第8話 西肥前の巨大勢力 有馬(後) 

徭役ようえきを減免してやるから戻って来いと、説得しては駄目なのか?」


 義貞の問いかけに場は静まり返った。

 派兵制圧で皆の心は一つになったはず。諸将はそう思っていたのだが、義貞だけは未練を残したままだったのだ。


 ただ、その提案はあまりにも生ぬるいと言わざるを得ない。

 諸将は苛立ちを隠せなかった。ある者は口をあんぐり開けたまま固まり、またある者は顔を強張らせて凝視している。


 対して義貞は、同意する者がいないかと一族家臣達の様子を窺ったまま。

 そんな中にあって、大きな舌打ちをして割り込んできたのは、父仙岩であった。


「そなた、事が重大だと理解しておるのか?」

「えっ?」

砥川とがわの民は武装し、砦を築いて待ち構えておるのじゃぞ。刃を突きつけて来た者達に対し、上位である我々がなぜ折れねばならぬのだ」


「ですが、まずは説得から入れば、無駄な血は流れずに──」

「たわけ! 離反を許して贔屓すれば、周辺の集落も徭役を減免しろと騒ぎ立てる! そのぐらいの事がなぜ分からん!」


 場は水を打った様に静まり返る。

 仮にも義貞は、西肥前四郡を傘下に収める名門、有馬家の当主である。

 だが威厳はどこへやら。そこにいたのは、たちまち仙岩から視線を逸らし、肩をすくめるばかりの中年武将でしかなかった。


「ただちに軍を送る。まずは先発として──」

「父上、お待ち下さりませ!」

「今度は何じゃ⁉」

「その戦、是非それがしを総大将として、現地に赴かせて下さりませ!」


 と言って平伏する義貞に、仙岩は面食らっていた。

 この時、義貞は四十三歳になるが、家督を継いで以来ろくに戦場に赴いたことがない。

 前年の小城侵攻の折も総大将として出陣したものの、戦場から離れた館で見守るだけ。ゆえに、これは思い掛けない申し出であったのだ。


「何ぞ良い考えがあるのか?」

「ございませぬ」

「ああ゛⁉」

「ですが夢の御告げがござる」

「そなたは──!」


 仙岩は再び声を荒げ説教しようとする。

 そこに割って入ったのは、老臣(※有馬家中で最上位の家臣)である安徳直治だった。


「まあ良いではございませぬか、大殿。御館様自らの出馬とあらば、近隣国衆達も事の大きさを理解し、直ちに駆けつけて参りましょう」


 直治がやんわり進言する中でも、義貞は頭を下げたままであった。

 どうにかして汚名を返上したい。その姿に強い意志を感じ取った仙岩は、息子の決意を無下に出来なかった。


「ならばよかろう。だが戦の方針はわしの方で決める、良いな」

「ありがとうございます、父上!」

「まずは(安徳)直治を大将に先遣隊を送る。それで砥川を制圧し周辺を鎮静させるのだ」

「ははっ!」


「だが制圧できぬ時には、本隊率いるそなたの出番だ。ただし、制圧しても牛津川を越えて、小城おぎ佐嘉さがへ攻め込もうと考えるな。龍造寺が砥川救援に来た所を迎え撃つのだ」

『えっ⁉』


 驚愕の声を上げたのは義貞だけではなかった。その場はたちまち騒めきに包まれる。

 とは言え、相手は家の実権を握る実力者なのだ。諫言したいが出来る訳がない。

 そんな雰囲気を察した直治は、咳払い一つした後、仕方なく進み出る。


「恐れながら大殿、それは如何なものかと……」

「おう直治、異見があるなら聞いてやるぞ。家の領国経営に携わる事六十余年、このわしに楯突けるほどの異見ならばな」


「ま、まさか楯突く気など毛頭ございませぬ。されど今回の出兵、将兵はみな小城にて乱暴狼藉が出来るといきり立つはず。そこを領内に留まるとなれば、少なからず士気に関わるかと……」


「ほう、その程度の不満、そなたは抑えられんのか。騒ぎ立てている者を探し出して首を刎ね、見せしめとして陣前に晒しておくだけであろうが」

「…………」


 もはや誰も異論を挟めなかった。

 仙岩にとっては、居並ぶ者たち全てが洟垂れ小僧同然。彼は嘗めまわす様にその場をうかがうと、荒い鼻息一つ付き、最後に義貞に向き直った。


「東肥前での戦歴を見る限り、隆信はおそらく戦巧者だ。奴が砥川へ出張ってくるまでは我慢比べ、良いな。では準備が整い次第、まずは藤津郡の館に向かうがいい」


「は、はい⁉ では早速、軍配師を呼び出しまする」

「軍配師に今さら何の用だ?」 

「いや、その、まずは占ってもらい、吉日を待って出陣すべきかと……」


 返答する義貞の声は、後ろに行くほど尻すぼみになっていた。

 家臣数人は口をあんぐり開けたまま。その様子が視界に入った義貞は、己が頓珍漢な事を口走ったと悟ったが、すでに時遅しであった。


 罵声混じりの仙岩のカミナリが落ちるのは不可避──

 と思われたが、その場は安徳直治に救われた。

 彼はすかさず「ははーっ!」と叫んで割り込むと、直ちに出陣すると宣言し、懸命に仙岩の怒りを鎮めたのであった。



※ ※ ※ 



「皆の者、ここに集まるのだ!」


 さて、評定が終わった後のこと。義貞の姿は再び土蔵の中にあった。

 彼は写本探しに残っていた数人の近臣を呼び集めると、評定にて出陣が決まった事を伝える。


 どよめく近臣達。すると、その中から一人の者が進み出て義貞に尋ねた。


「では早速、館に戻り戦支度の方を進めて──」

「ああ後でよい、後で。それよりもまずは、ここにある写本を出来るだけ集めてしまえ」

『えっ?』


「後で小荷駄に命じ、藤津の館まで送らせる。無論、夢解きの続きをするためではある。だがな、せっかく戦場に赴くのだ。それとは別に、わしも何かを振るわねばならんではないか」


 評定の時とは打って変わり、義貞は語気を強めて宣言する。

 そして、土蔵の至る所に積まれた写本を扇子で指し示しながら、あれこれと細やかに指示を出していった。


 ただ、その間も近臣達は茫然と立ち尽くしたまま。

 そして、顔には一様に「何を訳の分からないことを突然言い出すのだ」と書いてある。その様子は義貞を苛立たせるに十分だった。


「あのな、戦場にて兵は槍を振るい、将たる者は軍配を振るうであろう? しかし総大将たるわしは何を振るえば良いのだ? 筆を振るう以外にないであろうが」

「つまり、文書を自らしたためられるつもりである。そう仰りたいのでございますか?」


「たわけ。何故わしが祐筆の真似事をせねばならんのだ。和歌を詠むのだ、和歌を。そのために写本がいるのだ」

「はあ……」


 家臣の一人が思わず生返事をしてしまう。

 しかし、その様子は義貞の眼中に入っていなかった。すでに彼の頭は、風光明媚な景色の中に佇む、己の姿を描いていたのだった。


「先程の古今和歌集の写しを見て、わしは決心したのだ。古の歌集に習い、後世に讃えられる様な歌集を作ろうとな。戦場へ行けば、ここと異なった風景に巡り合えるはず。詠むには良い機会であろう。おお、そうだ、この際そなた達にも手ほどきをしてやろう。何、その様に難しい顔をするでない。まずは型を覚えるのだ。和歌の型とはな──」


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