SOL4

 真夏日。最高気温は37度の予報。お風呂だとぬるい温度でも、気温では危険な値である。ジリジリ照りつける銀色の太陽と、ひたすら暑さを助長するセミの声。

「あっぢぃ……」

 ノゾミにもらった〈遠足のしおり〉に従って、高速バスに乗ってインターンシップ先までやってきた。国立産業総合研究所という名前の巨大な研究施設。例の〈ガラクタ生命研究所〉はこの一角にあるらしい。

 これから1週間は、ここに泊まり込みということになっていた。別に怖くもなんともないけれど、なんか嫌な感じがする。背中に少しの震えを感じながら、正門の守衛所で受付を済ませる。身分証の確認と荷物のX線スキャンを終え、指示されたゲストハウスに向かった。

 ゲストハウスは正門から10分ほど進んだ少し奥まった場所にあった。木々に囲まれて涼しげな、ログハウス風デザインの3階建て。普段は外国人研究者の長期滞在に使われているらしい。国立の研究所ということもあり、どうやら有名な建築家が設計したらしい。こう見えて、建築を見るのは結構好き。観察を始めてすぐ、玄関前の木陰に少女が倒れているのを見つけてしまった。

「熱中症か?」

 駆け寄ってすぐ、気がついた。

(あれ? このコ……)

 倒れていたのは、こないだ校庭で隕石を横取りしていった女だ。

「おーい、大丈夫? えっと……名前、なんだっけ……」

「――ヒナ」

「ああ、接続あるのか。良かった。……どうした?」

「うーん。ちょっと、やばいかもね」

 意外にもあっけらかんとした声。しかし手足はブルブルと小刻みに震えている。

「おいおい、大丈夫かよ」

 俺は後ろから抱きかかえ彼女の体を起こしてやった。震える細い腕は冷たく、肘に擦り傷も見えた。

 相変わらずのタンクトップ姿。にも関わらず、ぜんぜん日焼けしていない透明感のある素肌――さすがシリコーン製の合成皮革。

「あのさ。キミ、アンドロイドでしょ……」

「――そうだよ」

 アンドロイドとはいっても自律的に動くロボットってわけじゃない。ネットでは使うのが当たり前になったアバターの、いわば物理版。この美少女ロボットを誰かネットの向こうから遠隔操縦している。学校にある実習用アンドロイドはマネキンみたいなひどい見た目だった。でも目の前にいるこの子は違う。明らかに〈不気味の谷〉を超えてる。表情だけじゃなく、身振り手振りも自然だ。教科書にはアンドロイドは表情や動きの出力装置ディスプレイだと書いてあった。

「よくできてるな」

「エヘヘ。キミ、なかなか鋭いね」

「いや、この前会ったときから、そう思ってたけど」

 こういったアンドロイドに歌やダンスや「○○やってみました」とかをさせ、動画を配信するのが流行っているんだよ。知らないのか?

「つーか、髪の色」

 エメラルドグリーン、レモンイエロー、アッシュグレー。彼女の髪は眺める角度によってその色を変化させた。構造色かな。なかなか凝ってる。ポニーテールから出ている後れ毛も、耳元や首筋の生え際の処理も、かなり上手い。近くで見ても、人間と見分けがつかないほど自然だ。人間に間違わないよう、髪色は法律で指定されていると社会の授業で習った。

 彼女の身体をそっと木に寄りかからせると、不可抗力でタンクトップの胸元に目が行ってしまう。虹色に光る見慣れないペンダントをつけている。アクセサリー? にしてはホログラムみたいな妙な模様が描かれている。彼女はひとつも照れる様子もなく

「フフ。あれぇ、キミ、どこかで会った?」

 なんてとぼけた声をあげた。

「は? この前、校庭で会ったよね? 隕石!」

「ん……と……?」

「あ? もしかして、見えてない?」

「――ごめん、カメラ切れてて声しか聞こえてない。通信やばいかも。ファル子、近くに居る?」

 あたりをきょろきょろ見回すと、少し離れた木の上にじぃっとこちらを睨む鷹を見つけた。アンドロイドに何か変なことでもしようものなら喰って掛かるぞ、と言わんばかりの鋭い目つきだ。背中に視線を感じながらもぐったりとしている彼女に声をかける。

