第5話 乙名達の直訴(前)
「御目通り叶い恐悦至極。それがし、並びにここにいる者達、
進み出て挨拶した一人の者に続き、後ろにいた壮年の男五人も慇懃に頭を下げる。
隆信は眉をひそめ困惑の色を隠せなかった。
彼らは直訴するべく、筑後に程近い肥前
「どう言う事だ、目通りを許した覚えはないぞ」
「えっ⁉」
「おい、長信⁉」
疑惑の目が長信に向けられる。
隆信だけではない。乙名達も話が伝わっていなかったのだろう、不安気な視線が彼らからも突き刺さる。
しかし皆の睨みにも怯む事無く、長信は姿勢を正して懇願する。
「お許しくだされ兄上、それがしの独断にございます。一度断った相手の話を聞いていただくには、こうするしかないと思ったゆえ」
「そなたも寝返りには反対しておったではないか。なのにどうして意見を翻した?」
「確かに断りを入れましたが、この者達は諦めず再び直訴して参りました。それ程の覚悟ならば、有馬と戦になった時、大いに役立つかもしれぬと感じ入った次第にございます」
そう言って長信は頭を下げる。
惣領就任以降、信の置ける一族として、領国経営の良き相談相手として、欠かす事の出来ない存在の彼が、判断を翻したのだ。
その意義の大きさを鑑みた隆信は、彼の懇願を無下にする訳にはいかなかった。
だが、話を聞く前に乙名達に釘を刺す事を忘れない。
「すでに伝えたはずだ。そなた達の土地は牛津川の先にある。仮に我らに寝返った所で、有馬が逆襲に及べば、そなた達は孤立し降伏するしかないのだぞ」
「有馬が徭役の日を伝えて参りました」
「ああ? 徭役の日……?」
「十日後に
「本気で有馬と戦するつもりなのか⁉」
隆信は思わず睨みつけていた。
六集落の男達をかき集めても、せいぜい百や二百にしかならない。
対して、有馬は数千の兵を軽々送り込んでくるはず。
しかも、砦は急ごしらえなのだ。おそらく数日持ち堪えるのが関の山であり、有馬からしてみれば、生卵を踏み潰す様なものに思われた。
「あのな、わしはこれから中野城を攻める。有馬が襲ってきても、すぐに援軍を送る事は出来ん」
「今すぐにとは申しませぬ。我らを地侍として傘下に加えて頂き、後に必ず砥川の地を庇護すると御約束頂きたい。その一心にございます」
覚悟の程を見せつけるべく、乙名百姓達は頭を低くしたまま隆信を直視する。
だが、隆信は苛立ち交じりに小さく溜息を付くと、かぶりを振った。
「無理だ」
「兄上!」
「いくらそなた達が砦に籠って善戦し、我が軍が駆けつけたとしても、有馬の優位は動かぬ。兵数の差は言うに及ばず、周囲は有馬に味方する勢力ばかり。地の利もない」
「それは、やってみないと分かりませぬ!」
「では万が一に打ち負かせたとしても、その後はどうなる? 有馬にとっては所詮局地戦。瞬く間に体勢を立て直し、次は大軍を以て襲い掛かって来るだろう」
「しかし……」
「砥川は制圧下に置かれ、以前同様の苛政に戻るだけ。何も変わらぬ。集落の者達が無駄死にするだけで、そなた達は何も変えられぬのだ」
思わず話に割って入った長信は意気消沈し、言い返せなかった。
乙名達の直訴に思わず同調し、これなら上手く事が運ぶのではないかと希望を抱いたが、確かに隆信の言うとおりなのだ。現実は甘くない。
だが、そんな悲観溢れる空気を割いたのは、集落の一つ、泉に居を構える乙名の進言だった。
「恐れながら、現実を変えられないのは殿も同じではございませぬか?」
「何ぃ?」
「このままだと、御家も、佐嘉や小城に暮らす者達も、いつまでも有馬の乱暴狼藉に怯えるまま! それで良いのでございますか!」
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