記憶があるのだ。はて、それが何だったのか……」
と、そこで義貞は返事をあいまいにしたまま、再び写本に没頭し黙り込んでしまう。
彼の真剣な眼差しに家臣は口をつぐむしかない。その場には他に近臣数人がいたものの、誰一人言葉を発する事無く、再び静寂に包まれてしまっていた。
とは言え、たかが夢のために昼間から武士数人が集まって、あれでもない、これでもないと頭を悩ませているのだ。
何て無駄な時間の使い方をしているのか。そう指摘する者が一人くらいいても良いところだろう。
だが、彼らの行為は当時の価値観に基づいたものであった。
中世における夢とは、未来に起きる事について、神仏などの超越した存在が教えてくれるメッセージであり、幸運な事と認識されていたのである。
なので夢を見た後は、それがどの様なメッセージなのかを、内容から正確に解釈しなければならなかった。
夢を見た者が主君の場合、家臣が内容を正確に解釈する。それも一つの奉公と考えられていたのである。
すると──
「おおっ、こ、これは──!」
「い、如何なされました?」
写本を手に取り声を震わす義貞を見て、家臣は慌てて側まで寄って来る。
まさか悪夢だったのか。察して覗き込むが、振り向いた義貞の顔は逆に綻んでいた。
「わしが幼き頃習っておった、古今和歌集の写しではないか!」
「はい……?」
「懐かしいのう! 習うのが楽しくてな、歌を覚えたいと写して励んだのだ。ほれ、幼き頃より達筆であろう!」
義貞は嬉々として家臣の目の前に差し出す。
想定外の事に家臣は言葉を失っていたものの、やがて気を取り直し、紐で綴られた写しの束を覗き込む。
そして再び言葉を失ってしまった。確かに子供の字とは思えない程、美しく整っていたのだ。
「それを知った父上が、和歌に通じた公家を都からわざわざ招いてくれたのだ。だがこの公家が、つぶれた饅頭みたいな
昔話に花が咲く。
と言うより、義貞が幼少のころを回想し一方的に語るだけ。対する家臣も聞き役に徹し頷くだけ。他の近臣数人は黙々と写本に目を通すばかりで、蔵の中に響き渡っていたのは義貞の声だけであった。
そんな中、家臣は突然はっと我に返ると姿勢を正した。
「殿、それどころではございませぬ。間もなく評定の御時間。家中の御歴々は続々と広間にお集まりでございます」
「おお、ならば向かうとするか。まあ、懸念すべき父上が来られるのは一番最後だ。焦る事はあるまい」
「それが、今回は大事な話があると、すでにお待ちにございます」
「何っ、それを早く申さぬか!」
※ ※ ※
義貞は足早に広間へとやって来た。
すでに父仙岩や一族重臣達はずらりと居座っており、たちまち彼らの視線が突き刺さる。
とは言え、遅刻した訳ではないのだ。その中を義貞は平然と進むと、上座の仙岩の右隣に腰を下ろす。
ところが、齢八十になる仙岩の目元には、目が開いているのかはっきり分からない程の、険しい皺が刻まれていた。
「何をしておった。今日の評定は大事と伝えておいたであろうが?」
「申し訳ございませぬ。実は昨夜見た夢について調べておりまして」
「夢だと?」
仙岩と家臣達、居合わせた者全ての視線が、再び義貞に突き刺さる。
その中にあって、義貞は掻い摘んで内容を説明すると、さっそく解釈に名乗りを上げた者がいた。老臣(有馬家最上位の家臣)の
「真に目出度い! 殿、それは大いなる吉夢にございます!」
「やはりか! はははっ、いや、わしもそうではないかと思っておったのだ!」
「はっ、殿の威風を大いに示し、近隣に覇を唱えよとの天の御導き。今、御出馬あれば大勝利間違いございませぬ!」
にへら笑いの直治につられ、笑みを浮かべる義貞。
佞臣と暗君とまではいかないものの、その様子は居並ぶ家臣達にとって気持ちの良いものではなかった。
中でも睨みつける仙岩の目は、今にも飛び出さんとするばかり。
慌てた直治は咳払いを一つして真顔に戻る。
彼はこの評定における進行役であり、始まっても無いのに雰囲気をぶち壊す訳にはいかなかった。
「では改めて始めさせていただきまする。本日は、昨日報せがあった
有馬は威勢拡大の一途を辿って来た家である。
国衆や地侍達を従える事はあっても、大規模な離反は経験がない。
そのため、この一件は彼らにとって屈辱でしかなく、場はたちまち怒号で埋め尽くされた。
「前代未聞とは正にこの事! 今すぐにでも派兵し、鎮圧すべし!」
「それだけでは足らぬ! この際
「左様、この頃戦らしい戦が無いゆえ、少々退屈にござった! 小城にて狼藉をするとならば、皆目の色変えて働きましょうぞ!」
異論はなかった。居合わせた者達の意見は一つ、派兵制圧である。
単純な怒りほど結束を生みやすい。皆気合十分の表情に義貞は深く頷くと、当主としての見解を示す。
「うむ。確かに境目の寝返りは見逃す訳にはいかぬ。我らの武威を見せつけ、これ以上の離反を防ぐのだ!」
『ははっ!』
「だが、その前にだ……」
号令とも取れる義貞の口ぶりに、合わせた諸将はすかさず平伏する。
ところが義貞本人は納得していなかった。戸惑った様子で皆に問い掛ける。
「徭役を減免してやるから戻って来いと、説得しては駄目なのか?」
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