「オーバーヒート?」

「……たぶん」

「なんでこんな暑い日に外出たの? 今朝、アンドロイド向け高温注意報、出てたよ?」

「エヘヘ。いやぁ、こう見えて、身体は丈夫だからさぁ……」

 何いってんだよ。

 心配させたくないからなのか、彼女は腕をだらりと地面にたらしたまま口先だけはヘラヘラと陽気に振る舞った。

「あのなぁ……」

「エヘヘへへ」

「――それで、どうすればいいの?」

「えっ、助けてくれるの?」

 当然だろ。それに、ファル子に睨まれてる。

「どうすればいいか教えて。俺こう見えて、コンピューター得意よ」

 だけど触れません、とは言えず。

「キミ、優しいんだね」

 へへんと強がって笑っている俺の頬に彼女はすっと手をのばしてきた。

「ちょ、ちょっと! 危ないから動かないで!」

 なぜかむちゃくちゃ恥ずかしいぞこれ。

 彼女のほうは(アンドロイドなんで当たり前だけど)ぴくりとも表情を変えないので、なんだか悔しい。

「サーボの返り値がおかしい感じ。たぶん、あたしのモーションキャプチャの座標と、本体の値がずれちゃってる」

「なるほど。まあとりあえず再起動しかなくない?」

「うん。再起動してキャリブレーション。それから――」

「それから?」

「冷却!」

 彼女は最後の力を振り絞るようにして、ぴっと人差し指を立てた。

「わかった――。て、ちょっと待って、再起動、どうやるの?」

「電源ボタン長押しして」

「どこ?」

「右の胸の下」

 は? 今なんて言った?

「あ、あ……聞こえてるゥ? 通信エラー?」

「聞こえてるって!」

「だから、右のォ胸のォ、した!」

「あわわわわ。きっ聞こえてるってば! 大声だすなよ、もうっ」

 位置が分かったところで、もう俺にはどうすることもできない。いや、所詮アンドロイドの身体だって分かってるよ。要はマネキンだ。人形だ。別に服を脱がせて胸をさわるぐらいどうってことはないだ――って頭では分かってるけどさ……。

「む……無理だって」

 誰か通りかかってくれないかと必死であたりをキョロキョロしてみるも、人っ子一人通りゃしない。幼気な高校生男子の心を見透かすように、この女は

「ロボットだよ? ぜんぜん恥ずかしくないよ!」

 なんていっそう楽しそうにケラケラと笑った。性格悪い。

「誰か呼んでくるよ」

「やだやだ! 早くしないと、サーボ焼けちゃう!」

「だっ、俺は無理だってば!」

「分かった。ヒートシンク露出するから、とりあえず脱がせて!」

「だ・か・らァ……」

 禅問答のような会話がしばし続き、急にしおらしい表情をしたかと思うと彼女は

「ねえお願い。あたし、壊れちゃうよ……」

 なんて泣きそうな声を出した。わかったよ、わかった。降参。

「――ごめん、触るよ」

 小声でつぶやき、目をギュッと閉じて彼女のタンクトップの裾から手を忍ばせた。

 ――むにゅ。無駄に柔らかいいいい。

 内部機器を守るぷよぷよしたシリコーンゴムの感触。人肌のぬくもりはないものの潤いと張りも感じられ、滑らかそのものだ。

「ボタン、ボタン……」

「アッハッハ。きゃっ、ばか! エッチ! そこじゃない!」

「ゴ、ゴ、ゴメンっ。触覚ハプティクス?」

 慌てて手を引っ込める。彼女は白々しくジト目で俺を覗き込んだ。日が出るほど顔が熱い。

「アハハハハハ。びっくりした? 嘘だよ、ウ・ソ。ちょっと緊張ほぐしてあげようかなぁ、と思って。アハハハ」

「もう! ふざけてる場合か! 急いでるんだろ!?」

「……ちぇっ、つまんないの。あたしのサービス精神ってのが分からない?」

「はぁ。んなもんいいから。ちょっと黙ってて」

 こうなったらもうヤケッパチだ。もう一度タンクトップの中でもぞもぞと胸に手を伸ばす。うん、何度触っても、無駄に柔らかいね。いかんいかん。何も考えるな、俺!

「そこ。んー、じゃなくて、そこよりも、もうちょい右下」

「……ん? これかな?」

 これ設計したヤツ、ほんと何なの? アンドロイド自身で押せる位置にしないというのには、安全上とかの理由があるのか?

「あたしにも分かんない。やっぱ、脱がせて、目視で確認してくれない?」

「だぁから、サービス精神はもういいってば! なんでそんなに脱ぎたがるんだよ? ……あっ、まてよ。小さい突起――点字かな?」

「多分それだ!」

「オーケー。んじゃあ、ながお

「くぉーらぁああああ! ソラァ! あんた何してんのよぉおおお!」

 ゲストハウスの玄関から、鬼の形相のノゾミが現れた。

 俺は慌ててタンクトップから手を抜き、迫るノゾミにブンブンと大きく手を振った。

「ミッチー! ちょ、ちょ、待ってくれ。これには事情が!」

「は? 白昼堂々、女の子の服に手つっこんでおいて、何をいう! 恥を知れ、はじを!」

「違うんだって! これ、アンドロイドなの。おちつけって!」

「問答無用!!」

 何ら反論の機会を与えられることもなく、高速のビンタが飛んでくる。ヒナはその結末を見ることなく、俺の腕の中で幸せそうな顔をして眠りについた。

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