SOL30

 ヒナの機体ボディを取り戻した。黒石は、本人には危険性はなく、むしろ手伝ってほしいという網野の意向で、研究所に転がっていたアザラシ型ロボットが充てがわれた。彼女の膝の上でブツブツと不満をこぼしながらもNASAからの依頼仕事を続け、セキュアチップの暗号鍵を使って三日三晩かけて宇宙船の制御系を取り戻した。すげぇ。これには彼のことを見直さざるを得なかった。

 残るは人質になっている〈火星の石〉だ。

 宇宙船の制御を黒石が復旧した翌日には、NASAはカプセル回収をガラクタ生命研究所に一任すると決定。想定落下地点に近く、回収したサンプルを適切に扱えるクリーンルームも備えていることからの、合理的判断だったという。所長のロッドがNASAでも名のしれた男であったのと、黒石の根回しもあったらしい。

 ロッドから任された網野はすぐに作戦会議を開いた。何の役に立てるか分からなかったけれど、俺にノゾミ、リク、もちろんヒナも招集された。網野は「インターンの続き」と笑っていたが、ことは重大だ。研究所がNASAに提案するプランに基づいて全てが動く。火星探査に関わる無数の研究者の夢、人類の宝の全てが彼女の双肩にかかっていた。

 そんな網野を気遣ってか、黒石もアザラシ型ロボットで参加していた。もふもふと撫でると、猫をなでたときと同じような心理的セラピー効果があるらしい。でも俺が撫でようとするとすごく不機嫌な声を出すので、うかつに触れない。

 網野の居室に全員で集まった。例の、なにもない真っ白の部屋。

「カプセルの落下地点を決めたい。回収方法とセットでね」

 彼女の言葉で部屋が暗転し、床に日本列島がアップで映し出される。

「現在セットされている軌道は――」

 しゅうっと音を立て緑色のマーカーが本州を北西から南東に通り抜ける。部屋の真ん中にあった透明アクリルのテーブルを、ロッドが楽しそうに隅によけた。

 太線は能登半島沖から始まり、右下の太平洋房総沖まで続いていた。

「網野さん。落下地点、この中じゃなきゃダメなんですか? あと半周まわって、予定してたユタ州の砂漠に落とすのは無理?」

 俺が一応確認すると、網野は無言で首を振った。やはり大幅な軌道変更はもう許されないみたい。

「ガハハ。うちの裏山にでも落とすか? 空から降ってきたものは、土地の所有者のものになるんだろ?」

 自信満々のリク。

「うーん。でも人が住んでるところは危ない気がする。やっぱ、落とすなら海が良いんじゃない?」

 ノゾミの反論。陸か海か、それが問題だった。

 網野は膝上のアザラシロボの背中を撫でながら、視線でヒナにも意見を求めた。

「そもそも、カプセルって浮くの? 東京湾でも太平洋でも、あたしダイビングは嫌だなぁ……」

 陸に落とすのは人に当たる危険がありマズい。そうかといって海に落とせば見つからなくなる可能性がある。宇宙船から分離後のカプセルには軌道を制御する仕組みはない。重力に任せて落下し、パラシュートを開いたら、あとは風の流れで気ままな位置に落ちるのみだそうだ。

「うーん。決め手に欠くわね」

 眉間にしわを寄せる網野。

 絶対に人を傷つけない信念で陸に落とすか、必ず見つける覚悟で海に落とすか。どちらでもなんとかなる気もしたし、どちらを選んでもダメな気もした。

 これは掛けだ――。

 何かがひらめきそうな予感がした。

 リク、ノゾミ、ヒナと順番に顔を眺め、この夏の〈掛け〉をいくつか思い出していった。

 ビーチバレー。勝者の命令とかいって、ヒナが妙な質問をした。

 流しそうめん。ノゾミが、チューするって言い出して――。

(あと、なんだっけ?)

 俺がキスするってパターンがあったような……。顎を撫でながら、ついつい考え込んでしまう。ノゾミがうるうるとした瞳で心配そうにのぞきこんできた。半袖シャツからのぞく健康そうな腕。あ、何だっけ? もう喉まで出かかってる。1秒、2秒――。

「ああっ!! 金魚すくいだっ!」

「えっ?」

 驚いたノゾミの二つ結びがぶんっと俺の鼻先をかすめた。

「ほら、ミッチー、あの時、言ってたよね? こつがあるとかって?」

「――追いかけるんじゃなくて、待つ」

 ノゾミは少し自信なさげに答えた。

「「それだ!」」

 ヒナと網野が同時に叫んだ。

「海にも陸にも落とさない。それでいいよね、網野?」

「賛成。落下先のセットは房総沖200キロってところね」

 網野が即決した。2人の掛け合い漫才のような会話が始まった。こうなったらもう大丈夫。いつも説明は後回しになるけど、2人なら大丈夫。

「それから――」

 ヒナの言葉をすぐに網野が遮った。

「わあってる! 研究所の全天カメラでしょ? こんどはONにしとく」

「あと、VTOLの手配もよろしくぅ♡」

 どんどん突き進む2人に、周りは置いてけぼりだ。ノゾミもリクも「え? え?」「どういうことだ?」と混乱を隠せない。俺は理解してるわけじゃないけれど、もうなんとも思わなくなっていた。慣れって怖いね。

「空中キャッチするの」

 ヒナの言葉に、網野がようやく説明を加える。

 リターンカプセルの空中キャッチ。突拍子もないアイディアに思われるこの方法は、意外なことに前代未聞というわけではないらしい。

 2000年代初頭、NASAはサンプルリターンミッション『ジェネシス』計画で、空中キャッチに挑んだそうだ。パラシュートを開き落下してくるカプセルを、ヘリコプターで待ち構えて捕獲するというものだった。

「網野。見えるのは火球フェーズのときだけだよね? そこから軌道推定すんの?」

 ヒナの声に網野が手元のキーボードをタタタと叩く。瞬時に簡易シミュレーションの結果が床に表示される。

 緑の線のうち、長野県上空から東京湾、そして房総半島を超えて沖に少し飛び出した部分までが赤く染まった。

「これが火球になる範囲。たぶんマイナス7等くらいで光ると思う」

「いいね。明るさは十分。昼でも見えそうね」

 とヒナ。

「晴れていれば、関東全域、研究所の全天カメラにも映るわ。そのあと弾道降下中は光らないけど」

「風の影響は? パラシュート開いたあとの軌道なんて読めないよ……」

「大丈夫。パラシュート開傘から海面到達まで、10分はあると思う」

 それでも不安そうなヒナ。黒石アザラシが吠える。

「そこは物理フィジカルだ。目視すりゃいいだろ!」

 どすの利いた低い声と、愛くるしいアザラシの見た目とのギャップに網野はくすりと笑い

「それもそうね」

 と手をうった。

「パラシュート開傘は高度6700メートル。それから4分で高度3000まで降りてくる。そしたら――」

「VTOLかヘリコプターでキャッチ」

 レーダーで捉えやすい能登半島沖からのエントリー。多地点から光学観測しやすい関東上空を火球で通過。そして人的被害を最小限にできる太平洋への落下――。これでパズルのピースは全て収まったように見えた。

「うん。行けるわ」

 網野がかきあげた銀髪がふわりとなびく。

 ノゾミは床に表示された軌道を歩いて辿り「金魚すくいっていうか、流しそうめんみたい」なんて笑った。そして彼女は落下海域の上で立ち止まると、こう続けた。

「スピードは大丈夫なのかしら?」

 そこにロッドがやってきて「オジョウサン。Shall we dance?」と手を差し伸べておどけた。

「最終的には、だいたい時速130キロくらいになるネ」

「ヘリコプターでついていけるの?」

「ダイジョウブ! 大切なのは予測とタイミング。ダンスと同じダ。相手の動きの先に、足を運ブ。HAHAHA」

 始終不安そうな顔をしていた網野も、ようやく笑顔になった。

「VTOLとヘリ、両方でトライしよう。チャンスは多いほうがいいからネ」

 ロッドが加えると、「オーケー」と応える網野。

「あ、もちろん、パラシュート、うまく開いたらの話だヨ?」

 じつは、NASAの『ジェネシス』計画は、空中キャッチに失敗しているのだという。ハリウッドのスタントパイロットを手配して万全の体制で臨んだが、肝心のパラシュートが開かなかったらしい。カプセルは時速300キロで地面に激突。落下先が砂漠だったため、カプセルは大破したが幸いにもサンプルは無事だったそうな。

「もう、やなこと言わないでくださいよ」

 網野がロッドの脇腹を肘でこづく。

「HAHAHA。祈るしか、ないネ」

 今回はそうはいかない。落下先は太平洋。俺たちが空中キャッチに失敗すれば、たぶん火星の石は海の藻屑と化す。運良く引き上げることができても、海水の侵入でサンプルの汚染は深刻なんじゃないか。ここにきて、俺はことの重大さをようやく理解し始めた。

 翌日、網野がまとめた回収プランはNASAに提出され、即日正式承認された。空中キャッチに再挑戦というのがウケたそうだ。

 黒石の元に集まったエンジニアたちの手により詳細な工程表が書き起こされると、それまで青写真でしかなかった網野の回収プランが少しずつ具現化しはじめた。ロッドが裏で進めていた交渉も実を結び、日本政府は領海へのカプセルの着陸許可を出した。程なくしてJAXAと海上自衛隊の回収作業への支援も決まった。

 火星の石に導かれるようにして、世界は俺たちの望む方向に少しずつ進み始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る